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さて、連載第6回目なのですが、今回ちょっと本文のほうにドストエフスキーの『罪と罰』について軽く言及があったりして
わたしも読んだの、相当昔なもので、自分の書いてることが間違ってないかどうか確認するのに、『罪と罰』に出てくるスヴィドリガイロフさんのところだけ、あらためて読み返してみることにしたんですよね(^^;)
『罪と罰』がどんな話かとか、あらすじやわたし個人の感想などを書きはじめると信じられないくらい長くなってしまうので(汗)、今回は↓の本文に関わりのあることだけ少々――といったくらいに留めておきたいと思います(いえ、わたし『罪と罰』あんまり好きすぎるので)。
そのですね、登場人物のひとりにスヴィドリガイロフさんという、人間としてどうしようもないように思われるおっさんが登場するのです。彼の奥さんはマルファ・ペトローヴナと言って、スヴィドリガイロフ氏は彼女に多額の借金を肩代わりしてもらって結婚した――といった関係性で、これでいくと普通、奥さんに頭上がらないはずなのですが、そこは性欲旺盛なスヴィドリガイロフ氏。他の娘と浮気したくなったらおまえにそう言うよ……的に夫婦の間では話しあいがしてあったのだとか。
この奥さんはのちに死んでしまうのですが、どうもスヴィドリガイロフ氏が殺した、あるいは直に殺したのでなくても、彼が間接的に死に追いやったらしい節があり、この行状の素晴らしい男は以前にも、下男につらく当たって首吊り自殺に追いやったのみならず――14歳の目も見えなくて口も聞けない娘を陵辱していたのではないかという疑いがあったりと、悪魔が舌なめずりして地獄へ連れていくのを楽しみに待ってる……といった感じの人物なのですよね
さて、そんなしょうもないおっさんのスヴィドリガイロフですが、彼は主人公ラスコーリニコフの妹、アヴドーチヤ・ロマーノヴナ(ドゥーニャ)に愛と救済を求めます。このドゥーニャちゃんは、貧しいけれども教養があり、高貴で清らかな性格の持ち主で、スヴィドリガイロフ氏は、こんなどうしようもない性根の腐った自分も、アヴドーチヤ・ロマーノヴナのような女性であれば唯一救いうる……そのくらいの美しさ、他を見ない清らかさをドゥーニャちゃんに見出して、そのことに最後の最後まで執着し続けたものの、彼の思いは叶わなかったわけです(まあ、ある意味当たり前ですよね^^;)。
こんなふうに抜き書きすると、「なんのこっちゃら☆」といったところですが、↓に関わりあるのは、大体物語の中のこうした部分かな~ということで、一応書いてみました(^^;)
ええと、そうですね。たぶんそのうちまた、前文で書くこがどうせすぐなくなると思うので……そしたらまた、ドストエフスキーの『罪と罰』については、もう少し何か書いてみようかなと思います
それではまた~!!
ピアノと薔薇の日々。-【6】-
「それで?例のあの子とはどうなったのさ」
イスラエルでのチャリティー・コンサートを終え、その次にイギリスのロンドン交響楽団との客演公演を終えた彼は――ちなみに曲目のほうは、ラフマニノフやプロコフィエフの協奏曲――君貴のチェルシーにある自邸にやって来ていた。
ここは君貴が自分で建築設計した家ではなく、古き良きヴィクトリア朝時代の雰囲気残る城館風の建物で、一目で気に入った彼が購入したものである。かなり古くなっていた水道や暖房設備、ボイラーなどに手を入れ、あとは君貴が昔から蒐集している骨董品を屋敷中に並べた……といったような場所だった。
正直、恋人が男と間違えてヴァージンを奪ったという女のことなど、レオンは聞きたくもない。だが、会って一時間もしないうちから、彼は気づいた――「ロンドン響との客演はどうだった?」とか、「イスラエルは相変わらずか?」といった、自分の近況について一通り聞いたあと、君貴は黙して何も語らなかった。
