3.岡山県関係法務死殉国烈士慰霊顕彰碑
吉備津神社駐車場脇
碑誌
ますらおの尊き生命 積み重ねつみかさね護り来たりし美しき祖国に 吾等は今奇蹟の平和と自由を享受している
憶うに歴史は正確を期すべきである
然るに戦後の世相は混沌として現在既に正確なるもの乏しく 今にして改めずんばその経緯を過ち伝へられん
人類の歴史は平和を旗印に揚げ乍ら 惨烈な戦争に依って治乱興亡を繰返し留まるところを知らない
過ぐる大東亜戦争処理に際し 連合国は勝者専断の裁判を行い 吾等を謂われなき罪に陥れ 極寒肌を裂く牢獄に 炎暑灼熱の獄舎に監禁 心身破潰の極限において猶
血族への愛惜を秘し祖国の再興と永久平和を叫びつつ従容として死の断罪を受け 竟に父祖の国土を踏まざりし赤誠憂国の士の境地を憶うとき
平和の生贄としての価値が忘却される事を憂いて詠嘆己まず
茲に改めて戦禍の再来を避け祖国の興隆と萬邦の平和を希い同憂の悲願を結集して 岡山県関係殉国烈士の遺徳を偲び
碑を奉建して将来史実の探究と公正なる評価に委ねんとするものである
加古隆クァルテット『パリは燃えているか [Takashi Kako Quartet / Is Paris Burning]』
(碑文より)
階級 | 氏名 | 出身地 | 年令 | 殉難年月日 | 殉難地 |
陸軍大尉 | 中田瀧登 | 岡山市 | 40歳 | 昭和21.3.6 | モロタイ |
陸軍軍医中尉 | 山本活二 | 勝央町 | 31歳 | 昭和21.3.6 | モロタイ |
陸軍憲兵軍曹 | 岡田富美 | 寄島町 | 28歳 | 昭和21.3.6 | モロタイ |
陸軍大尉 | 星島 進 | 倉敷市 | 35歳 | 昭和21.4.6 | ラバウル |
海軍中尉 | 本地又二 | 倉敷市 | 36歳 | 昭和21.5.16 | ラバウル |
陸軍曹長 | 波多三郎 | 玉野市 | 38歳 | 昭和21.7.17 | ラバウル |
陸軍中尉 | 岸 保夫 | 岡山市 | 32歳 | 昭和21.7.30 | 香港 |
陸軍大尉 | 倉島秀一 | 岡山市 | 37歳 | 昭和21.9.11 | チャンギー |
陸軍中尉 | 青井眞光 | 岡山市 | 45歳 | 昭和21.12.13 | 済南 |
陸軍憲兵伍長 | 江草忠義 | 備中町 | 24歳 | 昭和21.12.17 | ペナン |
陸軍主計中尉 | 山川保二 | 岡山市 | 44歳 | 昭和22.2.25 | チャンギー |
陸軍大佐 | 石井民恵 | 鴨方町 | 58歳 | 昭和22.3.26 | チャンギー |
陸軍憲兵大佐 | 野間賢之助 | 津山市 | 52歳 | 昭和22.5.27 | 香港 |
陸軍曹長 | 上谷喜多一 | 加茂町 | ? | 昭和22・5.28 | チャンギー |
陸軍中尉 | 神野保孝 | 井原市 | 28歳 | 昭和22.6.27 | ラングーン |
陸軍憲兵軍曹 | 守屋 博 | 倉敷市 | 29歳 | 昭和22.7.8 | メナド |
陸軍通訳 | 花房 丘 | 岡山市 | 37歳 | 昭和22・8.8 | メナド |
陸軍少佐 | 的場末勇 | 邑久町 | 36歳 | 昭和22.9.24 | グアム島 |
関東局翻訳生 | 三宅鹿衛 | 玉野市 | 55歳 | 昭和23.1.24 | 瀋陽 |
陸軍憲兵曹長 | 安藤義壽 | 玉野市 | 32歳 | 昭和23.2.4 | モロタイ |
陸軍少佐 | 海野馬一 | 岡山市 | 49歳 | 昭和23.4.5 | ボンチャナック |
陸軍憲兵准尉 | 荒田誠三 | 津山市 | 32歳 | 昭和23.8.7 | サイゴン |
陸軍憲兵准尉 | 大森 保 | 高梁市 | 36歳 | 昭和23.8.7 | サイゴン |
日本鉱業会社鉱員 | 竹内末一 | 岡山市 | ? | 昭和23.9.7 | 香港 |
陸軍中佐 | 近藤秀夫 | 岡山市 | 43歳 | 昭和23.9.24 | 香港 |
陸軍大将 | 土肥原賢二 | 岡山市 | 66歳 | 昭和23.12.23 | 巣鴨 |
内閣総理大臣 | 平沼騏一郎 | 津山市 | 85歳 | 昭和27.8.22 | 巣鴨 |
【殉難者】
中田瀧登大尉(ボルネオ俘虜収容所勤務)
昭和21年3月6日に処刑された。
山本活二軍医大尉(ボルネオ俘虜収容所勤務)
昭和21年3月6日、中田大尉と共に処刑された。
星島進大尉(ボルネオ俘虜収容所勤務)
昭和21年4月6日、死刑執行場所がボルネオのラブアンに移され、その地で処刑された。
岡田富美憲兵軍曹(第5野戦憲兵隊)
昭和21年3月6日、中田大尉、山本軍医大尉などと共にモロタイで処刑された。
本地又二中尉(海軍第20警備隊)
昭和21年2月18日に死刑判決を受け、5月18日にモロタイで処刑された。
遺書
「我、銃殺に処せらるといえども、海軍将校として、命令により当然のことをなしたるのみ。後に三男児あるを思い、意を強うして死に就く。
日本男児として、祖国の為に役立つ人となってくれ。切に草葉の蔭より祈る。
今、監禁中、警戒兵の前にて誌す―」
【シンガポール戦犯死刑者】
倉島秀市(秀一?)(大尉)
処刑日:昭和21年9月11日
所属:ジャワ俘虜収容所
※ 原籍は新潟県となっている。
山川保二(中尉)
処刑日:昭和22年2月25日
所属:マレー俘虜収容所
石井民恵(大佐)
処刑日:昭和22年3月26日
所属:タイ俘虜収容所
上谷喜太一(喜多一?)(曹長)
処刑日:昭和22年5月28日
所属:タイ俘虜収容所
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