(ロットワイラー犬は、左のブルさんではなく……右の子犬のほうだったりします、実は)
ええと、今回はほんの少し言い訳事項があったりもして。。。
↓に出てくる、バター値上がりの理由に関してなんですけど、実はわたしもこれ、理由がなんでなのかよくわかってません(^^;)
確か、ここ書いてる少し前くらいに……ラジオで、フランスだったかな??とにかくヨーロッパでバターが値上がりするという話を聞きまして
日本でもバターが値上がりするっていう理由がなんでなのかっていうのをニュースで見た覚えがあるんですけど、例によってその時は「そうなんだ~☆」とか思ってた割に、すぐその理由を忘れてしまいまして(殴☆)
でもその時は、あとでネットで軽くググればその理由もわかるかなって思ってました。もしかしたらわたしの検索の仕方が悪かったのかもしれないんですけど(汗)、なんていうか、値上がりの理由については結局のところわたしにはよくわかんなかったんですよね
それで、日本の農業の事情とフランスといったヨーロッパの農業の事情っていうのはまた違うでしょうから……フランスといったヨーロッパでバターが値上がりするのと日本の値上がりの理由もまた違うんじゃないかなとは思うですけど……やっぱり向こうと日本ではバターの消費量が半端なく違うんじゃないか、とのことで。
イギリスとかフランスとか、向こうでは「なんかあったらとにかくすぐバター率」(笑)が日本よりも段違いに高いんじゃないかと。パンにバターをたっぷり塗ったりするのも、それで喉の通りをよくするといった部分があるらしく、そうした意味でもバターの値上がりって日本以上に痛いっていうことだったんですよね
わたしも忘れちゃったんですけど(汗)、それも日本でいう三~五十円レベルじゃない値上げ率で、聞いたその時は「そんなに上がるの!?」とびっくりしたというか(確か、2~3ユーロレベルだった気がするんですけど、これもはっきり思いだせません)
まあ、そんなあやふやな情報を元に↓の文章を書いてるもので、でも実際はわたしもよくわかってないっていうことで、よろしくですm(_ _)m
ええと、あとは話の中に出てくるファニーサイドアップですか♪
(D-FORME楽天ショップ様よりm(_ _)m)
(GOLF&SPORTS Tstar様より)
(D-FORME楽天ショップ様よりm(_ _)m)
(GOLF&SPORTS Tstar様より)
(D-FORME楽天ショップ様よりm(_ _)m)
(D-FORME楽天ショップ様よりm(_ _)m)
なんか、わたしが聞いた話によると、コストコとかでも売ってるそうです(^^;)
まあこれも、「だからどーした☆」な話ではあるんですけど、一応↓のお話の中に出てきたもので、なんとなく。。。
では、次回は確かランディくんの「ラムネ事件」だったような気がします、たぶん(笑)
それではまた~!!
P.S.ここの記事書いてからもう一度ググってみたら、「そうそう。このニュース!」っていう感じで検索でヒットしました。
フランスでバターの価格が90%超値上がり、パン製造業者らが悲鳴
90%超値上がりって……一体今フランスの農業で何が起きているのかとすら思ってしまいますが、出来ればこのあたりの事情が何故なのか知りたいです。でも、池上さあ~ん!!とか言ってみても、流石に無理かなあ(笑)
聖女マリー・ルイスの肖像-【33】-
「ありゃ、可哀想なワン公だな」
「そうですね……」
マリーはイーサンの斜め向かいの席で、ハーブティを飲みながら溜息を着いた。ちなみに、マロウブルーという色の変化するハーブティーである。
「お腹のあたりも骨ばってるし、あんまり食べさせてもらってないのかしらって思ったり……」
「それだけじゃないぜ。さっきもトイレのために外に連れていったが、あれはたぶん小便するのを粗相するたんびに、飼い主に殴られるかなんかしてたんだろう。じゃないと、あのくらいの忠実さみたいなもんは生まれない」
「もし、ロンが……」
イーサンは予想していたというように、マリーのことを手で制した。それ以上のことは言うなというわけである。
「あの犬を飼うのは無理だ。もう結構な歳だろうし、ウェザビーさんちで往生したほうがいいだろう。第一、隣の町内とはいえ、あの犬がこの家にいるのを見た人間が、ウェザビーさんに知らせるかもしれないしな。なんにしても、あいつらもこれで犬や猫を飼うっていうのがどんなに大変かが少しくらいはわかったろうさ。散歩へ行くたんびに足を洗ってやったり、小便の始末をしてやらなきゃならなかったり……まあ、今回のことはあいつらにとってもいいことだったろうな」
「ええ。あの、わたし……わざわざ携帯に電話して呼びだしたのに、帰すのが明日なら、そんなに急いで帰っていただく必要もなかったですよね。ごめんなさい」
「いや、そうでもないさ」
イーサンはパンダクッキーを食べながら笑った。
「仮に七時とか八時くらいに帰ってきて、突然この犬にタックルされたりしたら、俺はたぶんブッチぎれていただろうからな。あんたの判断は正しいよ。それに俺は、まずは何がどうでもこの犬を洗ってやらなきゃ気が済まなかったろうし」
マリーはソファの足許のあたりで体を丸くしているロットワイラー犬の元までいくと、彼の頭や体を撫でてやった。犬はなんだか少し疑い深いような目をしており――その眼差しはまるで、「いつもは犬小屋で寝てるのにな。どうしたんだろう」と訝っているかのようだった。
イーサンもまた、茶と黒の混ざった犬の前までいき、彼の顎の下あたりを撫でてやる。
「今日は俺、ここのソファで寝るよ。こいつがトイレに行きたそうだったら、外に連れてかなきゃならないしな」
「じゃあ、枕と上にかけるタオルケットとか、持ってきますね」
犬の毛並みを撫でている時に、イーサンはマリーと手と手がぶつかったりした。けれど彼女はすぐそう言って、犬からも彼からも離れていってしまう。
実をいうと、最近、以前に比べて自分とマリーは「いい感じ」になってきたとイーサンは思っている。今みたいに、子供たちのためにイーサンが自分の時間を犠牲にしたり、子供たちのためを思って何かの面倒を引き受けたりすると――マリーは何故か「子供たちのかわりに、自分がお礼をしないと」といったような顔をすることが多い。
もちろん、ランディもロンもココもミミも、イーサンと半分血の繋がった弟妹なのだから、彼女がそんなことを思う必要はない。けれど、マリーがどこか申し訳ないような顔をする時……(あともう一押しだな)と、イーサンとしてはそのように思うのだった。
「やれやれ。俺もおまえのことを飼ってやりたい気持ちはあるがな、そんなことしたら犬泥棒として訴えられるかもしれんし。なんにしても、帰る前にはたらふくうまいメシを食わせてやるから、それで勘弁してくれ」
このあと、イーサンはマリーの用意した枕をソファの腕木のあたりに置き、タオルケットにくるまって眠った。疲れていたため、眠りに落ちていくのはあっという間のことだった。そして、朝の五時前に犬の体の重みが胸のあたりにのしかかったことで――咳をつきながらイーサンは体を起こしていた。
「こらっ!!おまえ、俺を殺す気かっ」
それでも、犬が例のどこか哀れっぽい眼差しで玄関に続くドアのほうを見ると、イーサンは犬が自分を起こした理由を理解した。そこで、犬の小用のために外へ行き、そのあとついでに少し、散歩するということにしたのだが……犬のリードを引っ張る力があまりに強くて、イーサンも驚いた。何分、鎖のかわりに首輪に急ごしらえの紐を繋いでいるだけなため、ある瞬間にぶちっと千切れて犬が逃げだしでもしたら大変だった。
このあと、イーサンはヴィクトリアパークのほぼ端から端までを全力疾走したり、犬が樹や花や土の匂いを嗅ぐのに合わせて休んだりの繰り返しとなった。そして七時頃にようやく屋敷のほうへ戻ると、土曜だというのに早起きしたロンがダイニングで犬の帰りを待っていたのだった。
「イーサン兄ちゃん!!今度はぼくが庭で一緒に遊んでもいい?」
「そうだな。まあ、今日でお別れなんだ。念のため、兄ちゃんも一緒に見ててやる」
「わあい!!」
だが、ロンが骨の形をしたおもちゃを遠くに投げようとすると、犬のほうではしきりとあちこち草の匂いを嗅ぎ、最初は片足をあげ、次にはウンチングスタイルになっていた。イーサンは(やれやれ)と思いつつ、一度家の中に入ると犬のクソを始末するのにビニール袋を取ってきた。
「しっかし、図体がでかいと自然、クソのほうもでかくなるってわけだな」
ビニール袋を二重にしたあと、イーサンは外に置いてあるゴミ箱のところまで、それを捨てにいった。ちなみに、次のゴミ収集日は月曜日である。
「きのう、色々いっぱい体にいいもの食べたからじゃない?おねえさんが肉だけじゃバランスが悪いからって言って、野菜を茹でたりしたら、もりもり全部食べてたもんね。あとは人間様が食べるのと同じ、高級な豚肉とか……」
「そうだな。ま、そのせいもあるか。だがな、ロン。このでかい犬を毎日散歩させて、こういうクソの始末まで毎日するってのは、本当に大変なことだぞ。俺はマリーには、そこまでの負担はかけたくない。それじゃなくてもおまえら四人のガキどもの面倒を見るだけで大変なんだからな」
「わかってるよ」
きのうの夜、寝ながらずっとこの可哀想なロットワイラー犬をどうしたら我が家で飼えるだろうかと考えていたロンだったが、急に今になって兄に何も言えなくなってしまった。犬のクソの巨大さに怯んだせいではない。ただ、どうにかして兄に頼みこもうと心に決めて階下に下りてきたのに――実際に兄が犬を散歩させ、汗をかきながら戻ってくる姿を見ると、自分が毎日散歩へ連れていくのは無理だということがはっきりわかったのだった。
このあと、ロンは腕が疲れるまで骨のおもちゃを投げ、それを犬が拾ってくるということが何十度となく繰り返された。犬のほうではそれを自分の宝物にしてがじがじと齧るでもなく、ロンの手元に持ってきては尻尾を振り、彼に体を撫でられたがったのである。
「イーサン兄ちゃん、ぼくもう、疲れちゃったよ」
ロンがぐったりして、右の肩のあたりを揉むと、今度はイーサンがかわりにクォーターバックの強肩を生かして、随分遠くまで遠投した。だが、犬はまたしても全速力で駆けていき、獲物を口にして嬉しそうに戻ってくる。
「いやいや、大したもんだな。俺とだって結構な距離走ったんだぜ、こいつは。だけどまあ、もう年寄り犬だからな。無理させるとあとからぐっきりくるかもしれん。そろそろこいつも一緒に朝メシでも食うとしよう」
「うん!!」
ロンはこのロットワイラー犬を飼うことは出来なかったとしても、(やっぱり犬っていいな)と思った。何故といって、ロンは兄に対して畏敬にも近い尊敬の気持ちを持ってはいるが、ただ犬が間に挟まっただけで、いつもより兄との心の距離が縮まったように感じたからである。
一方、イーサンは、あらためてこの年寄りのロットワイラー犬のことが哀れになっていた。おそらく、狩猟が好きだったというウェザビー家のおじいさんの元へ、彼は何回となく獲物を咥えては戻ってきたのだろう。その時に褒められたり美味しいエサを与えてもらったりしたことが、この犬にとっては天国に持っていける唯一の財産なのだろうと、そんな気がしたからだ。
イーサンとロンがダイニングに入っていくと、子供たちはまだ誰も起きてきておらず、マリーがキッチンで食事の用意をしているところだった。窓から朝の光が差し込む中、マリーが料理の下準備をする姿が、いつにも増してイーサンには美しく見える。
「あ、ワンちゃんのごはん、出来てますよ」
そう言ってマリーは、テーブルの上のササミの蒸したのと野菜の混ざった茶碗を指差した。自分が床に下ろしてもよかったのだが、それはロンが自分でやりたいだろうと思ったのである。
「ようーし、よしよし。待ーてまてまて……まだ待てだぞ」
犬がもうよだれを垂らさんばかりにじっと自分の手元に注目しているとわかっていながら、ロンはあえて焦らしていた。
「イーサン兄ちゃん、お手させて」
「しょうがないな」
冷蔵庫からレモン味のスポーツドリンクを飲むと、イーサンは犬にお手をさせ、それからお座りもさせた。するとロンがようやく、伏せの姿勢をさせた犬の鼻先にエサを置く。だが、犬はここまで来てもまだエサを食べようとはしない。