いつもならレオンの恋人は、ほとんど際限なくぺらぺら自分のことをしゃべり倒す。それは仕事のことのみならず、最近見た映画や読んだ本、あるいは見にいった舞台やコンサートのことなど、とにかくレオンと会ってない間のことをすべて、細大漏らさず語りたがる傾向にあるのだ。だからレオンは、そこに一夜限りの相手との情事がどんなものだったかが含まれていても、最初の頃はともかく、最近ではあまり気にかけなくなっていた。君貴がそんなことも含めて「すべて隠さずに話す」ということは、つまりはそういうことだった。そもそも彼にはレオンに対して「後ろめたい」とう感情がない。それでもレオンが「いくら僕でも怒るよ!」と言った時のみ、恋人の嫉妬について真剣に検討するのだが、いつでも彼の答えは同じものだった。「おまえがいちいち気にしなけりゃならないほどのことじゃない。ただの遊びだよ」といったように。
だが、今回は違う、とレオンには直感的にわかっていた。何より、君貴が遊び(ゲーム)と呼ぶものがあった時、彼からはいつでも「へらへら感」が漂っており、恋人が何を言わないでも、レオンは気づいてしまう。(こいつ、今度はどこで男を引っかけやがった)ということに。けれど、今回君貴からはその「へらへら感」が一切消え失せていた。しかもその上でだんまりを決め込もうというのだ。レオンはこれ以上の自分対する侮辱、また裏切りはないと感じはじめていた。
「ああ、まあその……なんだな。『まるで娼婦に対するように金を渡して済まない』とか、そんな言い方をしたわけじゃないんだが、彼女が許してくれて良かったよ」
「ふうん。で、結局寝たんだ?ようするに、おまえが何も言わないっていうことは、そういうことだよな」
ここで、暫く間があった。彼らは50インチのテレビ画面で、ポロの中継を見ているところだったのだが――君貴はリモコンを片手にチャンネルを変えようとした。ウィンブルドン・テニスの男子シングルスの試合に切り替わる。
「ああ、そういや今、ちょうどウィンブルドンの季節だったよな……って、僕はそんなことで誤魔化されないぞっ!おまえ、絶対今、都合が悪くなったらテニスの試合に夢中になってる振りを決め込もうとか思っただろ!?ええっ?」
「そう怒るなよ。これからも俺とレオンの関係は変わらないんだからさ。それは俺とおまえが一番よくわかってることだ。いわゆる魂の双子ってやつだ。喧嘩してちょっと離れても、またすぐに会いたくなる……俺にはおまえのいない生活は考えられないし、耐えられもしない。ただ、あの子は俺が思ってた以上に――面白い子だった。少なくとも淫売でもなければ、頭が悪くもなく、俺が当初想像してた以上に賢かったよ。色々な意味で」
「おまえが女のことを褒めるだなんて珍しいな。君貴、僕が今おまえから雰囲気として感じるのはね、ドストエフスキーの『罪と罰』に出てくるあの男のことさ。ほら、主人公ラスコーリ二コフの妹のことを狙ってる、スヴィドリガイロフって男がいただろ?ラスコーリ二コフの妹、ドゥーニャのように高貴で清らかな処女の女性と結婚することが出来れば、自分のエロ的領域におけるどうしようもなさが治癒されるんじゃないか……みたいな望みをかけてるジジイだよ。もっとも、ドストエフスキーはそんな書き方してないんだが、とにかく僕にはそんなふうに読めた。大体、処女の娘がどうしようもない浮気性の男を根本から叩き直してまっとうな人間にするなんて話、僕は信じないね。君貴だって同じだよ。どうしようもない変態小児性愛者の奴が、警察に御用になっても出所後にはまた繰り返すのと同じでね、一時的に何か、『自分もまっとうにならなければ』なんて思って性欲を抑えるけど、そんなの、一過性のものとしか僕には思われないね」
レオンはそこまで言い切ってから、ソファの腕木のところに置いた紅茶を飲んだ。すっかりぬるくなっている。
