カメラを片手に

水無瀬神宮へ離宮の水を

晴天の朝、最低気温は8.4℃迄冷え込みましたが、強い日差しで気温は上昇し
13時には夏日となる25.0℃になり、15時に最高気温は27.0℃迄上がった。
      13時、25.0℃、50%

NHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花はラン科の「シラン・紫蘭」
宿根草で、乾燥に強く育てやすいランの一種
別名は紫色の花弁から「紅蘭・コウラン、ベニラン」、さらに偽球茎は生薬名
の「白笈・ビャクキュウ、ハクキュウ」とも呼ばれる。
      お隣の庭

花弁は細長く5枚で、開ききらずに星のような形の花を咲かせるのが特徴で、
花の色は観賞用に白色のもの、斑入りのもの、淡色花、花弁が唇弁化した
「三蝶咲き」などがある。

花言葉は「互いに忘れない」、「Hyacinth orchid(ヒヤシンスオーキッド)」と
英名をもち、このヒヤシンスのギリシャ神話の悲しい物語からとされる。
      5/14

当ブログ記事4月25日「シランが咲きだす」を参照ください。

先日、大阪府三島郡島本町「水無瀬神宮」へ名水百選「離宮の水」 を頂きに。
当社は、大阪府内では唯一の神宮です。
鎌倉時代に隠岐、佐渡、阿波でお隠れになられた三天皇の御霊を弔うために、
後鳥羽天皇の水無瀬の離宮跡に位置する。都から近く淀川の舟運、三川合流
地点に近く、小高い山々の登れば眺望も美しい土地で、後鳥羽天皇の命・勅撰
和歌集「新古今和歌集」にも詠まれており、さらに19年間の隠岐に流されたが
当地で崩御される2週間前に記された「後鳥羽天皇御手印置文」(当社蔵・国宝)
に、「我後生を返々とぶらふべし」と残されるほど。
 当社蔵国宝
         紙本著色後鳥羽天皇像
         後鳥羽天皇宸翰御手印置文 
 当社蔵国宝当社HPより


正面鳥居からの参道を行けば「神門」、薬医門造、本瓦葺、くぐり戸がつく。
向かって右側の柱には石川五右衛門が改心の証と伝わる手形が残る。
     

門をくぐり、左側に「手水舎」と名水百選「離宮の水」 の水栓が一カ所ある。     

水盤には多種類のお花と水みくじ、背後には並ぶ離宮の水を汲まれる人が

順番を待つ間に、お参りに。
御本殿、拝殿、渡廊、神饌所など一連の建物がある。


御本殿は京都御所の旧内待所を、江戸初期の明正天皇の御代に下賜になる。
入母屋造の屋根は古くは瓦葺きだったが、昭和4年檜皮葺、そして昭和49年
銅板葺きへと改められて現在に至る。
御祭神は、第八十二代天皇「後鳥羽天皇」
     第八十三代天皇「土御門天皇」
     第八十四代天皇「順徳天皇」
後鳥羽天皇は、学問やスポーツの神として崇められ、足利直義(尊氏の弟)が
夫人の安産祈祷を行い無事男児を授かり、安産祈願の申し込みや腹帯の授与。

右側に、柿本神社、稲荷神社、春日社などの摂社がある。

重要文化財が二棟ある。
客殿は、安土桃山時代、桁行11.8m、梁間10.9m、一重、入母屋造、桟瓦葺。
豊臣秀吉が福島正則を普請奉行として建立している。
枝垂桜の後ろの建物です。
      
茶室「燈心亭」、燈心席ともいい、後水尾天皇より下賜されたと伝えられる
江戸時代初期の数奇屋風書院、桁行7.6m、梁間5.2m、一重、寄棟造、茅葺、
東面庇付、こけら葺。内部は三畳台目の席と、同面積の勝手とを並べた構成
で、江戸初期公家好みの代表的な茶室となり「七草の席」と呼ばれていた。
事前予約で、5名様以上一人500円で見られます。

以前訪れた折、おみくじ置き場に「ミヤコワスレ」の花があったが・・・
承久の乱で佐渡に流された順徳天皇がこの花を見て、詠んだ歌
「いかにして 契りおきけむ 白菊を 都忘れと 名づくるも憂し」
 
今はヤマブキが咲いていた。
      

頂いた離宮の水は30Lほど(一回一人20Lの制限)されています。
流石某メーカーのウイスキーやビール2社に用いられるほど、ちょい硬めの
軟水で、連れ合いが茶のお稽古に用い、残った分でコーヒーや、水割り・炭酸
割りで美味しく頂き、水だけだと癖のない甘みを感じる美味しい水でした。

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