「ロン、可哀想だからそろそろ食わせてやれ」
「よし、食べていいぞ!!」
ようやく許可が出て、ロットワイラー犬はよだれを引っ込めるでもなく、そのままエサにかぶりついた。上品な食べ方とは言えなかったが、朝からあれだけ運動させられたとあっては、無理もなかったといえる。
「ほんと、賢いワンちゃんですねえ。きっと訓練したら盲導犬か何かになれたんじゃないかしら」
「そうだな。だがもう結構な老犬なんだろうし、元の飼い主の意向がどうあれ、あとは静かな余生ってのを過ごすしかないだろうよ」
もちろん、イーサンにもわかっている。その<静かな余生>というのが、ずっと鎖に繋がれっぱなしの、犬にとって本来の能力をまったく生かせないつまらないものであろうということは。
「マリー、今日はチーズトースト作ってくれないか」
「あ、僕もぼくもー!!」
朝から運動してすっかり疲れたイーサンがそう注文すると、ロンも同じものがいいと言った。マリーはホットサンドイッチかクロックムッシュを作ろうとしていたので、少し首を傾げる。
「えっと、クロックムッシュと目玉焼きでも作ろうかなって思ってたんですけど……」
「いや、それじゃちょっと時間かかるだろ。だったら目玉焼きだけ作ってくれ。トーストは自分でチーズのっけて焼くからさ」
おまえもそれでいいな、と眼差しで問われ、ロンは頷いた。
「っていうか、そのくらいならぼく出来るから、イーサン兄ちゃんは座ってて」
そう言ってロンはパン入れの中から厚めに切ってあるパンを四枚取りだし、バターを軽く塗ると、チーズをのせてトースターに二枚ずつのせた。
「そういえば、バターの値段がまた上がるんですって」
バターを塗っているロンに言うというより、マリーは独り言のようにそう言った。イーサンはといえば、いつものように新聞を読みはじめていたが、『うちみたいな金持ちには関係のない話さ』などとはもちろん思わない。どうやら、彼女はいつまでも元の小市民的な自分の生活が忘れられないらしい。
「値上がりって、いくらくらい?」
「えっとね、ニュースで聞いた話だと二ドルくらい跳ね上がるんですって。牛乳不足が原因らしいけど……そうなると当然、パンやケーキやバターを使ったお菓子全般も値上がりしちゃうでしょ。そのことを思うとなんだか溜息が出ちゃうわ」
「へえ。そうなんだ……」
このことについて、頭のいい兄がどう思っているのかと思い、ロンは新聞で顔を隠すようにしている兄のほうを見やった。
「ロン、おまえ、今こう思ってるだろ。牛乳はよく余ってるとか余った分を廃棄してるとかって聞くのに、なんでだろうって」
「う、うん。そう!!」
自分の考えていることが何故わかったのだろうと、ロンは驚いた。
「つまりそれはこういうことさ。牛乳やヨーグルトなんかを作ったあとに、バターってのは作ることになってるらしい。つまり、生乳っていうのが牛の乳から搾ったもんで、それを殺菌したのが牛乳だ。で、優先順位的にバターっていうのは最後に余った生乳で作ってるんだと。生乳を遠心分離機にかけたものがバターだが、優先的に牛乳やヨーグルトを作った最後にバターを作ってるから、足りなくなる……ということらしいぞ」
「えっと、でもそんなの変じゃない?だったらさあ、バターを優先的に作って、牛乳はいつも余るわけだから、優先順位を逆にすればいいんじゃないの?」
「俺もよくはわからんが、農家のほうではバターを優先的に作るよりもまずは牛乳を売ったほうが金になるらしい。ようするにそういうふうにもうシステムが出来上がってるんだろう。それに加えて、国全体として、酪農家の数も減ってきてるし、牛に食べさせるエサのほうも高くなってるってことだから、値段のほうは上がってもまるで不思議じゃないってことだな」
「ふう~ん……」
まだ合点がいかないといったように、ロンは首を捻っていたが、なんにしても最後には兄に感服した。自分の兄に知らないことなどあるのだろうかと思ったほどだ。
「なんにしても、兄ちゃん凄いね!!だって、なんでも知ってるんだもん」
ロンが感心したようにそう言うと、イーサンは新聞を持つ手が微かに震えていた。彼は笑いを堪えているらしい。
「ロン、兄ちゃんにもわかんないことなんか一杯ある。だがな、今俺が言ったことについては、ほら」
そう言うと、イーサンは新聞の社会面の記事のひとつを指差した。
「たまたまここに書いてあったんだ」
だが、ロンは「なあーんだ」とは言わなかった。そう言うかわりに大声で笑ったのである。けれど、彼が笑っているうちに、なんだか何かが焦げる匂いが鼻をついた。
「あ~、どうしよう。パン、焦がしちゃった!」
「いいわよ。焦げたのはお姉さんが食べるから、他に新しいのを焼いたらいいんじゃない?」
「いや、駄目だ」とここでイーサンが口を挟む。「焦げたもんを食うとガンになるっていうからな。それを捨てて新しいのを焼けばいいだろう」
「でも、もったいないでしょ?少し焦げたくらいなら……」
三人がそれぞれ、責任をもって自分が食べるだの、いや捨てろだのと揉めたところで――結局、焦げたパンはしきりと舌なめずりしていた犬が処理するということになった。ここにミミがやって来て、「にいたんたち、ずるーい!!」と何故か怒りだす。どうしてかといえば、三人+犬とで、何かと楽しそうに笑いながら食事をしていたからである。
マリーは食事の途中だったが、ミミのためにクロックムッシュと目玉焼きを作ってあげようと思い、彼女が自分の席に着くとこう聞いた。
「今日の目玉焼きは、カエルさんとネコさんと、どっちがいいの?」
「う~ん。今日はどうしようかな……にいたんたちはどうしたの?」
「俺はフクロウだった」とイーサンが答え、「ぼくはロボットだったよ」とロンが答える。ファニーサイドアップという目玉焼きを焼く型があり、それを使うとうまい具合に白身と黄身が分かれてそのような形になるのだった(ちなみに目玉焼きのことを英語でサニーサイドアップという)。
「じゃあね、じゃあね……ミミは今日はにゃんこさんがいいで~す!!」
マリーはコップに牛乳を入れると、ミミとうさしゃんの前にひとつずつ置いた。結局のところ、ミミが飲みきれなかった分はあとでマリーが飲むのである。それからクロックムッシュとネコの形をした目玉焼きを作って、ミミの前に置いた。
「さてと。ロン、犬のことはいつごろ連れてく?まあ、どんなに引っ張っても四時前くらいには連れてかないとな。あんまり可愛がられているといった予感はしないが、それでも向こうでも犬を探してないとも限らないから……なるべく早いに越したことはないだろう」
「う、うん……」
当のロットワイラー犬はといえば、ミミが食事をはじめると、彼女のそばにぴたりと寄り添っていた。何かおこぼれでももらえまいかと、物欲しそうな眼差しでミミのことを見上げている。
「おねえさん、ワンたんに少しかパンとかあげちゃダメ?」
「ええと、そうね。ワンちゃんはもう結構な量、ごはんは食べてると思うけど……」
それでもミミが犬にエサをやりたいだろうと思い、食パンを一枚とると、それを少しばかりちぎって犬に与えることをマリーは許可した。
ミミがぽてりと床にパンを落とすと犬は食べ、またぽとりとパンを落とすとそれも食べ……ということを何回か繰り返すと、ミミは最後、「もうないですよ~。なんていやしんぼうさんでしょう!」と犬に向かって言った。
「じゃあ、四時前くらいに返しにいくっていうことでいい?だってこいつ、うちのこの屋敷を出たが最後、また鎖に繋がれっぱなしの生活に戻ることになるんだもん。それだったら一秒でも長く、少しかいい思いをさせてやりたいんだ」
「ああ。じゃあまあ、俺はもう一回ちょっと寝る。朝早く犬に叩き起こされて、ちょっと眠いんでな。あと、ランディの奴は勉強させるから、よほどの用でもなければ出かけるなと言っておいてくれ」
そう言ってイーサンはあくびをひとつすると、犬の頭を撫でて自分の寝室へ行こうとした。すると、ロットワイラー犬が後ろをついてこようとする。
「あ~、おまえはここにいろ。ションベンやクソがしたくなったら、ロンに外へ連れていってもらえ。いいな?」
犬のほうでは、まるでイーサンの言った言葉がわかったように、その場にぴたりと座り、次にはソファの自分の寝床と定めたらしい場所へいって体を丸めて眠った。それでも、次にココが十時頃起きて来、ランディが十一時近くに起きてくると、その度にまるで自分の務めでも果たすようにふたりを歓待するため体を起こしていた。
こういったわけで、イーサンが昼近くに起きてくると、子供たちは前の日そうだったように、やはり四人が全員ともダイニングのテーブルで勉強していた。勉強していた、などと言っても、それほど気を入れてしっかりやっていたわけではない。ほとんどは犬のことで何やかやおしゃべりしながら、それでも時々ちょっとは問題を解くようなこともしていたという程度である。
「お昼ごはん、どうしましょうか?」
「ああ、俺はクロックムッシュでいい。どうせランディはあれだろ?ついさっき起きてきてメシ食ったばっかなんだろ?じゃあ、一勉強してからなんか食ったほうがいいな。何分、来年から開校するって学校だから、どんな試験問題が出るのか、どの程度の点数を取れば受かるのかとか、そのあたりのボーダーラインがよくわからんからな。とにかくやれるだけのことはやって、あとは神頼みだ。ランディ、おまえ、セブンゲート・クリスチャン・スクールに合格するまでは日曜ごとに礼拝に通えよ。で、なんか確信できたら洗礼を受けろ。それが無理なら、面接の時に『洗礼のほうはいつかイスラエルのヨルダン川へ行って受けたいと思ってます』とか、適当に言っとけ」
イーサンのこの言葉を聞いて、顔の表情を厳しくしたのはマリーだった。ランディくらいの子に、相手が誰であるにせよ、神さまのことで嘘をつかせるだなんて許せないとしか彼女には思えない。
「でもさあ、イーサン兄ちゃん。その『確信』っていうのはどっからやって来るの?べつに俺、洗礼は受けてもいいよ。イエス・キリストが神さまっていうことも、信じてるような気もするけど……俺、結局よくわかんないんだよね。神さまがもし本当にいるんなら、なんでアフリカの難民の人は食べ物のことで苦しんでるんだろうとか、そういうことだけど」
「そうだなあ。ランディ、おまえの言ってることはもっともだ。世の中には極ほんの小さいうちに亡くなる子もたくさんいるし、戦争で片腕を失くしたりとか片足を失くしたりとか、神さまがいるんならなんでこんなことが起きるのかってことで満ちている。このことに関する神の関与しない科学の答えっていうのは、<すべては偶然から発生した>というものだ。宇宙のビッグバンからはじまって、今この瞬間に至るまでがすべて、ただ偶然の連続なんだ。そこに神とか運命だとかを持ちこむのは、人間の脳の問題だな。たとえばランディ、おまえがもし『そろそろ靴を買わなくちゃ』と思ってた時に、ある靴屋のCMを三回見たとする。そんなのはもちろんただの偶然なんだが、おまえはそこで靴を買うのが自分の運命なんじゃないかと思って買いに行ったりする……何かそんなことの連続で世の中は成り立ってるってわけだ」
「ええ~っ。なんかそんなの面白くないし、ロマンがなくない?わたし、誰かに恋をして、そのあとその人と三回くらい<偶然に>会ったりしたら、きっと運命だとか思っちゃいそうだもん」
ココはそう言って、不満そうに口を尖らせている。
「まあ、科学の冷たい火を通すと、なんでもそんなことになっちまうんだろうな。だがここに<神>っていう概念を持ちこむと、すべての問題は解決される。宇宙を造ったのも神、この全世界を造ったのも神、あれも運命ならこれも運命、あれもこれもどれもそれも神さまのお導き……っていう具合にな」
「そんなの変だよ」と、ロンが抗議する。「ぼくは神さまっているって信じてるけど、だからといって、なんでもかんでも運命だとまでは思わない。だってそうだろ?ぼくはこいつに運命めいた縁を感じるけど、だけどうちじゃ飼ってやれないんだ。ということは何?こいつはウェザビーさんちの家で大して可愛がられるでもなくそのまま死ぬのが運命ってこと?そんなのおかしいじゃないか」