「俺の記憶にある限り、スヴィドリガイロフは、エロ的領域にどうしようもなさを抱えてるってだけじゃなく、その他あらゆる意味において堕落した人間だった気がするがな。だが、そんな堕落しきった人間である自分を、ラスコーリ二コフの妹アヴドーチヤ・ロマーノヴナ(ドゥーニャ)であれば救いうると信じているわけだ。確かに、スヴィドリガイロフはひどい人間だよ。自分の妻や家の下男なんかを、ひどいやり方で死に追いやっていたり、14歳の目も見えず耳も聴こえない少女を陵辱していたり……あとは博打好きだったり、街のあやしげな界隈をうろつくのが大好きだったりと、こういう男が地獄へ落ちるのだろうなという条項の多くに悪魔がチェックを付けそうな感じのする男だ……あ、そうだ。あの子の部屋にもドストエフスキーやトルストイの本は何冊かあったっけ。あとはイギリスの作家ならオースティンやブロンテ姉妹とか。他に、トールキンの『指輪物語』や『ナルニア国物語』なんかもあった……けど、その中で俺が何に一番感心したかといえば、キーツやバイロンやオーデンなんかの詩集がずらりと並んでたっていうことさ」
「へえ。そりゃ、確かにおまえ好みだ。少なくとも、活字の本なぞほとんど読まないオツムの詰まってない女とは違うというわけだ。もっとも、彼女がそうした本を間違いなく全部きちんと読んでいたとしたらの話だけどね」
君貴はレオンの当たりのキツさに、内心で溜息を着いた。何分、彼の恋人は勘が鋭すぎる。
「それで?やることやったっていうんなら、ようするにあれだろ?『この間はあんなことしちゃってごめん』って以上の何かが起きたってことだよな?それとも話をしてる間にその賢い子が泣きだして、おまえの罪悪感に訴えかけてきたから誤魔化しついでにそれで寝たとか、そんなくだらない話を僕に聞かせたいわけじゃないんだろう?」
「ち、違うよ。ただ、あの子は本当に純粋なんだ。だから、いつもの俺ならいつも通り、レオンになんでも話すけど――それこそ、良心が咎めるってやつだ。あの子、なんか俺が一種の有名人だから、それでわざわざ居所まで突き止めて示談の話でもしに来たんだろうって、最初はそう思ったらしい。だからそのー、なんていうか……」
歯切れの悪い恋人に対し、レオンはかつてないほどイライラした。これは、君貴がつきあいはじめの頃に他の男と浮気したことを知った時の比ではない。
「いいから、順番に話せよ!というか、僕には恋人としておまえに聞く権利がある。仕事の用があるわけでもないのに、わざわざ日本まて行ったんだろ?おまえみたいに世界中飛び回ってる忙しい奴が……僕にはね、どう好意的に考えても、おまえが最初からその子と寝るつもりだったとしか思えないよ。というか、誰が聞いたって絶対そうだ」
「う、うん。だからさ、それが俺としてもなんともまごつくところなんだ。あの子は……マキは最初から俺にそういう思惑があって彼女の家を訪ねようとしたとか、そういう思いつき自体、なかったみたいなんだよ。考えてみたら、最初の時だってそうだ。俺が最初からすっかりその気だったからそう見えたってだけで……わかってないんだ、たぶん。男のことなんて何も」
「…………………」
(そんな初心な子でも、おまえが男ってものを教え込めば、そのうちおまえのずるさや汚さを学んで、男って生き物を心底軽蔑することを覚えるだろうよ)――そう言ってやっても良かったが、レオンはとりあえず一旦黙ることにした。ただ黙ったまま、君貴に続きを話すよう促す。
「最初、俺はあの子の職場へ行った。そしたら、いかにも噂好きって感じのババアが店員として立ってた。まあ、事務員ってことは、店に立つってことはないのかもしれない。けど、あんなババアが小さな会社のどっかにいるってことは……大体のとこ、想像はつくわな。何かあったらそのことを従業員全員に言いふらされたりなんだのいうことは。マキは、会った瞬間俺の顔を引っぱたくでもなく、怒っている様子でもなかった。むしろ、少し嬉しそうに見えるくらいだった。あ、そうそう。マキの働いてる花屋ってのが、<ベルサイユのはなや>っていうんだよ。で、正面(ファザード)のあたりなんかはフランスのベルサイユ宮殿を思わせる雰囲気なんだが、店の入口を入って左側に階段があるんだ。それで、なんかそっちのほうは温室風になってて――熱帯の観葉植物なんかが並んでてな、ジャングルみたいな雰囲気だった。コスタリカの幻の鳥みたいのが何羽か飛んでたりして……小さい模造の滝まであった。ちょっとしたジオラマというか、映画のセットみたいな感じさ。あれは面白かったな」
