【ヘリオガバルスの薔薇】ローレンス・アルマ=タデマ
さて、突然ですが、今回は「砂糖」のお話です♪
砂糖、と聞いて自分的になんとなくパッと思いだすのが……実は、「赤毛のアン」の第25章、「マシュウとふくらんだ袖」に出てくるエピソードだったり
マシュウはアンがマリラの作った飾り気のない実務的な服しか着たことがないのを見て――アンがずっと欲しがっている「袖のふくらんだ」衣服をクリスマスにプレゼントしようと思いつきます。ところが何分内気なマシュウのこと、店の若い女性店員相手に「こんなような衣服を作るのに、~~ヤードくらいの布地が欲しい」といった仕立ての相談をすることも出来ず、結局のところ「そのう、そのう……」としどろもどろに口ごもった挙句、全然必要のない熊手と砂糖を二十ポンド(約9キロ)ばかりも買ってきて、マリラに厳しく𠮟られます。
>>マシュウ・クスバートが変人だということは、ミス・ハリスもきいていたが、いまといういま、これはてっきりおかしいにちがいないときめてしまった。
「干草の種は、うちでは春しかおきませんから、ただいまはありません」と横柄に言ってきかせた。
「おお、そうですとも、そうですとも、そのとおりです」みじめなマシュウは口ごもりながら、熊手を持って出て行こうとしたが、入口のところで代金がまだだったことに気がついて、おずおずともどってきた。ハリス嬢がおつりをかぞえている間に、マシュウは最後の死にものぐるいの力をふりしぼって、
「そのう――もしあまりご迷惑でないなら――そのう――ええ――すこしばかり――そのう――砂糖を見せていただきたいんで――」
「白いんですか、黒いんですか」もうがまんがならないというようにハリス嬢はきいた。
「ええ――そうさな――黒いのを一つ」マシュウは弱々しく答えた。
「あそこに、その樽があります」とハリス嬢はそっちのほうに腕輪をふってみせながら「あれ一品しかないんです」
「では――では二十ポンドばかりもらいましょう」とマシュウは額に玉のような汗をかきながら言った。
帰りの馬車を走らせながら、ようやくマシュウはわれにかえった。せつない思いをしたが、行きつけでない店へ行くなどという、道にはずれたことをしたのだから当然の報いだと思った。家に着くと熊手は物置小屋にかくし、砂糖だけをマリラのところへ持って行った。
「黒砂糖じゃないの」マリラは叫んだ。「こんなにたくさん、なんで買う気になったんです?これは奉公人のオートミールのお粥か、果物入りのケーキに入れるよりほかには使わないのを知ってるくせにさ。ジェリーはいないし、お菓子もとうの昔にこしらえてしまったんですよ。――こんなざらざらの、色が黒いものがなにになりますか――ウィリアム・ブレアの店じゃ、こんな砂糖は置いてないのだけれどね」
「わしは――わしは――こんなのも、ときには役に立つかと思ったもんでな」とマシュウはやっとごまかした。
(「赤毛のアン」モンゴメリ著、村岡花子先生訳/新潮文庫より)
このマシュウがアンにふくらんだ袖の服をプレゼントするエピソードは、「赤毛のアン」の中でもアンがギルバートの頭に石盤を振り下ろすのと同じくらい人気のあるエピソードと(個人的に)思いますが(笑)、こうした「ドレス」というか、中世に関する衣食住の「衣」に関しては再びまたどこかで触れるとして……↓の中で、ギベルネスが「こちらの人たちはどうやって砂糖というのか、甘味料的なものを得ているのか」不思議に感じている箇所があります(つまり、これが今回の言い訳事項の「砂糖」ということで^^;)。
以前にも少し引用したことのある「ドイツ修道院のハーブ料理」の中には、>>砂糖については、著書「病因と治療」で、しゃっくりが出て困る時は、温めのお湯にたくさんの砂糖を入れて溶かしたものを飲みなさい」と(ヒルデガルトは)記しています。当時の砂糖が何の植物から作られていたかは不明です……と書いてあったのですが、その後「中世の食卓」の中に、砂糖に関するエピソードが書いてあったのです!!