「そうだな。だけどロン、そんなのは今にはじまったことじゃないんだ。この犬以上に不幸な境遇にある犬もたくさんいるし、そんな犬はこれからもいっぱい生まれてくるだろう。人間だって同じだ。自分に苦しみがある時、こんな思いをしているのは人類が生まれて以来自分だけだと思っても、そんな人間は今までだっていたし、これからだっていなくなることはない――人間は弱い生き物だからな。そういう時、やはり神はいると信じて縋りたくなるものだっていう、俺が言いたいのはそういうことだ。神がいるかいないかなんて、永遠に証明されることはない。だが、いると信じたほうが人生を前向きに生きられる人間にとっては必要な概念なんだろう」
マリーはただ黙ってイーサンの話を聞いていたが、かといって彼に反論しようという気にはなれなかった。それに、どちらかというと今は、犬のことのほうが心配だった。犬自身と、また犬を巡るロンの感情のことのほうが……。
「この犬、うちで飼っちゃダメ?」
ロンは感情的になるあまり、ついそう口走ってしまった。そして思いきって言えてよかったと思った。じゃないとこれから先、自分はああする以外なかったのかと、後悔し続けたことだろう。
「もちろん、わかってるよ。こんなおっきい犬、毎日世話するってだけでも大変だっていうのは。だけど、もしかしたらこいつにとってはうちで飼われて幸せに死ぬっていうことが運命かもしれないじゃないか。それなのに、大して面倒みてくれそうもない飼い主の元へ返すだなんて、可哀想だよ」
「ロン、おまえの言ってることは正しい。だがな、法律的なことをいえば、やはりこいつはウェザビー家の財産の一部なんだ。それを誰かのものと知っていて引き取るのは、泥棒するに等しい。だがまあ、そうだな。ウェザビーさんに話して、うちに引き取りたいって言って、向こうでもちょうどこの犬が邪魔だったっていうんなら、そうしてもいいかもしれない。だが、事はおまえひとりの問題じゃないからな、民主的に家族の中で多数決を取ることにしよう」
イーサン自身は今も当然、このロットワイラー犬を飼うことには反対である。だが、自分よりも弟の言ってることのほうが正義に近かった以上は仕方がないと思った。ちなみに、イーサンはこの種の議論についてはロイヤルウッド時代より相当鍛えられており、そうした学生同士の議論の中では常に言っていることの正しいほうが勝つとは限らない。弁論のうまい奴がどうにか相手の論理の弱い点をついて論破することによって成り立っているので、究極、「戦争は善か悪か」という議論で、「戦争は善である」と主張する側が勝つこともありうるということである。
だがこの場合、自分がいくら理屈を並べたところで――ロンの言っていることのほうが正しいということをイーサンは潔く認めたのである。
イーサンが「この不細工で飼っても大していいことのない気のする犬を飼ってもいいっていうやつは?」と聞くと、ロンとランディ、それにミミとマリーが手を挙げた。「ということは、だ」と、イーサンは言葉を続ける。
「反対なのは俺とココだけってことだな。だがまあ、ひとりの意見が他の四人を圧するということもあるから、一応ココにも平等に反対な理由を聞いておくか」
「だって、べつにわたしはこの犬にエサをやるわけでもなければ、散歩に連れてくってわけでもないからいいわよ。だけど、結局そうなると毎日イーサンが機嫌悪くイライラするかもしれないっていうのが嫌なの。だってそうでしょ?ロンひとりじゃ絶対面倒なんて見れるわけないんだから、皺寄せがいくのはおねえさんとイーサンだもん。だけどわたし、『だからあの時わたしが反対したのに』とだけは言わないよ。だって、わたしには関係ないことですからね」
(かっわいくねー)と互いにそう思い、ランディとロンはいつものように目を見合わせるだけで会話を終えた。
「ま、俺が反対な理由も大体同じようなことだな。実際、可哀想なのは一応賛成せざるをえなかったマリーおねえさんってとこか。基本的には外に大きい犬小屋でも作ってそこで飼うにしても……おまえら四人のガキどもの世話の他に犬の面倒まで見なきゃならんとはな。俺にとって最後、唯一の救いは、ウェザビーさんが実はそんなに悪い飼い主でもなくて、この犬のことも探してたってことかもしれないな。なんにしてもロン、少し早いがな、そうと決まったらウェザビーさんちに交渉しにいくぞ」
「う……うんっ!!」
ロンが出かける用意をするまでの間、イーサンはランディに「俺が帰ってくるまでの間、問題をここまで解いておけ」と指令を出しておいた。また、マリーのことを隣の部屋へ連れだし、「あんた、本当にこれでいいのか?」と聞くことも忘れない。
「いや、今更反対も出来ないってのはわかってる。だがな、どうせ犬を飼うにしても、もっと小型犬の可愛い犬ってのがペットショップにはわんさといるからな。どうせ、俺とあんたの負担が増えるだけだってのも目に見えてるわけだから……」
「いいんです。それにわたし、あの犬が嫌いじゃありませんし……それに番犬として役に立ってくれるんじゃないかしら。何より、ロンの窮地を救ってくれた犬なんですもの。あの犬のお陰でジョン・テイラーがクラスで静かにしてるっていうんだとしたら、うちで飼っても罰は当たらないんじゃないかって、そんなふうに思うんです」
「だけど、実際思った以上に絶対大変だぞ。俺だって、今日散歩に連れていったってだけでぐったり疲れたし……」
(ああ、俺はやっぱりこの女のことが好きなんだな)と、ふたりきりになった途端急にまたそう思い、イーサンは複雑だった。<セブンゲート・クリスチャン・スクール>に合格するため、適当に信仰深い振りをしとけ……といった主旨のことを口にした時、彼女はこの意見が明らかに気に入らないらしいとイーサンは気づいていた。けれど、犬を飼うのも仕方ないとの結論をイーサンが導きだすと、やはり彼女はどこかまた幸福そうに微笑んでいた。
「それなら大丈夫ですわ。うちの庭は広いですから、門のところをしっかり塞いで、あとは庭を自由に走り回らせてあげたらいいだけですもの。あと、エサのほうは作るのが面倒だった日はドッグフードをあげるとか……今、コマーシャルなんかでも色んなタイプのエサがあるみたいですものね。それでもし聞けそうだったら、普段はどんなものを食べてるのかとか、聞いてきてもらってもいいですか?」
「あ、ああ……」
すぐ後ろにすっかりシーツの整えられたベッドがあるのを見て、イーサンはいつもながら(これでガキさえいなけりゃあな)とそう溜息を着かざるをえない。しかも、他に犬の現実的な排泄物の問題についてまで口にしなければならなかったのだから尚更だった。
「だが、あと他にクソの始末なんかもあるぞ。俺が気づいた時にはそりゃ片付けてもやるが、なんにしても病気したら動物病院へ連れていってやったりなんだり……なんにせよ、何かと余計に面倒なことが増えるってことだからな」
「いいんです。あなただって大学院のほうで一生懸命勉強されてるんだし、子供たちには学校があります。だから、基本的にあの犬のことはわたしが一人ででも面倒を見るつもりですから」
(なんか、悪いな。余計な負担がまた増えちまったみたいで……)
イーサンがそう口にしようとした時、用意のできたロンが犬を連れて部屋のドアのところに立っていた。
「ぼくのほうはすっかり準備いいよ!こいつのこと、飼いたいって言ったのはぼくなんだから、毎日のうんこの始末なんかは当然ぼくがするよ。それでさ、おねえさんはぼくがちゃんと面倒見てないと思ったら「そういう約束だったでしょ」って叱ってくれればいいから」
「本当にそうだぞ、ロン!!」
そう言って弟の頭を小突くと、イーサンは黒のジャケットを着、そのポケットに車のキィを突っ込んだ。この犬の性格からいって、車の中で粗相をする心配はないだろうと思い、そのまま車の後部席にロンと犬のことを乗せるということにする。
ウェザビー家までは五分もかからぬ距離ではあったが、相手が留守にしているかもしれないと考えて、イーサンは車にした。そして、もし仮にウェザビー家の人々が犬を手放すことに同意してくれたとしたら、そのままデコラデパートへ直行し、色々な犬グッズをロンと一緒に買ってこようと思っていたのである。
ところが……。
家の呼び鈴を鳴らせども、一向誰も出てこなかったため、イーサンは大きな窓のあるほうへ回ってそこを叩いてみることにした。まだ明るいというのにぴったりカーテンを閉め切ってあり怪しさ満点だったが、流石にギャングの類は出てこないだろうとイーサンは思っていた。
これで誰も出てこないなら本当に留守ということだ――そう思い、イーサンは犬小屋のある裏庭のほうをあらためて見て、その塀の高さに驚いた。(こりゃ確かにジョン・テイラーの奴が捻挫するだけのことはあるな)、そして彼が粗末な犬小屋を覗いてみると、一体いつからそこにあるのか謎の毛布が一枚と、犬小屋の脇には犬が力任せに抜いたらしい鎖を繋ぐための鉄の杭が抜け落ちていた。
さらに、そこから視線を転じるにつれて、イーサンは思わず大笑いしてしまう。何故なら、犬が鉄の杭を抜いたのも道理だと思ったからだ。犬の鎖はとても長く、家の角を回っておそらくは正面口近くまでじゃらじゃらと走っていけるだろう。あの犬のことだから、それが郵便局員でも誰でも、人がやって来たら一目散にそちらまで走っていったに違いない。そんなことを365日、何かにつけて毎日行っていれば……最終的にロットワイラー犬が逃亡するのは火を見るより明らかだとしか言いようがない。
「イーサン兄ちゃん、何がそんなにおかしいの?」
尊敬する兄が意外に笑い上戸だと知っているロンは、犬の鎖を引きながらにこにこして聞いた。呼び鈴を五六回ばかりも鳴らし、窓まで叩いたのに人の気配がまるでしないということは、ウェザビー夫妻は留守なのだと思った。そして、ということはこの犬ともう一日一緒に過ごせるということで、そのことを思うと嬉しかった。
だが、イーサンが「いないみたいだから、帰るとするか」と犬の頭を撫でて言った時のことだった。庭に通じるフランス窓が開くと、カーテンがシャッと脇へどけられる。
「一体なんだ、あんた……」
サンダルを突っかけて鉛筆のように細い中年男が庭に出てくる。と同時、ロットワイラー犬がロンの手を離れ、自分のご主人のことを押し倒しにかかった――イーサンもロンも、男があまりにガリガリに痩せているため、絶対に尻餅をつくと思った。だが、ウェザビー氏はやはり慣れているのかどうか、ロットワイラー犬の重みにしっかりと堪え、彼の頭を撫でてやっていた。
「おお、よしよし。一体どこへ行ってたんだ、サンダー」
犬の名前がサンダーだったことに、イーサンもロンも軽く衝撃を受けたが、(まあ、いいか)と、お互い顔を見合わせ、その点は流すということにする。
「その、うちの弟が」と、イーサンは隣のロンの頭をはたいた。「ヴィクトリアパークのあたりでこの犬のことを発見しまして……きのうはとりあえずうちに連れてきたんですが、弟が学校の帰りによくパンをやっている犬だと言うもんで、こうして連れてきたといった次第で……」
「そうだったんですか!いやあ、それはすみませんでした。今朝犬小屋を見たらサンダーの奴がいなかったもんで、逃げたとしたら保健所にでも連れていかれたかなと思ってました」
犬のほうではこの飼い主に懐いているらしく、その顔を一生懸命なめまわしていることからもそれは明らかだった。ここで、イーサンは『どうする?』といったようにロンの顔を見下ろし――弟のほうではしきりと首を振ってみせたのだった。つまりそれは『何も言わないで』という意味だった。
すっかり愛し合っているといった様子のロットワイラー犬とウェザビー氏の姿を見て、ロンは(この犬にとってはこの家にいることが幸せなのかもしれない)と初めて思ったのである。
「わざわざ来ていただいたのに、申し訳ありませんなあ。何分、今ちょっと仕事中だったもので……またこれから続きに取りかからねばならないのです」
「そうですか。こちらも、そのようなこともわからず、何度も呼び鈴を鳴らしたり、庭先まで上がりこんだりして……むしろ失礼なことでした。申し訳ありません」
イーサンはそう挨拶して、ウェザビー家をロンとともに辞去していた。この時、イーサンはウェザビー家について少しばかり違和感を覚えていたかもしれない。ロンの話によると、ウェザビー家はいつ来てもカーテンが閉めきってあるということだったが、家の主人は今『仕事をしていた』と言った。ということは、普段もずっとそうだということなのだろうか?
