横浜のほほん

横浜のはずれで、のほほんと暮らす男の見聞、考察、感想をつれづれに記す

ブルーモスクとトプカプ宮殿

2011-07-07 07:08:45 | 旅行

トルコは日本の2倍の面積に7200万人が住んでいる。
工業、商業も盛んだが、農業人口は国民の40%を占めバスで走っていても麦畑などが目立った。
首都はアンカラであるが、最大の都市はイスタンブールであり、急増している人口は1400万人だとか。


4世紀以来東ローマ帝国の帝都・コンスタンティノープル、15世紀からはオスマン帝国の帝都であるイスタンブール。
城壁と海に囲まれ、壮麗な宮殿と多くのモスクが立ち並ぶイスタンブールの歴史地区は世界遺産に登録されている。





歴史地区にはスルタンアフメト・モスク(通称 ブルーモスク)など多くの歴史的建造物群がある。
スルタンアフメト・モスクはオスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって1609年から7年の歳月をかけて建造された。
世界唯一6本のミナレット(尖塔)を持ち直径27.5mの大ドームの内部は青を基調とした装飾タイルやステンドグラスが美しい。





モスクとはイスラム教の礼拝堂のことであり、金曜礼拝を行う大規模なモスクは特にジャーミーと呼ばれる。





礼拝時間になるとミナレットのスピーカーから礼拝を呼びかけるアザーンが大音量で流れる。
アザーンはお経のような歌のような独特の節回しを持っている。

礼拝の時間はブルーモスクを見学できないので、しばらく待ってから入場した。
礼拝の時間が終わっても奥の方は礼拝する人のためのもので見学者は入れない。





イスラムは偶像崇拝否定なので何かの像にではなくメッカの方向を向いて礼拝する。





礼拝を行う前には、「両手・顔・頭・両足」などを洗い体を清めるウドゥーを前もって行う。
モスクの中庭などにその施設があるらしいが、この写真はグランドバザールの傍で見た施設だ。






天蓋などモスクの内壁には16~17世紀に造られたイズニックタイルが2万枚以上使われているそうだ。






少年が着飾って家族の女性たちと楽しそうにしていた。
現地ガイドによると、この少年が笑顔をしているのも今のうちで、家に帰ってから大泣きするという。
つまり彼にはこれから割礼式が待っている。ガイドも痛くて痛くて泣き喚いたそうだ。





イスタンブールにはスルタンの宮殿がいくつか残っているが今回はトプカプ宮殿を見学した。
トプカプ宮殿は15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主(スルタン)が居住した宮殿だ。
元は日本の皇居の2倍ぐらいの広さがあったそうだ。


総門(皇帝の門)には2人の兵士が警護していた。





中に入って第1庭園を進むと聖エレーネ教会が見える。
アヤソフィアができるまでギリシャ正教の総本山だったという。





この中門(儀礼の門)を入ると、いよいよ宮殿だ。
といっても大きな建物があるわけではなくハーレムのほかは厨房跡、宝物館などいくつかの建物だった。





宝物館には数々の宝石、宝飾品が飾られていたが、写真は諦めた。
テラスに出て見ると海が見えた。宮殿はボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に位置する。





宮殿の建物にはイズニックタイルがたくさん使われている。





宮殿の大きな部分を占めるのはハーレムだ。






ハーレムはスルタンとその母后、妃、愛妾、年少の王子たちと、それに仕える多くの女官や宦官が暮らしていた。






スルタンの間などいろんな部屋があった。
このステンドグラスがきれいな部屋はカフェス(鳥かご)と呼ばれ、長男でない王子が幽閉されたこともあるらしい。





ハーレム内で最も大きな権力を持ったのはスルタンの母だったという。






ハーレムから出ると軍楽隊が演奏していた。
オスマントルコ以来トルコの軍隊は士気向上のために軍楽隊を連れて船上に赴いた。
演奏される音楽は太鼓とラッパを中心としたメフテルと呼ばれる体系のものである。






どんな音楽かは ↓ のYouTubeなどで紹介されている。

Turkish Ottoman Military Band Mehter




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4 コメント

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壮麗 (ポージィ)
2011-07-07 08:46:39
おはようございます。
よくは知らない歴史・文明・文化・宗教・慣習で、なかにはギョッとしたり
ドキッとしたりするものもありますが、イスラムの建築物の見事さ美しさにはそんなものすべて忘れて見とれます。
細かく繊細で美しいタイル装飾はイズニックタイルというのですね。
トルコはイスラム教でもおおらかな感じがしますね。それでも、人々の信心が
とても篤いことが覗えました。
トルコの人々は親日派の方も多いと聞きますが、これほど異なる文化で
遠く離れた国にどういう経緯があって親しみを感じてくれたのかと思います。
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ポージィ さん (おーちゃん)
2011-07-07 13:36:48
こんにちは。
旅行中、せっかく見学している様々なものの意味をすぐには理解できず、
高校のころもう少し真面目に世界史を勉強しておけば良かったと思います。
イズニクはイスタンブールのアジア側に近く紀元前7世紀から陶器造りが盛んだったそうです。
トルコでも農村は信仰心が篤く、女性はみんな頭からすっぽりと衣服をまとって畑仕事をしています。
トルコも日本もモンゴル系という共通点がありますが、
ほかに指摘されることはエルトゥールル号遭難事件というのがあります。
1890年に日本を訪れたオスマントルコ帝国海軍の練習船が帰国の途についたとき、
和歌山沖で台風に遭難し乗員587名が死亡しました。
串本・大島の住民が総出で救出介護にあたった結果69名が生存することができたそうです。
そしてその後、海軍軍艦2隻が生存者をトルコに送り返したといいます。
逆にイラン、イラク戦争の時、イランに取り残された日本人を救出するために、
当時は自衛隊機も日本航空も飛べない中トルコ航空が救援機を出し215名が救出されました。
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信仰の違い (sagano)
2011-07-07 22:00:22
イスラム教の信者の方々の信仰は 日常生活に根付いているようですね。
外国で暮らす人たちも 現地でモスクを建ててお祈りに通うようで、日本人の仏教とは
全く違うようです。
どちらかと言えば「お葬式や法事をする」時だけのような・・・死者を弔うだけのような・・・

日本の寺院建築も 素晴らしいですが、
ステンドグラスのある外国の教会の方が 明るくて好きですね。
イズニックタイルも素敵です。

↑日本に漂流された人たちを、村を上げて救出し、親身の世話をしたこと
テレビで 以前詳しく見ました。
私、世界史も好きでしたが、一国だけの日本史だけでも ややこしいのに
世界史は 同時代の世界中の歴史ですし、争いなどで微妙に絡み合っているので
殆んど記憶?理解?出来ていません・・・
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sagano さん (おーちゃん)
2011-07-08 07:04:19
少なくも現代の日本では信仰心が薄いですね。
イスラム教はモスク、キリスト教は教会を毎週のように訪れているようですね。
建築は日本とヨーロッパでは異質ですね。
素材も構造も装飾も・・風土も歴史も違うからでしょうか。
ステンドグラスは素晴らしい知恵だと思います。
世界史はいまになれば興味深いのですが、教科書では暗記ばかりに思えて勉強しませんでした。
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