横浜のほほん

横浜のはずれで、のほほんと暮らす男の見聞、考察、感想をつれづれに記す

アオイスミレ

2008-03-16 19:54:29 | 近所

先週、タチツボスミレが咲いているのを見た。
きょう行ったところで、もう少し背が低く小さなスミレが咲いていた。


アオイスミレ(葵菫)
アオイスミレはスミレの中では早く咲く。
葉の先が丸くフタバアオイの葉に似ていることでついた名前だろう。


花の大きさは1cmちょっとぐらいで、側弁は開ききらない。
撮り方が下手で上の写真と色あいが違う。
陽射しにもよるが、この色が肉眼に近かった。


花を見ていたら、よく通るきれいな声が盛んに聞こえる。
声を頼りに藪のあたりで動いている鳥を見つけた。
ガビチョウは鳴き声を楽しむために輸入されたのが逃げた篭脱け鳥の一種らしい。

野川公園・自然観察園

2008-03-16 07:47:26 | 近所

野川公園の大芝生やわんぱく広場を抜けて東八道路にかかる橋を渡ると野川畔に出る。
その向こうに柵で囲まれた自然観察園がある。
ここは3年ほど前に世田谷・喜多見から野川を上流へ歩いたときに立ち寄った覚えがある。


中へ入って木道づたいに歩くと意外なものが見つかった。


ザゼンソウ
座禅草はもっと山の方で見られるものと思っていたが、
公園のほうで手をかけているのだろう。


ミツマタ
池がいくつかあって全体に湿地になっているのだが、
サンシュユ、マンサク、ロウバイ、ハンノキなど花木も見られる。


ミスミソウ
実は野川公園には節分草を期待して行ったのだが、さすがに時期が遅く全て花後だった。


キクザキイチゲ
かわりにフクジュソウやミスミソウを含めて何種類かのキンポウゲ科の花が咲いていた。


アズマイチゲ ??
キクザキイチゲもアズマイチゲもミスミソウと同じキンポウゲ科の花。
よく似ている。

追記:アズマイチゲとしたがpolepoleさんのご指摘でキクザキイチゲかもしれない。
いつか今度はっきりとしたアズマイチゲを撮って載せたい。


そんな花たちに混じって大きな赤い実があった。
たぶんキチジョウソウの実だろう。


オニシバリ
この前、自然保護センターで見たオニシバリも咲いていた。

前は夏、今回は春の初め・・別の季節も楽しみが多そうだ


野川公園

2008-03-15 09:07:49 | 近所

この水曜日、友人たちと府中の野川公園を訪れた。
武蔵境から西武多摩線というのに乗って多摩駅から15分ほど歩くと、
公園の正門近くに近藤勇の生家跡があった。
近藤勇は養子に行く前このあたりの宮川家に生まれたそうで、産湯の井戸が残されていた。
この近藤神社は、それをしのび昭和初期に建てられたという。