(ロンからその話を聞いた時には、どこかの工場ででも深夜帯のシフトで働いているのかと思っていた。それで、昼間は寝ているから閉めきってるとか、理由ならいくらでもあるからな。だが、家の中から流れてきた、妙な匂いや散らかっている様子……それに、あの太った女性がおそらくはウェザビー夫人ということなのだろうか?)
といってもイーサンは、庭を横切る時にちらと部屋の奥のほうを見た程度なので、何か確定的なことを言うことは出来ない。ウェザビー夫人は赤毛で、一瞬見た限りにおいてびっくりするほど太っていた。旦那のほうは鉛筆のように痩せているのに、その対比は何かのコントのように滑稽に見えたかもしれない。
「兄ちゃん……これで良かったんだよね?」
「あ、ああ」
イーサンは車を走らせる間、不思議なウェザビー夫妻のことについて考えていた。狩猟が好きだったというおじいさんが死に、その次におばあさんが亡くなり、子供がいたはずだが、最近見かけないと思ったら、その子もまた病死していた……という、近所の噂話である。
「まあ、俺はてっきりあの犬を連れていっても大していい顔なんかされないんじゃないかと思ってた。だが、あれだけ懐いてるのを見たら……『うちで飼いたいんですが』とはちょっと言えないな」
「うん。ぼくもそう思ったから一生懸命首を振ったんだよ。それにぼくも、もっと意地悪っぽそうな人がご主人なんじゃないかと思ってたけど、なんかフツーのいい人っぽそうなおじさんだったし……」
「だな。けどまあ、あの犬の代わりに――別のが飼いたいっていうんなら、このままペットショップに行ってもいいんだぞ?」
ロンはここでも一生懸命首を振った。
「ううん。ぼくはあの犬……サンダーのことを飼いたかったんだ。でも、ぼくが私立中学にもし合格できたら、寮に入ることになるでしょ。そしたら、犬の面倒はおねえさんに押しつけることになるし……だからいいよ」
「それにしても、名前がサンダーだったとはな」
ここでロンは一回、とても愉快そうに笑った。
「なんか、合ってるような合ってないような、微妙なネーミングだよね。ぼくも一生懸命、もし自分ちの犬になるんだったらなんてつけようかなって考えたけど、その中には流石にサンダーはなかったよ」
「ほほう。じゃあ、他のは?」
イーサンは少し遠回りすると、やはりデコラデパートへ行くことにした。そこで、漫画を描く画材でもなんでも、あるいは漫画本でも――ロンの欲しいものを買ってやろうと思った。ここには大型の書店が四階に入っていて、漫画本の種類もなかなかに充実しているのだ。
「ロバートとかクーパーとか……あとはジョージにセオドア、テディでしょ、アダムにジャクソン、テイラー、ヴィクトリー、キング、ベンジャミン……ハリーにフィッツジェラルドにロナルドにチャーリー……なんか一杯考えたけど、どれもいまいちピンと来なかったかも」
「そうか?俺はフィッツジェラルドなんかいいと思うがな。少なくともサンダーよりはネーミング的にマシだろう」
「そうかなあ。結局みんな、絶対フィッツジェラルドなんて呼ばないで、そのうちフィッツとだけ呼ぶようになるよ。まあ、なんにしてもどうでもいいや。サンダーがぼくんちに来ることはもうないんだし……」
ここで、ロンが助手席で泣きだしたため、イーサンは弟の頭をぽんと叩いた。イーサンにしてみれば、結果としてこれで良かったとはいえ……弟の切ない気持ちもよくわかったからである。だが、これでマリーに負担をかけずに済むと思うと、やはりほっとする気持ちのほうがそれよりも上回ったかもしれない。
「ほら、元気だせ。これからデコラデパートの本屋で、ロンの好きな漫画でもなんでも最終巻まで全部買ってやるから」
「う、うん……でも、ほんとにいいの?」
ロンは目頭の涙をティッシュで拭うと、運転席の兄のほうを振り返る。
「いいも何も……仮にペットショップで犬を一匹買ったとしたら、一体いくらすると思う?それに比べたら、おまえの好きな日本の漫画を一式買ってやってゲームセンターで遊んで帰ってくるくらい安いもんだぞ」
「なるほど、そっかあ。そういう考え方もあるかあ」
ロンはまだ少し悲しくはあったが、一生懸命自分に(これで良かったんだ)と言い聞かせながら笑った。そして、兄と一緒に日本の漫画を選んで買ってもらい、一度それを車に置いてからゲームセンターで遊んで帰ってきた。
「イーサン兄ちゃん、ありがとう」
車から降りる時、ロンは最後にそう言った。
「あの犬、たぶんもう先は長くなさそうだから、可哀想って思ったけど、別の意味ではこれで良かったのかなって思う。だって、たったの二日いただけでもこんなに悲しいのに――サンダーが死んじゃったりしたら、今よりもっと悲しくなるってことだもん。だから、これで良かったんだと思う。あと、漫画の本もありがとう」
イーサンは弟の頭をぽんと撫でると、ロンが降りたあと、車をガレージのほうへしまった。そろそろ車検に出さなければならないので、明日あたり知り合いの整備工場と連絡を取らなくてはと、ちらとそう考える。
夕食の席で、ロンが犬のサンダーの顛末について話すと、家族は誰もがっかりした顔の表情をしていたものだった。それは実はココやイーサンにしても同じことだったので、以降そのことには一切触れなかったほどだ。
だが、この二日後……ウェザビー一家は犬も含めて全員が不幸に見舞われることになる。実際、イーサンはポストに新聞を取りにいき、その陰惨な事件の記事を読んだ時、心底ぞっとしたものだった。【ユトレイシア市内で中年夫妻が惨殺される】との記事の内容は、大体次のようなものだった。
おそらく、ウェザビー氏は拷問を受けたのだろう、片手の指が五本ともなかったという。また、夫人のほうも殴る・蹴るといった暴行を受けており、顔の形が誰か識別できぬほど腫れあがった状態で発見されたとのことだった。また、ウェザビー家で飼われていた犬は……頭に銃弾を二発受け、息絶えていたと、記事のほうにはそう書いてあった。
――この時点では、何故夫妻が殺されたのか、その理由のほうはまだわかっていなかった。だがその後、警察の調べのほうが進むと、アレン・ウェザビーは麻薬取引に手を染めており、それで儲けた金によって生活していたという。またさらに不気味だったのは、ウェザビー家の家の下のほうから誰かもわからぬ死体が二十体ばかりも出てきたことだろうか。家の中を調べると、誰のものかわからぬ複数の血液反応が出たことから、麻薬取引のトラブルで拷問をし、そのあと死体を埋めていた疑いがあるとのことだった。
また、その中に何故か七つや八つくらいの子供の遺体が二体あったことから、ユトレイシア第一小学校の近辺に住む親たちは特に震撼とした。それはマリーやイーサンも例外でなく、イーサンは暫くの間車で子供たちの送り迎えをしたくらいである。
「あの時、強引にでもぼくがサンダーのことが欲しいって言ってたら……あいつだけでも死ぬことはなかったんじゃないかな」
そう言ってロンが自分に抱きついて泣くのを見て、マリーはロンを連れ、ウェザビー家の葬式へ出席することにした。亡くなり方が亡くなり方だっただけに、参列者の少ない寂しい葬式だったが、犬のサンダーも一緒に葬られるとのことで、マリーはロンが何かの心の区切りに出来ればと思ったのだ。
そういうことなら……ということで、イーサンも一緒について行ったが、それはなんとも言えない悲しい葬式だった。神父の言う「塵は塵に、灰は灰に」という言葉も、麻薬取引のことが原因で夫妻が亡くなったことを思うと……特別何か虚ろに響いた。そうした犯罪に手を染めていたウェザビー夫妻でも、真実本当に天国へ行けるものなのかどうか、非常に疑問であるとしか言いようがなかったからだ。
「おねえさん。ウェザビーさんの親戚の人たちが……「殺されても仕方がない」とか、「煉獄で罪を清めるしかない」とかって言ってたの、どういう意味?」
ユトレイシア郊外にある墓地からの帰り道、ロンはサンダーの死を悼んで泣いたあと、マリーにそう聞いていた。イーサンは運転席、マリーとロンは後部席にいたが、マリーは隣のロンの髪を撫でながら言った。
「そうね。ウェザビーさんご夫妻の親戚の方は……たぶんきっと愛情からああいう言い方をしたのよ。みなさん、警察に呼ばれたりして色々大変だったでしょうし、弟がまさか麻薬取引に関わっているだなんて、思ってもみなかったんでしょうね。だから、おふたりがしたことを思えば、ああいう言い方しか出来なかったのよ。でも家族としては愛してるっていうふうに、おねえさんには聞こえたわ。そうじゃなかったら、あんなに泣いたりされないでしょう?」
「うん。それはわかるんだ。だけどぼく、煉獄なんて教会でも聞いたことなかったから……煉獄と地獄っていうのは違うの?」
ロンは、ウェザビー夫妻の親戚たちが、口では「本当にどうしようもない馬鹿だ」とか「死んだことで罪は償われたはずよ。だってあんなひどい目に遭ったんですもの!」としきりに言っては、啜り泣く様子を思いだしていた。参列者の割合としては、アレン・ウェザビーの兄弟姉妹といった親戚がほとんどで、奥方のメリンダ・ウェザビーのほうの知人や友人といった列席者は話を聞いているとほとんどいないようだった(つまり、この悪妻にそそのかされて引き返せない道に弟は入りこんだのだろう――といった話を、特に人の目を憚るでもなく彼らはしきりと繰り返していたのである)。
「そうね。煉獄というのはプロテスタントにはない概念ですものね。煉獄っていうのはね、天国と地獄の間にあって、死者の霊が天国へ行く前に浄化されるところなのよ。ロンはダンテの『神曲』なんて読んだことあって?」
「ううん、ないよ。読んでみたいと思ったことはあるけど……難しそうだなと思って」
「でも、屋敷のほうの図書室にとてもいい本があったわ。抄訳版なんだけれど、ギュスターヴ・ドレの版画がたくさんついてて、文字も大きくて読みやすいのよ。確かあの中に、死んだ人のために祈ってる人がいると、それだけ早く煉獄を抜けて天国へ行けるってお話があったんじゃないかしら。だからね、ロン。お亡くなりになった気の毒なウェザビーさんと、サンダーのために一緒にお祈りしましょう。そしたらね、サンダーはともかくとして、おふたりはその分早く天国へ行けるに違いないわ」
――この件について、イーサンとしてはマリーに言いたいことがいくつかあったが、それはあくまで神学的・哲学的観点から見た場合の意見なので、彼は黙っておくということにした。子供向けの話としてはそれで十分だと思ったというのも当然ある。
「でも、おねえさん……サンダーはともかくとしてっていうのは、サンダーは犬だから、そもそも天国には行けないとか、そういう意味なの?」
「まあ、違うわ。だって、サンダーには何ひとつとして悪いところはなかったんですもの。飼い主のウェザビーさんを守ろうとして、悪者たちに飛びかかっていこうとして殺されたんですものね。言ってみれば殉教にも近いような、尊い神聖な犠牲をサンダーは払ったんですもの。きっとこれから何十年もしてロンがおじいさんになって死んだ時、天国の真珠の門にはサンダーも迎えにきてるに違いないわ。きっとそうよ」
「そう。そんならいいんだけど……」
このあと、ロンは屋敷の図書室でマリーからダンテの『神曲』の厚くて大きな本を手渡された。ロンはギュスターヴ・ドレの挿絵がふんだんに使われたその本を夢中になって貪り読み――この時以降、漫画本だけでなく、小説のほうも少しずつ読むということになっていく。そして、そうした習慣の出来たということは、将来漫画家になりたい彼にとって、とてもいいことだったようである。
>>続く。
ええと、今回はほんの少し言い訳事項があったりもして。。。
↓に出てくる、バター値上がりの理由に関してなんですけど、実はわたしもこれ、理由がなんでなのかよくわかってません(^^;)
確か、ここ書いてる少し前くらいに……ラジオで、フランスだったかな??とにかくヨーロッパでバターが値上がりするという話を聞きまして
日本でもバターが値上がりするっていう理由がなんでなのかっていうのをニュースで見た覚えがあるんですけど、例によってその時は「そうなんだ~☆」とか思ってた割に、すぐその理由を忘れてしまいまして(殴☆)
でもその時は、あとでネットで軽くググればその理由もわかるかなって思ってました。もしかしたらわたしの検索の仕方が悪かったのかもしれないんですけど(汗)、なんていうか、値上がりの理由については結局のところわたしにはよくわかんなかったんですよね
それで、日本の農業の事情とフランスといったヨーロッパの農業の事情っていうのはまた違うでしょうから……フランスといったヨーロッパでバターが値上がりするのと日本の値上がりの理由もまた違うんじゃないかなとは思うですけど……やっぱり向こうと日本ではバターの消費量が半端なく違うんじゃないか、とのことで。
イギリスとかフランスとか、向こうでは「なんかあったらとにかくすぐバター率」(笑)が日本よりも段違いに高いんじゃないかと。パンにバターをたっぷり塗ったりするのも、それで喉の通りをよくするといった部分があるらしく、そうした意味でもバターの値上がりって日本以上に痛いっていうことだったんですよね
わたしも忘れちゃったんですけど(汗)、それも日本でいう三~五十円レベルじゃない値上げ率で、聞いたその時は「そんなに上がるの!?」とびっくりしたというか(確か、2~3ユーロレベルだった気がするんですけど、これもはっきり思いだせません)
まあ、そんなあやふやな情報を元に↓の文章を書いてるもので、でも実際はわたしもよくわかってないっていうことで、よろしくですm(_ _)m
ええと、あとは話の中に出てくるファニーサイドアップですか♪
(D-FORME楽天ショップ様よりm(_ _)m)
(GOLF&SPORTS Tstar様より)
(D-FORME楽天ショップ様よりm(_ _)m)
(GOLF&SPORTS Tstar様より)
(D-FORME楽天ショップ様よりm(_ _)m)
(D-FORME楽天ショップ様よりm(_ _)m)
なんか、わたしが聞いた話によると、コストコとかでも売ってるそうです(^^;)
まあこれも、「だからどーした☆」な話ではあるんですけど、一応↓のお話の中に出てきたもので、なんとなく。。。
では、次回は確かランディくんの「ラムネ事件」だったような気がします、たぶん(笑)
それではまた~!!
