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どうせ吐き出すなら
良い言葉をと思ってさ。
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誰かが元気になるような言葉がいいし
それは自分自身への励ましにもなるから。
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不平不満が言いたい時も、
孤独な時も
泣き言は胸の中で、自分自身が聞いて、
口から外に出すのは、
もっとドカンとポジティブな言葉が良いのかな…。
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そういえば、ねぇ?
誰かを見る時に、あなたがどんな目で見ているのか考えたことある?
あなたの2つの目は何のためについてるんだと思う?
私は少なくとも睨みつける為ではないと思ってるし、誰かを睨む度醜くなりそうだから私は嫌。
おすすめしないわ。
眼差しは、優しく見守る為にあるのだと思いたいし、
私は神様からもらったこの両目を、
そんな風に使っていきたい。
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私達の口はなんの為にあるんだろう。
美味しいものを入れるなら、
美味しい言葉を吐き出したい。
カラカラのウソは
心も身体も萎びさせそうで、
私は嫌。
これもオススメ出来ない。
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私達の耳は、なんの為についてるんだろう。
忠告を聞かないと怪我するじゃん…
時には自分自身の為に、自分自身の我を疑ってみることも必要で、
耳に痛くても、しっかり聞いたらありがたみを帯びて、本当はとても耳に良い、
素晴らしい助言もあるのかもと思わない?
塞いでしまうのはどうだろう。
私はこれも、オススメしない。
五感を開いて…感じてみてって偉大な人達は言う。素晴らしい芸術家達も。
誰も、五感を塞いでとは言わない。
だから、都合の良いところだけ使おうとすると、歪みが生まれて、
歪んでしまうのかな?と思う。
喜怒哀楽の全ては愛の中に。
怒りには燃えても睨むことの無い自身の目に感謝。捻れることのない舌と真っ直ぐな心を強くしよう。
悔しい言葉にも耳を傾けて内なる泉を育てよう。
ドエムじゃないけど修行は好きだ。
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ドエスにはならないけど、
みんなともっとコミュニケーションを取れるようになりたい。
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陰陽のバランスを取って、五感を開こう。