公園の入り口や園内には、たくさんのクロッカスが見ごろだった。
ほかにヒヤシンスも蕾を出し始めて、公園を訪れる人を楽しませる。


公園はずいぶん広く花木の種類も多いようで、サンシュユが満開に近づいていた。


梅林には保育園の遠足の子供たちが来ていたが、梅の花をよそに傍の小山などを駆け回っていた。


コナラやクヌギも多くムクドリ、ツグミなどが歩き回っていた。
これはアオジだろうか。


あちらの木から地面に、地面からこちらの木に、飛び回るのが居た。
モズだ。


いろんな人が散歩しているところで、そんなに警戒せずに活動している。


珍しくもないナズナだが、暖かいせいか一面に広がっていた。


オオイヌノフグリやホトケノザも仲良く混じっていたが、
そんな中でカントウタンポポの大きな花が目立っていた。




スミレも出てきた

2008-03-13 16:12:51 | 近所

今週はじめの雨上がりに市民の森の縁でタチツボスミレを見つけた。


翌日、気温が上がるとぐっと賑やかになっていた。
光の具合で写真の花の色がずいぶん変わるものだ。


傍ではキランソウもちらほら顔を出している。


家ではニオイスミレが咲いてくれたが、
鼻の調子が悪くなって花の匂いを感じることができない。

一気に春らしく

2008-03-12 20:16:52 | 近所

暖かくなって地面から虫たちが這い出してくる。
このテントウムシはどこで冬を過ごしていたのだろうか。


キタテハの2頭が絡み合って高く上がる様が何組も見られたし、
モンシロチョウらしいものも忙しく飛んでいた。


そうなるとツクシも顔を出す。
もう少ししたら、たくさん摘んでほろ苦い春の味を楽しもう。




今日は4月の気温

2008-03-11 21:31:33 | 近所

今日の暖かさで、つい数日前の自然保護センターの風景が季節外れになる。
慌ててまとめてみた。


ダイサギはじーっとしているが、ときたま他の池に飛んで行ったりする。
カワセミの姿をチラっと見たが、池の端の奥のほうに姿を隠した。
子育てだろうか。


マンサク(マンサク科)
この時期の花は少ないが、この花つきのよいマンサクの黄色が気に入った。


シナマンサクも咲いていたが、枯葉が付いていないマンサクのほうがすっきりしている。


オニシバリ(ジンチョウゲ科)
保護センターは池や流れなど水辺が続いてハンノキの花もたくさん見られたが、
目を下に向けると地味な花が咲いていた。


オニシバリはジンチョウゲの仲間だが、
夏に葉が落ちてしまうのでナツボウズ(夏坊主)とも呼ばれる。


ルリビタキ 雄
オニシバリを撮っていると、向こうのほうで青いものが動いた。


よく動くが姿だけは捉えた。


ルリビタキ 雌
ルリビタキの雄を見たところから少し離れたところに雌がいた。


もちろん、こちらもよく動く。

ジョウビタキの雄、雌も別々に、このあたりにいた。
うまく棲み分けているのだろう。


ネクタリー

2008-03-11 08:12:25 | 近所

クリスマスローズ(ヘレボラス・ニガー)
クリスマスローズはクリスマスごろから咲く品種ニガーのことで、
この季節に多いヘレボラス・オリエンタリスなどはレンテンローズと呼ぶのが正しいとか。
だけどこのニガーは3月になってから咲いた。


ニガーは真横を向いて咲くのも特徴らしくて撮りやすい。


我が家のレンテンローズは下を向いて咲くので苦労して下から撮る。


多くのキンポウゲ科の花と同様にクリスマスローズも花弁に見えるのは萼片だが、
オシベの周りに見慣れないものがある。
実は花弁が変化して蜜腺(ネクタリー)になったもので、
ネクタリーの色の違いを楽しむ品種とか、花弁に戻ろうと大きくなった品種なども人気がある。

続ちょっと遅い走り

2008-03-10 08:30:13 | 近所
今朝は雨が降り出した。
10時ごろから森を歩くことになっているので小雨になってくれないかな。

その前に遅い走りの花の続きが残っていた。


ミスミソウ(キンポウゲ科)ユキワリソウ
ふれあいの森では先週ミスミソウを見たが、泉の森の雑木林の中でもチラホラと咲き始めた。
ニリンソウは葉が目に付くようになったところだ。