P.S.ここの記事書いてからもう一度ググってみたら、「そうそう。このニュース!」っていう感じで検索でヒットしました。
フランスでバターの価格が90%超値上がり、パン製造業者らが悲鳴
90%超値上がりって……一体今フランスの農業で何が起きているのかとすら思ってしまいますが、出来ればこのあたりの事情が何故なのか知りたいです。でも、池上さあ~ん!!とか言ってみても、流石に無理かなあ(笑)
聖女マリー・ルイスの肖像-【33】-
「ありゃ、可哀想なワン公だな」
「そうですね……」
マリーはイーサンの斜め向かいの席で、ハーブティを飲みながら溜息を着いた。ちなみに、マロウブルーという色の変化するハーブティーである。
「お腹のあたりも骨ばってるし、あんまり食べさせてもらってないのかしらって思ったり……」
「それだけじゃないぜ。さっきもトイレのために外に連れていったが、あれはたぶん小便するのを粗相するたんびに、飼い主に殴られるかなんかしてたんだろう。じゃないと、あのくらいの忠実さみたいなもんは生まれない」
「もし、ロンが……」
イーサンは予想していたというように、マリーのことを手で制した。それ以上のことは言うなというわけである。
「あの犬を飼うのは無理だ。もう結構な歳だろうし、ウェザビーさんちで往生したほうがいいだろう。第一、隣の町内とはいえ、あの犬がこの家にいるのを見た人間が、ウェザビーさんに知らせるかもしれないしな。なんにしても、あいつらもこれで犬や猫を飼うっていうのがどんなに大変かが少しくらいはわかったろうさ。散歩へ行くたんびに足を洗ってやったり、小便の始末をしてやらなきゃならなかったり……まあ、今回のことはあいつらにとってもいいことだったろうな」
「ええ。あの、わたし……わざわざ携帯に電話して呼びだしたのに、帰すのが明日なら、そんなに急いで帰っていただく必要もなかったですよね。ごめんなさい」
「いや、そうでもないさ」
イーサンはパンダクッキーを食べながら笑った。
「仮に七時とか八時くらいに帰ってきて、突然この犬にタックルされたりしたら、俺はたぶんブッチぎれていただろうからな。あんたの判断は正しいよ。それに俺は、まずは何がどうでもこの犬を洗ってやらなきゃ気が済まなかったろうし」
マリーはソファの足許のあたりで体を丸くしているロットワイラー犬の元までいくと、彼の頭や体を撫でてやった。犬はなんだか少し疑い深いような目をしており――その眼差しはまるで、「いつもは犬小屋で寝てるのにな。どうしたんだろう」と訝っているかのようだった。
イーサンもまた、茶と黒の混ざった犬の前までいき、彼の顎の下あたりを撫でてやる。
「今日は俺、ここのソファで寝るよ。こいつがトイレに行きたそうだったら、外に連れてかなきゃならないしな」
「じゃあ、枕と上にかけるタオルケットとか、持ってきますね」
犬の毛並みを撫でている時に、イーサンはマリーと手と手がぶつかったりした。けれど彼女はすぐそう言って、犬からも彼からも離れていってしまう。
実をいうと、最近、以前に比べて自分とマリーは「いい感じ」になってきたとイーサンは思っている。今みたいに、子供たちのためにイーサンが自分の時間を犠牲にしたり、子供たちのためを思って何かの面倒を引き受けたりすると――マリーは何故か「子供たちのかわりに、自分がお礼をしないと」といったような顔をすることが多い。
もちろん、ランディもロンもココもミミも、イーサンと半分血の繋がった弟妹なのだから、彼女がそんなことを思う必要はない。けれど、マリーがどこか申し訳ないような顔をする時……(あともう一押しだな)と、イーサンとしてはそのように思うのだった。
「やれやれ。俺もおまえのことを飼ってやりたい気持ちはあるがな、そんなことしたら犬泥棒として訴えられるかもしれんし。なんにしても、帰る前にはたらふくうまいメシを食わせてやるから、それで勘弁してくれ」
このあと、イーサンはマリーの用意した枕をソファの腕木のあたりに置き、タオルケットにくるまって眠った。疲れていたため、眠りに落ちていくのはあっという間のことだった。そして、朝の五時前に犬の体の重みが胸のあたりにのしかかったことで――咳をつきながらイーサンは体を起こしていた。
「こらっ!!おまえ、俺を殺す気かっ」
それでも、犬が例のどこか哀れっぽい眼差しで玄関に続くドアのほうを見ると、イーサンは犬が自分を起こした理由を理解した。そこで、犬の小用のために外へ行き、そのあとついでに少し、散歩するということにしたのだが……犬のリードを引っ張る力があまりに強くて、イーサンも驚いた。何分、鎖のかわりに首輪に急ごしらえの紐を繋いでいるだけなため、ある瞬間にぶちっと千切れて犬が逃げだしでもしたら大変だった。
このあと、イーサンはヴィクトリアパークのほぼ端から端までを全力疾走したり、犬が樹や花や土の匂いを嗅ぐのに合わせて休んだりの繰り返しとなった。そして七時頃にようやく屋敷のほうへ戻ると、土曜だというのに早起きしたロンがダイニングで犬の帰りを待っていたのだった。
「イーサン兄ちゃん!!今度はぼくが庭で一緒に遊んでもいい?」
「そうだな。まあ、今日でお別れなんだ。念のため、兄ちゃんも一緒に見ててやる」
「わあい!!」
だが、ロンが骨の形をしたおもちゃを遠くに投げようとすると、犬のほうではしきりとあちこち草の匂いを嗅ぎ、最初は片足をあげ、次にはウンチングスタイルになっていた。イーサンは(やれやれ)と思いつつ、一度家の中に入ると犬のクソを始末するのにビニール袋を取ってきた。
「しっかし、図体がでかいと自然、クソのほうもでかくなるってわけだな」
ビニール袋を二重にしたあと、イーサンは外に置いてあるゴミ箱のところまで、それを捨てにいった。ちなみに、次のゴミ収集日は月曜日である。
「きのう、色々いっぱい体にいいもの食べたからじゃない?おねえさんが肉だけじゃバランスが悪いからって言って、野菜を茹でたりしたら、もりもり全部食べてたもんね。あとは人間様が食べるのと同じ、高級な豚肉とか……」
「そうだな。ま、そのせいもあるか。だがな、ロン。このでかい犬を毎日散歩させて、こういうクソの始末まで毎日するってのは、本当に大変なことだぞ。俺はマリーには、そこまでの負担はかけたくない。それじゃなくてもおまえら四人のガキどもの面倒を見るだけで大変なんだからな」
「わかってるよ」
きのうの夜、寝ながらずっとこの可哀想なロットワイラー犬をどうしたら我が家で飼えるだろうかと考えていたロンだったが、急に今になって兄に何も言えなくなってしまった。犬のクソの巨大さに怯んだせいではない。ただ、どうにかして兄に頼みこもうと心に決めて階下に下りてきたのに――実際に兄が犬を散歩させ、汗をかきながら戻ってくる姿を見ると、自分が毎日散歩へ連れていくのは無理だということがはっきりわかったのだった。
このあと、ロンは腕が疲れるまで骨のおもちゃを投げ、それを犬が拾ってくるということが何十度となく繰り返された。犬のほうではそれを自分の宝物にしてがじがじと齧るでもなく、ロンの手元に持ってきては尻尾を振り、彼に体を撫でられたがったのである。
「イーサン兄ちゃん、ぼくもう、疲れちゃったよ」
ロンがぐったりして、右の肩のあたりを揉むと、今度はイーサンがかわりにクォーターバックの強肩を生かして、随分遠くまで遠投した。だが、犬はまたしても全速力で駆けていき、獲物を口にして嬉しそうに戻ってくる。
「いやいや、大したもんだな。俺とだって結構な距離走ったんだぜ、こいつは。だけどまあ、もう年寄り犬だからな。無理させるとあとからぐっきりくるかもしれん。そろそろこいつも一緒に朝メシでも食うとしよう」
「うん!!」
ロンはこのロットワイラー犬を飼うことは出来なかったとしても、(やっぱり犬っていいな)と思った。何故といって、ロンは兄に対して畏敬にも近い尊敬の気持ちを持ってはいるが、ただ犬が間に挟まっただけで、いつもより兄との心の距離が縮まったように感じたからである。
一方、イーサンは、あらためてこの年寄りのロットワイラー犬のことが哀れになっていた。おそらく、狩猟が好きだったというウェザビー家のおじいさんの元へ、彼は何回となく獲物を咥えては戻ってきたのだろう。その時に褒められたり美味しいエサを与えてもらったりしたことが、この犬にとっては天国に持っていける唯一の財産なのだろうと、そんな気がしたからだ。
イーサンとロンがダイニングに入っていくと、子供たちはまだ誰も起きてきておらず、マリーがキッチンで食事の用意をしているところだった。窓から朝の光が差し込む中、マリーが料理の下準備をする姿が、いつにも増してイーサンには美しく見える。
「あ、ワンちゃんのごはん、出来てますよ」
そう言ってマリーは、テーブルの上のササミの蒸したのと野菜の混ざった茶碗を指差した。自分が床に下ろしてもよかったのだが、それはロンが自分でやりたいだろうと思ったのである。
「ようーし、よしよし。待ーてまてまて……まだ待てだぞ」
犬がもうよだれを垂らさんばかりにじっと自分の手元に注目しているとわかっていながら、ロンはあえて焦らしていた。
「イーサン兄ちゃん、お手させて」
「しょうがないな」
冷蔵庫からレモン味のスポーツドリンクを飲むと、イーサンは犬にお手をさせ、それからお座りもさせた。するとロンがようやく、伏せの姿勢をさせた犬の鼻先にエサを置く。だが、犬はここまで来てもまだエサを食べようとはしない。
「ロン、可哀想だからそろそろ食わせてやれ」
「よし、食べていいぞ!!」
ようやく許可が出て、ロットワイラー犬はよだれを引っ込めるでもなく、そのままエサにかぶりついた。上品な食べ方とは言えなかったが、朝からあれだけ運動させられたとあっては、無理もなかったといえる。
「ほんと、賢いワンちゃんですねえ。きっと訓練したら盲導犬か何かになれたんじゃないかしら」
「そうだな。だがもう結構な老犬なんだろうし、元の飼い主の意向がどうあれ、あとは静かな余生ってのを過ごすしかないだろうよ」
もちろん、イーサンにもわかっている。その<静かな余生>というのが、ずっと鎖に繋がれっぱなしの、犬にとって本来の能力をまったく生かせないつまらないものであろうということは。
「マリー、今日はチーズトースト作ってくれないか」
「あ、僕もぼくもー!!」
朝から運動してすっかり疲れたイーサンがそう注文すると、ロンも同じものがいいと言った。マリーはホットサンドイッチかクロックムッシュを作ろうとしていたので、少し首を傾げる。
「えっと、クロックムッシュと目玉焼きでも作ろうかなって思ってたんですけど……」
「いや、それじゃちょっと時間かかるだろ。だったら目玉焼きだけ作ってくれ。トーストは自分でチーズのっけて焼くからさ」
おまえもそれでいいな、と眼差しで問われ、ロンは頷いた。
「っていうか、そのくらいならぼく出来るから、イーサン兄ちゃんは座ってて」
そう言ってロンはパン入れの中から厚めに切ってあるパンを四枚取りだし、バターを軽く塗ると、チーズをのせてトースターに二枚ずつのせた。
「そういえば、バターの値段がまた上がるんですって」
バターを塗っているロンに言うというより、マリーは独り言のようにそう言った。イーサンはといえば、いつものように新聞を読みはじめていたが、『うちみたいな金持ちには関係のない話さ』などとはもちろん思わない。どうやら、彼女はいつまでも元の小市民的な自分の生活が忘れられないらしい。
