「《かつての淀川澪筋と旧跡を探る》淀川右岸(東淀川区中・東部)歴史散歩」国交省・淀川管内河川レンジャー 崎谷さんのまち歩きです。
崎谷さんから、「この度の散策は今日の都市的発展の陰で、幾多淀川・氾濫の試練をなめ起状盛衰があった事実を振り返り、先人が多事多難に立ち向かった痕跡を確かめることで現在私たちが生活の基盤としている郷土の現情を把握することを目的にしています。そして将来にも予測される地震津波の、減災手がかりになればと思う次第です。」
東淀川区役所→旧亀岡街道→菅原町(旧新家村)→菅原神社→豊里町(旧三番、草刈の庄・天王寺庄)→豊里郷土資料館→大道南町(大宮)・大桐町(せせらぎの遊歩道、乳牛牧庄の碑)→大隅神社、8km。
以上のコースを歩きますが、かって「難波の八十島」と云われた東淀川区、現在では伺えませんが巡るポイントは島伝いに存在したので、ポイント間の距離が通常のまち歩きより開き気味で、以上廻り切れるか気に成ってましてやはり後半は端折り気味でしたが、やはり大隈神社まで来たら江口の君堂までは行きたかったですね。
淀川左岸・城北わんど。水を抜いて水生生物の調査やお掃除、クリーン大作戦中。
集合地点、東淀川区役所。地元の方が多い様です。
亀岡街道碑と橋柱。
道路を渡り向いの亀岡街道碑。高麗橋から6.14㎞。
度々水害に襲われる土地柄で、石積みの上に家を建ててます。
瓦を積み上げた塀。石碑には「吹田 富田 茨木」道、と在ります。
次回東淀川区西部のまち歩きを計画中だそうで、「中島大水道」をメインテーマに据え、その為に「一柳太郎兵衛」さんの一柳家の見学でしょうか。
一柳家。
菅原町(旧國次村)。
豊里町の古い町並み。
石碑が点在。
また石碑。
私の地元城東区の旧家もこのように石積みで嵩上して在りますが2段位高い様です。
石積みの板塀。板塀は農家の特徴で、武家だと塗塀に成ります。
菅原天満宮。人の背丈以上の高さの石積み上に鎮座してます。
ここにも大阪府保存樹。
菅原天満宮から少し距離を歩き「豊里郷土資料館」。
昭和35年から始まった区画整理事業の結果の過剰地に建てられた様です。
農機具や水防道具などの生活雑器が展示されています。
大宮 拝殿。
本殿裏に「聖徳太子社」が在ります。
拝殿から大鳥居。
せせらぎの遊歩道。
ここにも橋柱。
乳牛牧跡。「ちゅうしまき」と読みます。
せせらぎの遊歩道が続きます。
もと豊里大橋付近の阪巻村(現在淀川河川敷)に在り、付近は淀川でも水流の激しいところで、船は帆を逆に巻かねば転覆するほとで、多くの犠牲者が出たのでその冥福を祈って建立したといいます。
淀川の開削などで村が無く成り、大正12年現在地に移転しました。
逆巻の地蔵尊。
大隈神社。
応神天皇(大隅宮)をお祀りしています。
拝殿。
菅原道真が大宰府に赴く道すがら立ち寄ったとされ、ここにも天満宮。
私は自転車を取りに何人かと出発点の東淀川区役所に戻りますが、しかしよく歩きました。
ここで解散