小野小町
「切り札は簡単に見せるな」 2021.1
平安の女流歌人・小野小町は、今から1200年程昔の809年、出羽の国・福富の荘桐の木田(現在の湯沢市小野字桐木田)に生まれました。
幼い頃から歌や踊りはもちろん、琴、書道となんでも上手にこなし、13才の頃には都へのぼり、都の風習や教養を身につけました。
宮中に仕えるようになった小町は、その容姿の美しさと優れた才能から多くの女官中、
比類なしと称され、その歌は六歌仙、三十六歌仙に残っています。
Zarah Leander - Das gibt's nur einmal (1932)
しかし、故郷を恋しく思う気持ちは消えることなく、小町36才の時、宮中を退き、小野の里へと帰郷。
庵を造って静かに歌を読み暮らしていたところ、
小町を想う深草少将は、小町に会いたさから郡代職を願い出て、都から小野の里へとやってきたのです。
深草少将は、会いたい旨の恋文を小町へと送りましたが、小町はすぐに少将と会おうとせず、
「わたしを心から慕ってくださるなら、高土手に毎日一株づつ芍薬を植えて百株にしていただけませんか。
約束通り百株になりましたら、あなたの御心にそいましょう」と、伝えました。
少将はこの返事をきいて野山から芍薬を堀り取らせ、植え続けました。
一株づつ植えては帰っていく毎日。実は小町は、この頃疱瘡を患っていたのです。
百夜のうちに疱瘡も治るだろうと、磯前(いそざき)神社の清水で顔を洗い、早く治るよう祈っていました。
深草少将は一日も欠かすことなく99本の芍薬を植え続けました。
いよいよ百日目の夜。この日は秋雨が降り続いたあとで、川にかかった柴で編んだ橋はひどく濡れていました。
「今日でいよいよ百本」。小町と会える日がきたと喜び、従者がとめるのもきかず、
少将は「百夜通いの誓いを果たす」と、通い慣れた道を百本目の芍薬をもって出かけました。
しかし、少将は橋ごと流され、不幸にも亡くなってしまったのです。
小町は深い悲しみに暮れ、少将の亡骸を森子山(現在の二ツ森)に葬ると、
供養の地蔵菩薩を作り向野寺に安置し、芍薬には99首の歌を捧げました。
少将の仮の宿だった長鮮寺には板碑を建て回向し、その後岩屋堂に住んだ小町は、
世を避け自像を刻んで、92才で亡くなったといわれます。
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