「値上がりって、いくらくらい?」
「えっとね、ニュースで聞いた話だと二ドルくらい跳ね上がるんですって。牛乳不足が原因らしいけど……そうなると当然、パンやケーキやバターを使ったお菓子全般も値上がりしちゃうでしょ。そのことを思うとなんだか溜息が出ちゃうわ」
「へえ。そうなんだ……」
このことについて、頭のいい兄がどう思っているのかと思い、ロンは新聞で顔を隠すようにしている兄のほうを見やった。
「ロン、おまえ、今こう思ってるだろ。牛乳はよく余ってるとか余った分を廃棄してるとかって聞くのに、なんでだろうって」
「う、うん。そう!!」
自分の考えていることが何故わかったのだろうと、ロンは驚いた。
「つまりそれはこういうことさ。牛乳やヨーグルトなんかを作ったあとに、バターってのは作ることになってるらしい。つまり、生乳っていうのが牛の乳から搾ったもんで、それを殺菌したのが牛乳だ。で、優先順位的にバターっていうのは最後に余った生乳で作ってるんだと。生乳を遠心分離機にかけたものがバターだが、優先的に牛乳やヨーグルトを作った最後にバターを作ってるから、足りなくなる……ということらしいぞ」
「えっと、でもそんなの変じゃない?だったらさあ、バターを優先的に作って、牛乳はいつも余るわけだから、優先順位を逆にすればいいんじゃないの?」
「俺もよくはわからんが、農家のほうではバターを優先的に作るよりもまずは牛乳を売ったほうが金になるらしい。ようするにそういうふうにもうシステムが出来上がってるんだろう。それに加えて、国全体として、酪農家の数も減ってきてるし、牛に食べさせるエサのほうも高くなってるってことだから、値段のほうは上がってもまるで不思議じゃないってことだな」
「ふう~ん……」
まだ合点がいかないといったように、ロンは首を捻っていたが、なんにしても最後には兄に感服した。自分の兄に知らないことなどあるのだろうかと思ったほどだ。
「なんにしても、兄ちゃん凄いね!!だって、なんでも知ってるんだもん」
ロンが感心したようにそう言うと、イーサンは新聞を持つ手が微かに震えていた。彼は笑いを堪えているらしい。
「ロン、兄ちゃんにもわかんないことなんか一杯ある。だがな、今俺が言ったことについては、ほら」
そう言うと、イーサンは新聞の社会面の記事のひとつを指差した。
「たまたまここに書いてあったんだ」
だが、ロンは「なあーんだ」とは言わなかった。そう言うかわりに大声で笑ったのである。けれど、彼が笑っているうちに、なんだか何かが焦げる匂いが鼻をついた。
「あ~、どうしよう。パン、焦がしちゃった!」
「いいわよ。焦げたのはお姉さんが食べるから、他に新しいのを焼いたらいいんじゃない?」
「いや、駄目だ」とここでイーサンが口を挟む。「焦げたもんを食うとガンになるっていうからな。それを捨てて新しいのを焼けばいいだろう」
「でも、もったいないでしょ?少し焦げたくらいなら……」
三人がそれぞれ、責任をもって自分が食べるだの、いや捨てろだのと揉めたところで――結局、焦げたパンはしきりと舌なめずりしていた犬が処理するということになった。ここにミミがやって来て、「にいたんたち、ずるーい!!」と何故か怒りだす。どうしてかといえば、三人+犬とで、何かと楽しそうに笑いながら食事をしていたからである。
マリーは食事の途中だったが、ミミのためにクロックムッシュと目玉焼きを作ってあげようと思い、彼女が自分の席に着くとこう聞いた。
「今日の目玉焼きは、カエルさんとネコさんと、どっちがいいの?」
「う~ん。今日はどうしようかな……にいたんたちはどうしたの?」
「俺はフクロウだった」とイーサンが答え、「ぼくはロボットだったよ」とロンが答える。ファニーサイドアップという目玉焼きを焼く型があり、それを使うとうまい具合に白身と黄身が分かれてそのような形になるのだった(ちなみに目玉焼きのことを英語でサニーサイドアップという)。
「じゃあね、じゃあね……ミミは今日はにゃんこさんがいいで~す!!」
マリーはコップに牛乳を入れると、ミミとうさしゃんの前にひとつずつ置いた。結局のところ、ミミが飲みきれなかった分はあとでマリーが飲むのである。それからクロックムッシュとネコの形をした目玉焼きを作って、ミミの前に置いた。
「さてと。ロン、犬のことはいつごろ連れてく?まあ、どんなに引っ張っても四時前くらいには連れてかないとな。あんまり可愛がられているといった予感はしないが、それでも向こうでも犬を探してないとも限らないから……なるべく早いに越したことはないだろう」
「う、うん……」
当のロットワイラー犬はといえば、ミミが食事をはじめると、彼女のそばにぴたりと寄り添っていた。何かおこぼれでももらえまいかと、物欲しそうな眼差しでミミのことを見上げている。
「おねえさん、ワンたんに少しかパンとかあげちゃダメ?」
「ええと、そうね。ワンちゃんはもう結構な量、ごはんは食べてると思うけど……」
それでもミミが犬にエサをやりたいだろうと思い、食パンを一枚とると、それを少しばかりちぎって犬に与えることをマリーは許可した。
ミミがぽてりと床にパンを落とすと犬は食べ、またぽとりとパンを落とすとそれも食べ……ということを何回か繰り返すと、ミミは最後、「もうないですよ~。なんていやしんぼうさんでしょう!」と犬に向かって言った。
「じゃあ、四時前くらいに返しにいくっていうことでいい?だってこいつ、うちのこの屋敷を出たが最後、また鎖に繋がれっぱなしの生活に戻ることになるんだもん。それだったら一秒でも長く、少しかいい思いをさせてやりたいんだ」
「ああ。じゃあまあ、俺はもう一回ちょっと寝る。朝早く犬に叩き起こされて、ちょっと眠いんでな。あと、ランディの奴は勉強させるから、よほどの用でもなければ出かけるなと言っておいてくれ」
そう言ってイーサンはあくびをひとつすると、犬の頭を撫でて自分の寝室へ行こうとした。すると、ロットワイラー犬が後ろをついてこようとする。
「あ~、おまえはここにいろ。ションベンやクソがしたくなったら、ロンに外へ連れていってもらえ。いいな?」
犬のほうでは、まるでイーサンの言った言葉がわかったように、その場にぴたりと座り、次にはソファの自分の寝床と定めたらしい場所へいって体を丸めて眠った。それでも、次にココが十時頃起きて来、ランディが十一時近くに起きてくると、その度にまるで自分の務めでも果たすようにふたりを歓待するため体を起こしていた。
こういったわけで、イーサンが昼近くに起きてくると、子供たちは前の日そうだったように、やはり四人が全員ともダイニングのテーブルで勉強していた。勉強していた、などと言っても、それほど気を入れてしっかりやっていたわけではない。ほとんどは犬のことで何やかやおしゃべりしながら、それでも時々ちょっとは問題を解くようなこともしていたという程度である。
「お昼ごはん、どうしましょうか?」
「ああ、俺はクロックムッシュでいい。どうせランディはあれだろ?ついさっき起きてきてメシ食ったばっかなんだろ?じゃあ、一勉強してからなんか食ったほうがいいな。何分、来年から開校するって学校だから、どんな試験問題が出るのか、どの程度の点数を取れば受かるのかとか、そのあたりのボーダーラインがよくわからんからな。とにかくやれるだけのことはやって、あとは神頼みだ。ランディ、おまえ、セブンゲート・クリスチャン・スクールに合格するまでは日曜ごとに礼拝に通えよ。で、なんか確信できたら洗礼を受けろ。それが無理なら、面接の時に『洗礼のほうはいつかイスラエルのヨルダン川へ行って受けたいと思ってます』とか、適当に言っとけ」
イーサンのこの言葉を聞いて、顔の表情を厳しくしたのはマリーだった。ランディくらいの子に、相手が誰であるにせよ、神さまのことで嘘をつかせるだなんて許せないとしか彼女には思えない。
「でもさあ、イーサン兄ちゃん。その『確信』っていうのはどっからやって来るの?べつに俺、洗礼は受けてもいいよ。イエス・キリストが神さまっていうことも、信じてるような気もするけど……俺、結局よくわかんないんだよね。神さまがもし本当にいるんなら、なんでアフリカの難民の人は食べ物のことで苦しんでるんだろうとか、そういうことだけど」
「そうだなあ。ランディ、おまえの言ってることはもっともだ。世の中には極ほんの小さいうちに亡くなる子もたくさんいるし、戦争で片腕を失くしたりとか片足を失くしたりとか、神さまがいるんならなんでこんなことが起きるのかってことで満ちている。このことに関する神の関与しない科学の答えっていうのは、<すべては偶然から発生した>というものだ。宇宙のビッグバンからはじまって、今この瞬間に至るまでがすべて、ただ偶然の連続なんだ。そこに神とか運命だとかを持ちこむのは、人間の脳の問題だな。たとえばランディ、おまえがもし『そろそろ靴を買わなくちゃ』と思ってた時に、ある靴屋のCMを三回見たとする。そんなのはもちろんただの偶然なんだが、おまえはそこで靴を買うのが自分の運命なんじゃないかと思って買いに行ったりする……何かそんなことの連続で世の中は成り立ってるってわけだ」
「ええ~っ。なんかそんなの面白くないし、ロマンがなくない?わたし、誰かに恋をして、そのあとその人と三回くらい<偶然に>会ったりしたら、きっと運命だとか思っちゃいそうだもん」
ココはそう言って、不満そうに口を尖らせている。
「まあ、科学の冷たい火を通すと、なんでもそんなことになっちまうんだろうな。だがここに<神>っていう概念を持ちこむと、すべての問題は解決される。宇宙を造ったのも神、この全世界を造ったのも神、あれも運命ならこれも運命、あれもこれもどれもそれも神さまのお導き……っていう具合にな」
「そんなの変だよ」と、ロンが抗議する。「ぼくは神さまっているって信じてるけど、だからといって、なんでもかんでも運命だとまでは思わない。だってそうだろ?ぼくはこいつに運命めいた縁を感じるけど、だけどうちじゃ飼ってやれないんだ。ということは何?こいつはウェザビーさんちの家で大して可愛がられるでもなくそのまま死ぬのが運命ってこと?そんなのおかしいじゃないか」
「そうだな。だけどロン、そんなのは今にはじまったことじゃないんだ。この犬以上に不幸な境遇にある犬もたくさんいるし、そんな犬はこれからもいっぱい生まれてくるだろう。人間だって同じだ。自分に苦しみがある時、こんな思いをしているのは人類が生まれて以来自分だけだと思っても、そんな人間は今までだっていたし、これからだっていなくなることはない――人間は弱い生き物だからな。そういう時、やはり神はいると信じて縋りたくなるものだっていう、俺が言いたいのはそういうことだ。神がいるかいないかなんて、永遠に証明されることはない。だが、いると信じたほうが人生を前向きに生きられる人間にとっては必要な概念なんだろう」
マリーはただ黙ってイーサンの話を聞いていたが、かといって彼に反論しようという気にはなれなかった。それに、どちらかというと今は、犬のことのほうが心配だった。犬自身と、また犬を巡るロンの感情のことのほうが……。
「この犬、うちで飼っちゃダメ?」
ロンは感情的になるあまり、ついそう口走ってしまった。そして思いきって言えてよかったと思った。じゃないとこれから先、自分はああする以外なかったのかと、後悔し続けたことだろう。