君貴はどこへ行っても、まず「ぼんやり物を見る」ということがない。そのことを誰より、レオンはよく知っている。その時もその花屋の店内を見ながら、建築デザイナーとして何かしらインスピレーションを受けるところがあったのだろう。だからこの時、レオンは君貴が余計な描写を細々話すことを許した。
なんにせよ、このまま彼が回想していけば、最終的に自分が得たい答えには辿り着くはずだった。簡単にいえば、そのヴァージンだった子と二度目に寝て、どうだったのかということを。
「で、俺は最初に「なんだ、ここは。花屋じゃなくてジャングルか」みたいなことを言って、あとはなんだったっけか。なんでここがわかったとか聞かれて、探偵を使ったって言って――そうそう。あの子、ネットで調べて俺が誰なのかは大体のところ知ってたよ。それで、手渡された金を返そうと思ってたけど、そんなことしても無意味っぽいとかなんとか。で、こう言われたよ。一夜の遊びみたいなことしてたら、そのうち変な女に当たって大変なことになるんじゃないの、みたいにね」
「自分は変な女じゃないみたいな言い種だな。まあ、べつにいいけど……確かに、このままいくと、比較的まともそうな女って結論に落ち着きそうだけどね。ま、早く続きを話しなよ」
レオンは紅茶を飲みつつ、テーブルの上のマカロンをひとつ食べた。ピエール・エルメのマカロンだった。
「一応俺は、ここへ来た用向きを伝えた。あとからまたきちんとあやまるにしても、先に軽く例のことに触れて、この間はすまなかった、みたいに言ったんだ。もっとも、会った瞬間から俺にはわかってた。マキは前にあったことを悪くは取ってないらしい……みたいにはね。で、俺はそのことが嬉しくて、噂好きのババアがこっちをちらちら見てたせいもあって――彼女のこめかみあたりにキスした。そしたら、「仕事中だ」みたいに言われて叱られたよ。だから、仕事が終わったら迎えに来るって約束して別れたんだ」
「なるほどね」
そう相槌を打ったレオンは、明らかにこの時さらに一段不機嫌になっていた。だが、結局のところ彼にもわかっている――レオンは自分の恋人について「本当のこと」、嘘や誤魔化しのない「真実」が知りたいのだ。それが自分にとってどんなに腹立たしいことであったにせよ、君貴が「ありのまま」を話す限り……レオンは彼のことを許すことが出来た。
「で、マキの店で三万円分くらい花を買って、あとから彼女にそれを渡したんだ。そうだ!花といや、マキのアパートも花だらけだったな。なんでも、店で売り物にならなくなったものとか、特に気に入ったものなんかを買ったりもらったりしてるうちに――どんどん増えていったらしい。アパートの家賃は六万八千円とか言ってたが、5.5帖と4.4帖と6帖の狭い部屋が三つあって、5.5畳の部屋にピアノが置いてあった。防音装置もなんにもないから、まあ練習する時も遠慮がちに弾くことになるんだろう。それで、彼女がなんであの店であんなおかしなピアノの弾き方だったのかもある程度理由がわかった。けど、あの間取りで東京のあのあたりで六万八千円というのは……俺は心配になって、「誰か人でも死んでるんじゃないか」と、彼女にベッドで聞いた」
「へえ。ベッドでね」
レオンは腹が立っているのを隠しもしなかったが、君貴は悪びれるでもなく話を続ける。
「そしたら、なんか面白いこと言ってたよ。マキの住んでいる部屋ではどうということもないらしい。マキ自身、その部屋で幽霊を見たとか、おかしなことがあったことは一度もないってことだった。ただ、ちょうど真下の階がずっと空室になってて、噂で聞いたところによると、そこは変な住人が住みつく運命にある号室らしい。家賃を踏み倒しに踏み倒して最後夜逃げするとか、ガスによる火災を起こして大惨事とか、自殺騒ぎで救急車が呼ばれるとか――あんまりろくなことがないもんで、大家が人を住まわせないようにしたんだと。で、マキが住んでるのは角部屋で、下に人も住んでないわけだ。だから大家が端の部屋にピアノを置くのであれば、そこで弾いていいし、隣の人間も特に気にしないと言ってくれているらしい」
