カメラを片手に

やはた温泉と丹生川上神社・中社へ④

秋本番を迎え朝と昼の寒暖差が10℃以上と大きくなり、体調管理が大変!。
東の春日奥山も秋の彩りで、若草山の芝やススキも秋の装いに代わっている。
      

若草山342m頂上、左下の山腹が赤く色付き、三笠温泉郷の桜かも・・・
      

明神平登行④は「やはた温泉」入浴後「丹生川上神社・中社」にお参りです。
薊岳登山口がある笹野神社でハプニングもあったが無事に戻れたとご報告し、
1.5Km車を走らすと、四郷川沿いに『やはた温泉』がひっそりと建っている。
付近はふるさと村として食事と宿泊ができ、キャンプや川遊びも。
       

入浴券500円を自動販売機で買い受付に出せば、下駄箱のカギと交換でロッカ
ーのカギが渡されてお風呂に。
週毎に代わるが、男性は古代檜の白っぽい浴槽、女性は岩風呂で、
温泉は透明な単純泉(低張性・弱アルカリ性・低温泉)でほっこりと、
これで筋肉痛も緩和された様だ。
      HPより

気持ちよく車を飛ばし5.6㎞下流、四郷川と日裏川が高見川に流れ込む場所に
      

丹生川上神社・中社』があり、参拝と名水を頂きます。
駐車場側に社務所があり、御朱印も授かれる。
      

駐車場側から拝殿へ行けるが、道路際に鳥居がある。
      

手水舎で浄め

龍神と黒々と墨書された横の階段から拝殿へ昇り、参拝させていただいた。

拝殿の壇上に江戸時代1829年建立の本殿等があるが、詳細は木々で不明。

「人聲の聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬祀らば 
 天下のために甘雨を降らし霖雨(長雨の事)を止めむ」との
御神教により創祀せられ、 白鳳4年(675年)天武天皇の創建される。
神武東征の地で戦勝祈願されたという伝承や吉野離宮の碑があるらしい。
祭神は
本殿:水に関する一切をつかさぞる罔象女神(みづはのめのかみ)、
   伊邪奈岐命、伊邪奈美命
東殿:大日孁貴尊、譽田別命、八意思兼命
西殿:開化天皇、上筒男命、菅原道真、綿津見神、大国主神、事代主神

応仁の乱迄の記録は残るが所在さえ不明に。明治になり下市町丹生を下社、
川上村を上社と列格され、大正になりこの神社こそ丹生川上神社とされるも、
戦後には丹生川上神社・ 中社として列格されている。

瑞垣内にある灯篭は鎌倉時代の弘長四年(1264)2月9日の銘があり、栄国人の
名工・伊行吉の作。 高さ2.6m、笠幅73cmの優美なその姿は、東大寺三月堂
の燈龍に次ぐ完全無欠の名作とされ、国の重要文化財に指定されている。
      HPより

丹生の真名井(清めのお水) を頂こうと向かうと、その右に「叶えの大杉
樹齢1000年程、樹高51.5m、幹廻り7.1mの杉の古木で大杉の幹に両手を当て
て、心の願いをこう唱すれば、御神威が授かる処とされる。
      

丹生の真名井は棒の先につけられた金属のバケツで井戸に入れて汲むのです。
 

後は帰るのみと思いきや、トイレ休憩をかけ「道の駅 ‎宇陀路大宇陀」に。
黒枝豆などの野菜や宇陀の銘菓「きみごろも」も手にしていた。
      午後5時

このあたりは朝焼けという意味の「かぎろひ阿騎野」といわれる地、
万葉集巻一(四十八) 柿本人麻呂が歌う
(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて
             かへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ
反対に今は午後5時過ぎ、夕日が西の空に沈んでいきました。


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