「もちろん、わかってるよ。こんなおっきい犬、毎日世話するってだけでも大変だっていうのは。だけど、もしかしたらこいつにとってはうちで飼われて幸せに死ぬっていうことが運命かもしれないじゃないか。それなのに、大して面倒みてくれそうもない飼い主の元へ返すだなんて、可哀想だよ」
「ロン、おまえの言ってることは正しい。だがな、法律的なことをいえば、やはりこいつはウェザビー家の財産の一部なんだ。それを誰かのものと知っていて引き取るのは、泥棒するに等しい。だがまあ、そうだな。ウェザビーさんに話して、うちに引き取りたいって言って、向こうでもちょうどこの犬が邪魔だったっていうんなら、そうしてもいいかもしれない。だが、事はおまえひとりの問題じゃないからな、民主的に家族の中で多数決を取ることにしよう」
イーサン自身は今も当然、このロットワイラー犬を飼うことには反対である。だが、自分よりも弟の言ってることのほうが正義に近かった以上は仕方がないと思った。ちなみに、イーサンはこの種の議論についてはロイヤルウッド時代より相当鍛えられており、そうした学生同士の議論の中では常に言っていることの正しいほうが勝つとは限らない。弁論のうまい奴がどうにか相手の論理の弱い点をついて論破することによって成り立っているので、究極、「戦争は善か悪か」という議論で、「戦争は善である」と主張する側が勝つこともありうるということである。
だがこの場合、自分がいくら理屈を並べたところで――ロンの言っていることのほうが正しいということをイーサンは潔く認めたのである。
イーサンが「この不細工で飼っても大していいことのない気のする犬を飼ってもいいっていうやつは?」と聞くと、ロンとランディ、それにミミとマリーが手を挙げた。「ということは、だ」と、イーサンは言葉を続ける。
「反対なのは俺とココだけってことだな。だがまあ、ひとりの意見が他の四人を圧するということもあるから、一応ココにも平等に反対な理由を聞いておくか」
「だって、べつにわたしはこの犬にエサをやるわけでもなければ、散歩に連れてくってわけでもないからいいわよ。だけど、結局そうなると毎日イーサンが機嫌悪くイライラするかもしれないっていうのが嫌なの。だってそうでしょ?ロンひとりじゃ絶対面倒なんて見れるわけないんだから、皺寄せがいくのはおねえさんとイーサンだもん。だけどわたし、『だからあの時わたしが反対したのに』とだけは言わないよ。だって、わたしには関係ないことですからね」
(かっわいくねー)と互いにそう思い、ランディとロンはいつものように目を見合わせるだけで会話を終えた。
「ま、俺が反対な理由も大体同じようなことだな。実際、可哀想なのは一応賛成せざるをえなかったマリーおねえさんってとこか。基本的には外に大きい犬小屋でも作ってそこで飼うにしても……おまえら四人のガキどもの世話の他に犬の面倒まで見なきゃならんとはな。俺にとって最後、唯一の救いは、ウェザビーさんが実はそんなに悪い飼い主でもなくて、この犬のことも探してたってことかもしれないな。なんにしてもロン、少し早いがな、そうと決まったらウェザビーさんちに交渉しにいくぞ」
「う……うんっ!!」
ロンが出かける用意をするまでの間、イーサンはランディに「俺が帰ってくるまでの間、問題をここまで解いておけ」と指令を出しておいた。また、マリーのことを隣の部屋へ連れだし、「あんた、本当にこれでいいのか?」と聞くことも忘れない。
「いや、今更反対も出来ないってのはわかってる。だがな、どうせ犬を飼うにしても、もっと小型犬の可愛い犬ってのがペットショップにはわんさといるからな。どうせ、俺とあんたの負担が増えるだけだってのも目に見えてるわけだから……」
「いいんです。それにわたし、あの犬が嫌いじゃありませんし……それに番犬として役に立ってくれるんじゃないかしら。何より、ロンの窮地を救ってくれた犬なんですもの。あの犬のお陰でジョン・テイラーがクラスで静かにしてるっていうんだとしたら、うちで飼っても罰は当たらないんじゃないかって、そんなふうに思うんです」
「だけど、実際思った以上に絶対大変だぞ。俺だって、今日散歩に連れていったってだけでぐったり疲れたし……」
(ああ、俺はやっぱりこの女のことが好きなんだな)と、ふたりきりになった途端急にまたそう思い、イーサンは複雑だった。<セブンゲート・クリスチャン・スクール>に合格するため、適当に信仰深い振りをしとけ……といった主旨のことを口にした時、彼女はこの意見が明らかに気に入らないらしいとイーサンは気づいていた。けれど、犬を飼うのも仕方ないとの結論をイーサンが導きだすと、やはり彼女はどこかまた幸福そうに微笑んでいた。
「それなら大丈夫ですわ。うちの庭は広いですから、門のところをしっかり塞いで、あとは庭を自由に走り回らせてあげたらいいだけですもの。あと、エサのほうは作るのが面倒だった日はドッグフードをあげるとか……今、コマーシャルなんかでも色んなタイプのエサがあるみたいですものね。それでもし聞けそうだったら、普段はどんなものを食べてるのかとか、聞いてきてもらってもいいですか?」
「あ、ああ……」
すぐ後ろにすっかりシーツの整えられたベッドがあるのを見て、イーサンはいつもながら(これでガキさえいなけりゃあな)とそう溜息を着かざるをえない。しかも、他に犬の現実的な排泄物の問題についてまで口にしなければならなかったのだから尚更だった。
「だが、あと他にクソの始末なんかもあるぞ。俺が気づいた時にはそりゃ片付けてもやるが、なんにしても病気したら動物病院へ連れていってやったりなんだり……なんにせよ、何かと余計に面倒なことが増えるってことだからな」
「いいんです。あなただって大学院のほうで一生懸命勉強されてるんだし、子供たちには学校があります。だから、基本的にあの犬のことはわたしが一人ででも面倒を見るつもりですから」
(なんか、悪いな。余計な負担がまた増えちまったみたいで……)
イーサンがそう口にしようとした時、用意のできたロンが犬を連れて部屋のドアのところに立っていた。
「ぼくのほうはすっかり準備いいよ!こいつのこと、飼いたいって言ったのはぼくなんだから、毎日のうんこの始末なんかは当然ぼくがするよ。それでさ、おねえさんはぼくがちゃんと面倒見てないと思ったら「そういう約束だったでしょ」って叱ってくれればいいから」
「本当にそうだぞ、ロン!!」
そう言って弟の頭を小突くと、イーサンは黒のジャケットを着、そのポケットに車のキィを突っ込んだ。この犬の性格からいって、車の中で粗相をする心配はないだろうと思い、そのまま車の後部席にロンと犬のことを乗せるということにする。
ウェザビー家までは五分もかからぬ距離ではあったが、相手が留守にしているかもしれないと考えて、イーサンは車にした。そして、もし仮にウェザビー家の人々が犬を手放すことに同意してくれたとしたら、そのままデコラデパートへ直行し、色々な犬グッズをロンと一緒に買ってこようと思っていたのである。
ところが……。
家の呼び鈴を鳴らせども、一向誰も出てこなかったため、イーサンは大きな窓のあるほうへ回ってそこを叩いてみることにした。まだ明るいというのにぴったりカーテンを閉め切ってあり怪しさ満点だったが、流石にギャングの類は出てこないだろうとイーサンは思っていた。
これで誰も出てこないなら本当に留守ということだ――そう思い、イーサンは犬小屋のある裏庭のほうをあらためて見て、その塀の高さに驚いた。(こりゃ確かにジョン・テイラーの奴が捻挫するだけのことはあるな)、そして彼が粗末な犬小屋を覗いてみると、一体いつからそこにあるのか謎の毛布が一枚と、犬小屋の脇には犬が力任せに抜いたらしい鎖を繋ぐための鉄の杭が抜け落ちていた。
さらに、そこから視線を転じるにつれて、イーサンは思わず大笑いしてしまう。何故なら、犬が鉄の杭を抜いたのも道理だと思ったからだ。犬の鎖はとても長く、家の角を回っておそらくは正面口近くまでじゃらじゃらと走っていけるだろう。あの犬のことだから、それが郵便局員でも誰でも、人がやって来たら一目散にそちらまで走っていったに違いない。そんなことを365日、何かにつけて毎日行っていれば……最終的にロットワイラー犬が逃亡するのは火を見るより明らかだとしか言いようがない。
「イーサン兄ちゃん、何がそんなにおかしいの?」
尊敬する兄が意外に笑い上戸だと知っているロンは、犬の鎖を引きながらにこにこして聞いた。呼び鈴を五六回ばかりも鳴らし、窓まで叩いたのに人の気配がまるでしないということは、ウェザビー夫妻は留守なのだと思った。そして、ということはこの犬ともう一日一緒に過ごせるということで、そのことを思うと嬉しかった。
だが、イーサンが「いないみたいだから、帰るとするか」と犬の頭を撫でて言った時のことだった。庭に通じるフランス窓が開くと、カーテンがシャッと脇へどけられる。
「一体なんだ、あんた……」
サンダルを突っかけて鉛筆のように細い中年男が庭に出てくる。と同時、ロットワイラー犬がロンの手を離れ、自分のご主人のことを押し倒しにかかった――イーサンもロンも、男があまりにガリガリに痩せているため、絶対に尻餅をつくと思った。だが、ウェザビー氏はやはり慣れているのかどうか、ロットワイラー犬の重みにしっかりと堪え、彼の頭を撫でてやっていた。
「おお、よしよし。一体どこへ行ってたんだ、サンダー」
犬の名前がサンダーだったことに、イーサンもロンも軽く衝撃を受けたが、(まあ、いいか)と、お互い顔を見合わせ、その点は流すということにする。
「その、うちの弟が」と、イーサンは隣のロンの頭をはたいた。「ヴィクトリアパークのあたりでこの犬のことを発見しまして……きのうはとりあえずうちに連れてきたんですが、弟が学校の帰りによくパンをやっている犬だと言うもんで、こうして連れてきたといった次第で……」
「そうだったんですか!いやあ、それはすみませんでした。今朝犬小屋を見たらサンダーの奴がいなかったもんで、逃げたとしたら保健所にでも連れていかれたかなと思ってました」
犬のほうではこの飼い主に懐いているらしく、その顔を一生懸命なめまわしていることからもそれは明らかだった。ここで、イーサンは『どうする?』といったようにロンの顔を見下ろし――弟のほうではしきりと首を振ってみせたのだった。つまりそれは『何も言わないで』という意味だった。
すっかり愛し合っているといった様子のロットワイラー犬とウェザビー氏の姿を見て、ロンは(この犬にとってはこの家にいることが幸せなのかもしれない)と初めて思ったのである。
「わざわざ来ていただいたのに、申し訳ありませんなあ。何分、今ちょっと仕事中だったもので……またこれから続きに取りかからねばならないのです」
「そうですか。こちらも、そのようなこともわからず、何度も呼び鈴を鳴らしたり、庭先まで上がりこんだりして……むしろ失礼なことでした。申し訳ありません」
イーサンはそう挨拶して、ウェザビー家をロンとともに辞去していた。この時、イーサンはウェザビー家について少しばかり違和感を覚えていたかもしれない。ロンの話によると、ウェザビー家はいつ来てもカーテンが閉めきってあるということだったが、家の主人は今『仕事をしていた』と言った。ということは、普段もずっとそうだということなのだろうか?