「ふうん。まさかおまえ、それで話終わらせる気じゃないだろ?その話をベッドで聞いたってことは、事後ってことだろ?僕が聞きたいのはね、そのもう少し手前のところだよ」
「だからさ、そのー……」
君貴の物言いは、再び歯切れが悪くなった。突然内気な少年のようにもじもじしだしている。
「俺、あの子のことが気に入ったんだよ。普通、突然部屋に行ったりしたら、散らかってるとかなんとか、俺はそういうの、気にしないけど……なんか、全部俺が想像してたのと違った。潔癖症とかっていうんじゃなく、俺が部屋に入っていくなり、多少恥かしそうに物を整理したりはしたけどさ、まあ全然綺麗な感じだよ。そのアパートってのが、三階建てで横に長くて、築年数も結構経ってる、今じゃ同じような構造で建てることはまずあるまいっていうような平屋根でね。あれ、たぶん全部で三十室くらいあるのかな……そこはどうでもいいとして、見た目はとにかくあまり良くない。でも、部屋の中はすごく綺麗だった。見た目は綺麗なマンションだけど、中に入ったら汚い生活してる奴なんて、世の中たくさんいるだろう。まあ、ありゃあの子の性格なんだろうな。部屋の中に特別高価なものは何もないけど、割とセンスのいいものが揃ってて、最初にしてきたのが花屋と同じ花の香りだった。つまりはそういうことだよ」
「何がどういうことなんだよ!僕の立場から言わせてもらえば、つまりはこういうことだろ?君貴はまたその子に会いにいって寝るってことだ。だけど、そのマキって子はおまえがゲイだってことを知らない。それとも何?このままゲイだってことは隠しておいて、その子とつきあい続けるつもり?でも、僕には手に取るようにわかるよ――今はね、君貴にとってその子は物珍しいのかもしれない。だけど、いつまで続くか知らないけど、飽きっぽいおまえのことだ。必ずその子のことを傷つける瞬間というのが遅かれ早かれやって来る。その時おまえ、どうするの?そのマキって子に飽きかけてきた頃くらいに、実は自分にはゲイの恋人がいるって、お互い結婚はしないっていう誓いを立ててるって、その時に初めてカミングアウトするつもり?」
「…………………」
君貴が居心地悪そうに俯いたままでいるのを見て――レオンは今度という今度こそは切れそうになった。すうっと息を吸い込み、一気にまくしたてる。
「わかったよ!!長く続いた僕とおまえの関係も、今日これまでだね!何分、男同士と違って、女ってやつは妊娠する。俺は君貴が避妊というやつにそう忠実であるとは信じられないし、そのうちそんな事にでもなったら、責任を取って結婚せざるをえないんじゃないの?僕はそんなふうになるまで、ただ黙って事の推移を看過なんかしてられないね!しかもその間も、この間マキがあー言っただのこーしたのだの、可愛らしかっただの、そんな話をえんえん聞かされると思っただけで、もううんざりだっ!!」
レオンはそう吐き捨てて、スーツの上着を手に取ると、部屋から出ていこうとした。だが、そんなレオンを君貴が追いかけて止める。
「待てって!俺は絶対結婚なんかしない。それは俺の主義に反することだからな。けど、確かに今、レオンの言うとおりだとは思った。俺はガキって生き物が嫌いだし、それは自分の子供でも例外ではない。あと、もし相手が誰であれ、女と結婚するくらいなら、先におまえと、アメリカの同性婚が認可されてる州でレオンと結婚する。このことは、絶対に約束するよ」
「……ほんとに?」
「ああ。俺たちの間の絆は、女程度の生き物に壊されることはない。あれは言ってみればただのアクシデントだ。けど、俺が分析好きだってことはレオンだってわかってるだろ?俺は目の前にある偶然の現象が、自分にどういう意味を持っているのかを見極めたいんだ。だがまあ、確かにレオンの言うとおり――そんなことをすれば、あの子が傷ついて終わるだけだというのもわかってる」