カタクリ(ユり科)
カタクリも葉が出ている段階だが、1輪だけ蕾を見つけた。


ジンチョウゲ(ジンチョウゲ科)
チラホラ咲き始めたジンチョウゲは例年ならもう少し早いはずだ。


ミツマタ(ジンチョウゲ科)
同じジンチョウゲ科のミツマタの黄色も赤もこれからだ。




ちょっと遅い走り

2008-03-09 07:41:37 | 近所

関西から帰って久しぶりに近所を回ると、春の花が増えていると感じた。


ハナニラ(ユリ科)
帰化植物の強さで、これから道端などでたくさん見られるだろう。


色は桃紫と白とが見られる。


ムスカリ(ユリ科)
ハナニラもそうだが、青紫系統の色は見たとおりに撮れない。


フサアカシア(マメ科)ミモザ
今年は梅をはじめ木の花がいずれも遅れているようで、
ミモザも黄色い蕾の時期が長かった。


サンシュユ(ミズキ科)
サンシュユも同じく遅い。近所でも泉の森でも蕾膨らむといったところだ。
蕾膨らむというのは正確な表現でないかもしれない。


花芽の中にぎっしり詰まった蕾が、殻を出て花弁を開こうとしている。


20個以上の花が丸く固まって咲くことになる。


渉成園

2008-03-08 07:39:06 | 京都

真宗本廟・東本願寺から少し東へ行ったところに渉成園がある。
渉成園は東本願寺の飛地境内地で、
周囲に枳殻(からたち)を生垣として植えたことから枳殻亭(きこくてい)とも呼ばれる。
昨日の智積院の庭は座って見る庭たが、こちらは池泉回遊式であり石川丈山の作庭と伝えられる。

東本願寺のHP 参照
渉成園は10600坪の敷地を有し、
大小二つの池と数棟の茶室、持仏堂、書院群で構成されている。
これは印月池という大きいほうの池で、向こうの島に茶室・縮遠亭が見える。


侵雪橋
この島には侵雪橋と回棹廊で渡ることができる。
頼山陽は渉成園の主な建物、景物を「十三景」として紹介し、その風雅を讃えたという。
侵雪橋や回棹廊もその一つだ。


回棹廊
回棹廊の左側には楓が植えられ秋には紅葉が見事で丹楓渓、と呼ばれる。
回棹廊も昔は朱塗りの反り橋だったらしい。


漱枕居
印月池の西南にある漱枕居は水上に乗り出すように建てられている。
縮遠亭(茶店)、漱枕居(酒店)に、もう一つ代傘席(飯店)と茶室もあって、
煎茶三席がそろった珍しい例らしいが、茶のたしなみがない私にはよく分からない。


漱枕居の近くの双梅檐(そうばいえん)には、紅梅白梅が20株ほど植えられている。


縮遠亭の築山のふもとに石組みの横穴が設けられ底に井筒がある。
縮遠亭で茶会があるときの水源だったが、今は枯れている。


この塩釜の手水鉢は石造宝塔の塔身を転用したもので、
全国の庭園で見られる塩釜の手水鉢の手本となるオリジナルだそうだ。


話は前後するが、渉成園の西門を入るとすぐに石垣が目に入る。
石橋のような長い切石、礎石、山石や瓦などさまざまなものが組み合わされている。


丸いのは石臼のようだ。


庭園の名前の由来となった枳殻があちこちに見られる。
梅、サクラに続いて4月下旬ごろには白い花が咲くことだろう。


智積院

2008-03-07 08:57:04 | 京都

智積院講堂
三十三間堂から七条通りを東に進むと東大路通りを渡ったところに智積院(ちしゃくいん)がある。

真言宗智山派総本山・智積院 は、
成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院の大本山をはじめ3000余りの寺院教会を擁する。

弘法大師没後およそ260年、興教大師が高野山に大伝法院を建て教学の振興におおいに活躍した。
その後、根来山へ移し根本道場とした中の学頭寺院が智積院であった。
豊臣秀吉と対立し根来山は焼き払われたが、秀吉の死後は徳川家康の加護により京都の祥雲禅寺を拝領し、
五百佛山(いおぶさん)根来寺智積院となり境内伽藍が拡充された。
祥雲禅寺は秀吉が夭折した我が子の供養のために発願して出来たお寺だ。
その内部装飾を託された長谷川等伯は長男久蔵や弟子たちと全身全霊で仕事に打ち込み、
800畳とも伝えられる大きな客殿の障壁画などを作り上げた。


その後、金堂などが再度の火災で消失していたが、昭和50年に現在の金堂が建立され、
講堂も平成7年に再建された。



講堂を左へ進んだ向こうに大書院があり、そこから「利休好み」と言われる庭園が眺められる。

智積院の庭は大書院に座って見る庭。庭の池が大書院の縁の下に入り込んでいるのが特徴だという。


庭の正面の右側の石橋より奥が祥雲禅寺時代に作られたもので、
土地の高低を利用して築山を作り、桃山風石組みと刈り込みを主体に庭の外の大きな樹木も借りている。
ツツジなど花の季節にも見たいものだ。