(ロンからその話を聞いた時には、どこかの工場ででも深夜帯のシフトで働いているのかと思っていた。それで、昼間は寝ているから閉めきってるとか、理由ならいくらでもあるからな。だが、家の中から流れてきた、妙な匂いや散らかっている様子……それに、あの太った女性がおそらくはウェザビー夫人ということなのだろうか?)
といってもイーサンは、庭を横切る時にちらと部屋の奥のほうを見た程度なので、何か確定的なことを言うことは出来ない。ウェザビー夫人は赤毛で、一瞬見た限りにおいてびっくりするほど太っていた。旦那のほうは鉛筆のように痩せているのに、その対比は何かのコントのように滑稽に見えたかもしれない。
「兄ちゃん……これで良かったんだよね?」
「あ、ああ」
イーサンは車を走らせる間、不思議なウェザビー夫妻のことについて考えていた。狩猟が好きだったというおじいさんが死に、その次におばあさんが亡くなり、子供がいたはずだが、最近見かけないと思ったら、その子もまた病死していた……という、近所の噂話である。
「まあ、俺はてっきりあの犬を連れていっても大していい顔なんかされないんじゃないかと思ってた。だが、あれだけ懐いてるのを見たら……『うちで飼いたいんですが』とはちょっと言えないな」
「うん。ぼくもそう思ったから一生懸命首を振ったんだよ。それにぼくも、もっと意地悪っぽそうな人がご主人なんじゃないかと思ってたけど、なんかフツーのいい人っぽそうなおじさんだったし……」
「だな。けどまあ、あの犬の代わりに――別のが飼いたいっていうんなら、このままペットショップに行ってもいいんだぞ?」
ロンはここでも一生懸命首を振った。
「ううん。ぼくはあの犬……サンダーのことを飼いたかったんだ。でも、ぼくが私立中学にもし合格できたら、寮に入ることになるでしょ。そしたら、犬の面倒はおねえさんに押しつけることになるし……だからいいよ」
「それにしても、名前がサンダーだったとはな」
ここでロンは一回、とても愉快そうに笑った。
「なんか、合ってるような合ってないような、微妙なネーミングだよね。ぼくも一生懸命、もし自分ちの犬になるんだったらなんてつけようかなって考えたけど、その中には流石にサンダーはなかったよ」
「ほほう。じゃあ、他のは?」
イーサンは少し遠回りすると、やはりデコラデパートへ行くことにした。そこで、漫画を描く画材でもなんでも、あるいは漫画本でも――ロンの欲しいものを買ってやろうと思った。ここには大型の書店が四階に入っていて、漫画本の種類もなかなかに充実しているのだ。
「ロバートとかクーパーとか……あとはジョージにセオドア、テディでしょ、アダムにジャクソン、テイラー、ヴィクトリー、キング、ベンジャミン……ハリーにフィッツジェラルドにロナルドにチャーリー……なんか一杯考えたけど、どれもいまいちピンと来なかったかも」
「そうか?俺はフィッツジェラルドなんかいいと思うがな。少なくともサンダーよりはネーミング的にマシだろう」
「そうかなあ。結局みんな、絶対フィッツジェラルドなんて呼ばないで、そのうちフィッツとだけ呼ぶようになるよ。まあ、なんにしてもどうでもいいや。サンダーがぼくんちに来ることはもうないんだし……」
ここで、ロンが助手席で泣きだしたため、イーサンは弟の頭をぽんと叩いた。イーサンにしてみれば、結果としてこれで良かったとはいえ……弟の切ない気持ちもよくわかったからである。だが、これでマリーに負担をかけずに済むと思うと、やはりほっとする気持ちのほうがそれよりも上回ったかもしれない。
「ほら、元気だせ。これからデコラデパートの本屋で、ロンの好きな漫画でもなんでも最終巻まで全部買ってやるから」
「う、うん……でも、ほんとにいいの?」
ロンは目頭の涙をティッシュで拭うと、運転席の兄のほうを振り返る。
「いいも何も……仮にペットショップで犬を一匹買ったとしたら、一体いくらすると思う?それに比べたら、おまえの好きな日本の漫画を一式買ってやってゲームセンターで遊んで帰ってくるくらい安いもんだぞ」
「なるほど、そっかあ。そういう考え方もあるかあ」
ロンはまだ少し悲しくはあったが、一生懸命自分に(これで良かったんだ)と言い聞かせながら笑った。そして、兄と一緒に日本の漫画を選んで買ってもらい、一度それを車に置いてからゲームセンターで遊んで帰ってきた。
「イーサン兄ちゃん、ありがとう」
車から降りる時、ロンは最後にそう言った。
「あの犬、たぶんもう先は長くなさそうだから、可哀想って思ったけど、別の意味ではこれで良かったのかなって思う。だって、たったの二日いただけでもこんなに悲しいのに――サンダーが死んじゃったりしたら、今よりもっと悲しくなるってことだもん。だから、これで良かったんだと思う。あと、漫画の本もありがとう」
イーサンは弟の頭をぽんと撫でると、ロンが降りたあと、車をガレージのほうへしまった。そろそろ車検に出さなければならないので、明日あたり知り合いの整備工場と連絡を取らなくてはと、ちらとそう考える。
夕食の席で、ロンが犬のサンダーの顛末について話すと、家族は誰もがっかりした顔の表情をしていたものだった。それは実はココやイーサンにしても同じことだったので、以降そのことには一切触れなかったほどだ。
だが、この二日後……ウェザビー一家は犬も含めて全員が不幸に見舞われることになる。実際、イーサンはポストに新聞を取りにいき、その陰惨な事件の記事を読んだ時、心底ぞっとしたものだった。【ユトレイシア市内で中年夫妻が惨殺される】との記事の内容は、大体次のようなものだった。
おそらく、ウェザビー氏は拷問を受けたのだろう、片手の指が五本ともなかったという。また、夫人のほうも殴る・蹴るといった暴行を受けており、顔の形が誰か識別できぬほど腫れあがった状態で発見されたとのことだった。また、ウェザビー家で飼われていた犬は……頭に銃弾を二発受け、息絶えていたと、記事のほうにはそう書いてあった。
――この時点では、何故夫妻が殺されたのか、その理由のほうはまだわかっていなかった。だがその後、警察の調べのほうが進むと、アレン・ウェザビーは麻薬取引に手を染めており、それで儲けた金によって生活していたという。またさらに不気味だったのは、ウェザビー家の家の下のほうから誰かもわからぬ死体が二十体ばかりも出てきたことだろうか。家の中を調べると、誰のものかわからぬ複数の血液反応が出たことから、麻薬取引のトラブルで拷問をし、そのあと死体を埋めていた疑いがあるとのことだった。
また、その中に何故か七つや八つくらいの子供の遺体が二体あったことから、ユトレイシア第一小学校の近辺に住む親たちは特に震撼とした。それはマリーやイーサンも例外でなく、イーサンは暫くの間車で子供たちの送り迎えをしたくらいである。
「あの時、強引にでもぼくがサンダーのことが欲しいって言ってたら……あいつだけでも死ぬことはなかったんじゃないかな」
そう言ってロンが自分に抱きついて泣くのを見て、マリーはロンを連れ、ウェザビー家の葬式へ出席することにした。亡くなり方が亡くなり方だっただけに、参列者の少ない寂しい葬式だったが、犬のサンダーも一緒に葬られるとのことで、マリーはロンが何かの心の区切りに出来ればと思ったのだ。
そういうことなら……ということで、イーサンも一緒について行ったが、それはなんとも言えない悲しい葬式だった。神父の言う「塵は塵に、灰は灰に」という言葉も、麻薬取引のことが原因で夫妻が亡くなったことを思うと……特別何か虚ろに響いた。そうした犯罪に手を染めていたウェザビー夫妻でも、真実本当に天国へ行けるものなのかどうか、非常に疑問であるとしか言いようがなかったからだ。
「おねえさん。ウェザビーさんの親戚の人たちが……「殺されても仕方がない」とか、「煉獄で罪を清めるしかない」とかって言ってたの、どういう意味?」
ユトレイシア郊外にある墓地からの帰り道、ロンはサンダーの死を悼んで泣いたあと、マリーにそう聞いていた。イーサンは運転席、マリーとロンは後部席にいたが、マリーは隣のロンの髪を撫でながら言った。
「そうね。ウェザビーさんご夫妻の親戚の方は……たぶんきっと愛情からああいう言い方をしたのよ。みなさん、警察に呼ばれたりして色々大変だったでしょうし、弟がまさか麻薬取引に関わっているだなんて、思ってもみなかったんでしょうね。だから、おふたりがしたことを思えば、ああいう言い方しか出来なかったのよ。でも家族としては愛してるっていうふうに、おねえさんには聞こえたわ。そうじゃなかったら、あんなに泣いたりされないでしょう?」
「うん。それはわかるんだ。だけどぼく、煉獄なんて教会でも聞いたことなかったから……煉獄と地獄っていうのは違うの?」
ロンは、ウェザビー夫妻の親戚たちが、口では「本当にどうしようもない馬鹿だ」とか「死んだことで罪は償われたはずよ。だってあんなひどい目に遭ったんですもの!」としきりに言っては、啜り泣く様子を思いだしていた。参列者の割合としては、アレン・ウェザビーの兄弟姉妹といった親戚がほとんどで、奥方のメリンダ・ウェザビーのほうの知人や友人といった列席者は話を聞いているとほとんどいないようだった(つまり、この悪妻にそそのかされて引き返せない道に弟は入りこんだのだろう――といった話を、特に人の目を憚るでもなく彼らはしきりと繰り返していたのである)。
「そうね。煉獄というのはプロテスタントにはない概念ですものね。煉獄っていうのはね、天国と地獄の間にあって、死者の霊が天国へ行く前に浄化されるところなのよ。ロンはダンテの『神曲』なんて読んだことあって?」
「ううん、ないよ。読んでみたいと思ったことはあるけど……難しそうだなと思って」
「でも、屋敷のほうの図書室にとてもいい本があったわ。抄訳版なんだけれど、ギュスターヴ・ドレの版画がたくさんついてて、文字も大きくて読みやすいのよ。確かあの中に、死んだ人のために祈ってる人がいると、それだけ早く煉獄を抜けて天国へ行けるってお話があったんじゃないかしら。だからね、ロン。お亡くなりになった気の毒なウェザビーさんと、サンダーのために一緒にお祈りしましょう。そしたらね、サンダーはともかくとして、おふたりはその分早く天国へ行けるに違いないわ」
――この件について、イーサンとしてはマリーに言いたいことがいくつかあったが、それはあくまで神学的・哲学的観点から見た場合の意見なので、彼は黙っておくということにした。子供向けの話としてはそれで十分だと思ったというのも当然ある。
「でも、おねえさん……サンダーはともかくとしてっていうのは、サンダーは犬だから、そもそも天国には行けないとか、そういう意味なの?」
「まあ、違うわ。だって、サンダーには何ひとつとして悪いところはなかったんですもの。飼い主のウェザビーさんを守ろうとして、悪者たちに飛びかかっていこうとして殺されたんですものね。言ってみれば殉教にも近いような、尊い神聖な犠牲をサンダーは払ったんですもの。きっとこれから何十年もしてロンがおじいさんになって死んだ時、天国の真珠の門にはサンダーも迎えにきてるに違いないわ。きっとそうよ」
「そう。そんならいいんだけど……」
このあと、ロンは屋敷の図書室でマリーからダンテの『神曲』の厚くて大きな本を手渡された。ロンはギュスターヴ・ドレの挿絵がふんだんに使われたその本を夢中になって貪り読み――この時以降、漫画本だけでなく、小説のほうも少しずつ読むということになっていく。そして、そうした習慣の出来たということは、将来漫画家になりたい彼にとって、とてもいいことだったようである。
>>続く。