とはいえ、(また会う約束しちゃったんだよな。しかも次に会う時はデートしようって言ったのも、実は俺のほうなんだ)とまでは、流石の君貴にも言うことは出来ない。
「君貴、肝心なことをまだ僕に話してないよ。その子が傷つこうとどうしようと、そもそも僕には関係ない。というより、どうだっていい。それより、そのマキって子と、どういうふうに寝たの?それを実際に教えてよ……」
おそらく、マキが中性的な青年に見えないこともないように――言ってみればレオンはその逆だった。彼は今三十二歳だったが、童顔なためだろうか。二十代前半と言われても、驚く人はほとんどいないだろう。そして、レオンがもし女装したとすれば、誰も彼が男であるとは見破れないほどの美貌を、彼は有してもいたのである。
レオンがキスをせがむと、君貴は恋人に激しいキスを浴びせた。レオンのほうでもそれに応える。お互いのベルトを外し、ズボンのジッパーを下ろし……寝室へ辿り着くまでの間に、廊下は彼らの着ていたものが散乱していった。
そして、あとのことはいつも通りだった。ただし、レオンがマキとどんなふうに寝たか自分に教えろと言ったため――君貴は『トリスタンとイゾルデ』のことを思いだし、レオンに仕置きの意味もこめて、焦らしに焦らしてやった。
「あの子にも、本当にこんなことしたわけ……?」
レオンは喘ぎながら、ようやくのことで、君貴にそう聞いた。
「ついこの間まで、ヴァージンだった娘にするには、少し激しすぎなんじゃないの?それに、こんなイヤらしいことを彼女にもしたんだとしたら、僕も到底許せないな」
「男と女じゃまるで違うよ」
まだ荒い息遣いをしている君貴のことを見上げると、レオンは恋人の真意を探ろうとした。
「それ、どういう意味?そりゃ、女と男じゃついてるものが違うだろうけど……そのマキって子の場合、まだセックスに不慣れだろうから、しつこく責め立てて、セックスの良さを教えてやったってこと?」
「変な奴だな、おまえ」
君貴はこの時になって初めて笑った。レオンが面白がっているらしいのがわかって、ほっとした。それでこそ、いつもの彼だとも思った。
「あの子は従順な良い子だよ。たとえば、相手が俺じゃなかったとしても――まあ、セックスがヘッタクソな男だったとしても、思いやりの心から相手を立てて何も言わないってタイプだな。それがいいことなのかどうかは別として」
「女となんか、随分長い間寝てないくせに、おまえ、すっかりセックスの権威者になったみたいな口振りじゃないか。その言い種だと」
レオンはこの時、はっきり声にだして笑った。それから、ナイトテーブルの上の煙草を一本取って吸う。「俺にもくれ」と君貴が言ったので、レオンは恋人にも渡した。
「セックスの権威者ねえ。そういうのはやっぱり、ヒュー・ヘフナー氏のような立派な経歴をお持ちの方が言って初めて、周囲の人間も納得するんじゃないのかね」
「ああ、プレイ・ボーイの創刊者の人か。確かにね、あの人以上のセックスの権威者の名前を挙げろと言われても……ちょっと思い浮かばないくらいだものな」
ふたりは、煙草を一本吸い終わると、二度目――いや、三度目の行為を開始した。レオンはもう、ヴァージンのジャパニーズ・ガールのことなどどうでもよくなった。もっとも残酷な形で彼の恋人に傷つけられて彼女が捨てられようと、そんなことは自分に関係ないと思った。ただ、彼にとってその後も唯一気になったことと言えば、君貴がマキという娘との間に起きた出来事を、自分から進んで話そうとしないことだったかもしれない。
だが、レオンはある意味不幸なことにやはり勘が鋭かった。ゆえに、君貴がマキに会ったとなると、必ずその気配を嗅ぎつけたのである。そこで、「自分がゲイであることを彼女に話さないのはフェアじゃない!!」と怒りを爆発させることになるのだったが――君貴のほうではなんとかレオンのことを宥めておいて、引き続きマキと会うことをやめる気だけは、さらさらなかったのである。
>>続く。