江戸時代に修築された左側の築山は石組みや石塔、鉢、垣などを組み合わせて変化をつけ、
江戸好みの庭は築山と泉水庭の先駆けとなったと言われているそうだ。

祥雲禅寺の客殿を飾っていた障壁画は火事などにより原形の4分の1になっているが、
「楓図」「桜図」「松と葵の図」「松に秋草図」等は国宝に指定され宝物館で鑑賞できる。

通常は非公開となっている宸殿も拝観することができた。
昭和33年にこの宸殿が新築された際に堂本印象が揮毫した26面の襖絵があった。
中でも印象の戦後の作風を顕著に表している「婦女喫茶」が目をひく。
和装洋装二人の婦人がテーブルで野点をしている絵は寺院の襖絵としては奇抜な主題である。
等伯の「十六羅漢図」襖絵もあり、その部屋には先にあげた3大本山の貫主が泊まるそうだ。

障壁画、襖絵などはすべて撮影禁止であるので詳しく伝えることができない。
こちらの 朝日放送のサイト を参照


境内の梅はまだ早かったが、宝物館前の木にはメジロが来ていた。


梅の花が少ないので目を落として地面を見ると、
いろんな小鳥が何かをついばんで歩いている。


ツグミや、このシロハラなどの大きめの鳥に混じって、
やや小型の今まで見たことがない鳥もいた。


すぐには分これがからなかったが、かえって調べたらシメだった。


そして、ちょっと派手なのはアトリのようだ。


ちょっと角ばった頭にギョロっとしたような目が面白い。

京都へ来て、初見の野鳥に会うとは思わなかった。



三十三間堂

2008-03-06 08:23:31 | 京都

ここは京都三十三間堂の長い長い建物。
縁側を利用した宮本武蔵と吉岡伝七郎の戦いや、通し矢で有名だ。
江戸時代、尾張・紀州両藩による通し矢「天下一」の争奪戦が行われた。
軒下を南端から北端へ一昼夜をかけて矢を射続けるという「大矢数」は命を懸けた壮絶な競技だった。
堂内に入ると誰それが何本放って何本通したということを記した額が何枚も掲示されている。
紀州藩・和佐大八郎の総矢数13053本、通し矢8133本が最高記録らしい。

通し矢が行われることはなくなったが、毎年1月15日ごろに弓道大会がある。


さて、この日3月3日には春桃会(しゅんとうえ、もものほうえ)というのが行われていた。
堂内を無料で拝観できる上、特設の高壇から千体千手観音仏を一望できたり、
千手観音仏の前に展示された池坊社中による献華作品を見ることが出来る。
これらを撮影できないのは残念。池坊のHPで、雰囲気だけを伝える。


当日限定女性専用雛守りが用意されていて、妻も手に入れた。


もう一つのイベントが青空説法。


住職をしている天台寺などで青空説法を続けておられる瀬戸内寂聴さんだ。


無常というものの考え方を中心に、
今年が源氏物語千年紀であることから紫式部、光源氏と女性たちの講話をされた。
そのあたりのことは、昨日のNHKスタジオパークでも話をしておられた。


地面に座る人を中心にして2、3000人もいただろうか。
老若男女、みんな熱心に聴き入る。


寒い日であったのに立ったまま1時間も話し続けて疲れた様子を見せられない。
85才とは思えない元気さだ。
立ち姿は大きく見えたが、控え室に入られるときに近くで見ると背は低いほうだった。


近くで見たキュウリグサ。
小さくてもしっかりした花だ。


お松明

2008-03-05 08:28:19 | 旅行

日曜日の朝、京都のお寺で父の50回忌と母の27回忌の法要を行い、
久しぶりに会う兄弟縁者たちと供養の昼ごはんを一緒にした。
夕方から時間が空いたので奈良へ行ってみた。


小さい子が鹿にせんべいをやっている姿はほほえましい。
頭を下げてお辞儀をするような仕草をするのもいて面白い。


東大寺南大門に向かう途中のお土産屋さんが立ち並ぶあたりでは、
せんべいをやる人が多すぎるのか目の前にあっても食べないのもいる。


東大寺は金光明四天王護国之寺とも大華厳寺などとも呼ばれる。
この南大門の扁額は重源上人八百年御遠忌法要に合わせて2006年10月に復元された。

 
阿吽の金剛力士立像は運慶、快慶らにより1203年に開眼した。


奥へ進んで坂道を登ると二月堂に出る。
ものすごく冷え込むので暖かいうどんを食べて6時ごろ外へ出ると、
堂の下にたくさんの人が座り込んでいる。

3月1日から14日まで二月堂では修二会が行われている。
「修二会」は、正しくは「十一面悔過(けか)」といい、
二月堂本尊の十一面観世音菩薩に11人の練行衆(れんぎょうしゅう)が人々に代わって懺悔し、
「天下泰平」「五穀豊穣」「万民快楽(けらく)」を願って祈りを捧げる。
一つの面に一人がつくということだ。
暗くなる前に舞台の上に人の姿があったので、たぶん堂の中で練行を見学できる人もいるのだろう。
前行、本行をあわせてほぼ1ヶ月、準備期間を加えれば3ヶ月にも及ぶ大きな法要だそうだ。



これは二月堂の舞台と下の食堂・参籠宿所をつなぐ登廊。

たくさんの人が舞台とは反対方向を向いて座っている。
これから始まるお松明は舞台のほうを向いて立ってみることになるが、
小さな段々畑のような場所なので座って開始を待つ間はこのようなことになる。


7時。あたりの照明が消され登廊に火が見えた。


火事にならないかと心配になるような火だ。


太く長い竹の先にくくりつけられた杉の葉や薄板などを束ねた松明は舞台へ上がり、
左端でいったん止まって竹を回したりして火の粉を落とす。



火の粉をかぶると1年間無病息災だとか。
それを目的で最前列に陣取る人もいるのだろう。
遠くで見ていたのに肩や頭などに白い灰が降っているのを帰り際に気づいた。


お松明は二月堂に上堂する連行衆の道明かりとして灯されるもので童子が持つらしい。


舞台の左端で止まっていたお松明はしばらくすると、
火の粉を撒きながら右のほうへ走る。


そして右端でしばらく止まっていると左端につぎのお松明が到着し
左右タイミングを合わせて火の粉をふるい落とす。
観客から声援や感嘆の声が上がる。
このようなことが10本行われる。


お松明は14日まで毎日行われるが、
お水取りの12日にはひときわ大きな籠松明が大きな炎を上げるという。
「お水取り」とは3月12日の深夜から13日未明にかけて行われる行事で、
3月2日に若狭の鵜の瀬でお水送りされた水が10日後に若狭井に届くのを汲み上げる。
また14日は10本の松明が同時に欄干に並ぶらしく、きっと壮観だろう。



森のいろいろ

2008-03-04 08:20:55 | 近所
土曜日から関西で見てきたものは整理に少し時間がかかるので、
先週の市民の森の様子から先に・・・


コウヤボウキの綿毛がきれいだと教えてもらったので市民の森へ見に行った。


fujiminoさんに見せてもらったような薄紅色はさしていないが、立派な綿毛だ。
どういう風に飛んでいくのだろう。


コウヤボウキは冬芽も綿のような毛に覆われている。





帰り道、森の縁でいろんなものを見た。
ドングリはとがったほうから出した根を地面に延ばし、
しばらくすると二股になったところから芽を出す。
しっかり根を張り、この芽が木に育つのだろう。


梅の木にミノムシがぶら下がっていた。
細い枝を使わないで蓑を作っていることからもオオミノガかもしれない。


カナヘビも動き始めていた。
追記:カナヘビは蛇でなくトカゲの仲間  カナヘビ