>>十六世紀の食卓の一大異変は、何といっても、砂糖の大量消費であろう。十字軍兵士がトリポリ領で発見した中東のさとうきび、別名「蜜の葦」がヨーロッパ人が知った最初の砂糖の原料だった。原産地が東洋だったことから、砂糖はスパイス、または薬と見なされていた。「西ヨーロッパは、初めは砂糖をほとんど薬として用いていた。……われわれの時代のように日常使用する食品ではなかった」。ということは、スパイスや薬と同じくらい高価で貴重品だったということになる。その後、シリア、ロードス島、キプロス島、アレクサンドリア、シチリアなどでも、さとうきびの栽培が始まった。十五世紀の終わり頃の国民一人あたりの砂糖の消費量は一ポンド。一ポンド(0.4536キロ)の砂糖の価格は十八ペンスから三十六ペンスぐらい。エリザベス朝時代になっても、一ポンドの砂糖でレモンが二百四十個も買えたというから、庶民にとっては依然として高嶺の花だったろう。それに、金があるからといって買えるわけでもなかったらしい。十五世紀イギリスの名家、パストン家の女主人マーガレットが家族と交わした書簡は当時を知る貴重な文献となっているが、マーガレットは旅に出た夫に再三「砂糖を買ってきてください」と頼んでいる。富裕な上流階級にとってもなかなか手に入りにくかったのだ。
(「中世の食卓から」石井美樹子先生著/ちくま文庫より)
ヨーロッパに最初に「砂糖」なるものが入ってきたのは、さとうきびによってだったんですね~でも確かに、ビンゲンのヒルデガルトの生きたのが1098年~1179年であることを思うと、その頃の人々はどうやって甘味料的なものを得ていたのか、不思議な気がします
やっぱり、今のわたしたちがパッと思い浮かぶのは、さとうきびの他に甜菜(ピート、さとう大根)だと思うわけです。でも、軽くググってみると、甘味料としては、カンゾウ(甘草)、ステビア、羅漢果(らかんか)……などが天然の甘味料として出てきます。
まあ、何を書きたかったかというと、惑星シェイクスピアには↓でもギベルネスが甘草(カンゾウ)のことに軽く触れているように、何かそうした植物があるのではないかと都合よくこの馬鹿な作者は考えている……という、そんなお話でしたm(_ _)m↓に、ハムレットがカンゾウの葉を取ってその甘さを味わうシーンがありますが、甘草が甘いのは根だそうです。つまり、ディギタリア(ディゴキシニア)と同じく花や姿が似ているだけで、地球産ジギタリスとは別物であるのと同じく、カンゾウも同じように花や葉の形が似ているだけ、というか(ややこしいな!^^;)。
それではまた~!!
惑星シェイクスピア。-【40】-
ハムレットが目覚めてみると、不思議なことには鼻孔の奥のほうに、夢の中で嗅いだ薔薇の花の香りが残っていた。そのくらい『悦楽の園』と呼ばれる庭園には数え切れないほどの数、幾種類もの薔薇が咲き乱れていたのだ。
(果たして、本当にこれで良かったのだろうか……)
シグルドの丸太小屋で目覚めた時、ハムレットが最初に気づいたのは、外で夜中響いていたカエルの鳴き声が、今は一切聞こえないということであった。そこで、そっと寝室のドアを開くと、ギベルネスもシグルドもジェラルドもまだぐっすり眠っているところであり――彼は一足早く外へ出て、散歩でもしようかと思ったわけである。
だが、ハムレットがドアを開けた時、蝶番が少しばかりキィと軋み、その音によってではなかったが、ギベルネスはこの時、はっきり目を覚まし、誰かが外へ出ていったような気配を感じた。体を起こしてみると、隣にはいびきかいているシグルドと、小さく体を縮こめるようにして横になっているジェラルドの姿がある。
(もしかして、ハムレット王子だろうか……)
ギベルネスはそう思い至ると、まだ半分寝ぼけていたが、すぐに彼の後を追い、外へ出ることにしたのである。森の朝はひやりとした空気に包まれており、これがもう数時間後にはムッとするような暑さに変わるとは、到底信じられぬほどであった。
ハムレットは丸太小屋の裏庭にある小さな井戸のところで、瓶を落として引き上げた水で顔を洗っているところだった。
「ああ、ギベルネ先生。いい朝ですね」
「そうですね」
ギベルネスはいつものようににっこりと微笑んだ。この笑顔を見るたび、ハムレットは彼のことを何故だか(不思議な人だな)と感じる。確かに、今もギベルネスのことを見るたび、ユリウスに似ているとは思うのだ。けれど、それでいて(彼はやはりまったくの別人なのだ)と感じることもあれば、(こういうところは師のユリウスにそっくりだ)と感じることもあり――そうしたすべてを引っくるめてハムレットはギベルネスのことが好きだった。
「先生、きのうオレ、すごく不思議な夢を見たんです」
「私もです……が、おそらくはハムレット王子の見た夢のほうがきっと重要なものでしょう。少し、そこらへんを散歩しながら話しませんか?」
「オレも、今ちょうどそう思っていたところです」
井戸から引き上げた水は冷たく、ふたりともすっかり目が覚めていた。そこで、朝にしかない清澄な空気を肺いっぱいに取り込みつつ、立派な杉や松や樅の樹木が左右に生える中――シグルドが切り開いたのだろう細道を辿り、心ゆくまで森の豊かさを五感で味わった。
目に見える緑は、下生えの草も含め、同じ色で輝いているものはないかのように美しく見え、その間を微かに行き渡る風は森林の中にしか存在しない独特の香りを鼻孔へ運び、鳥はこの時間帯にしかない活発さによってかまびすしくおしゃべりし、人間もまたその自然の完璧さの一部として参与させてもらう恵みに浴する……何か、そんなよくある、そして二度と同じ日はない朝であった。
ハムレットもギベルネスもまださほど腹は空いてなかったが、それでもハムレットはカンゾウの花を見つけると、その茎を手折り、葉っぱの部分を隣を歩く先生に渡した。その部分はこすると甘い香りがするとおり、口の中へ入れると砂糖菓子に花の香りがついたような味がするのだった。
(こんなことも、実際にこの惑星へ降り立たなければ、知らないままで終わったろうな……)
カンゾウの花によく似ていることから、宇宙船カエサルでは分類上そのように呼んで記録していた。また、葉は甘い味がし、根茎は砂糖がわりの甘味料としても使われている――といった記述があった記憶がぼんやりある。だが、こんなふうに自分で口へ葉を入れてみたり、根茎をすり潰せば、本当に砂糖がわりにもなるくらい甘いのかどうかについてまで、確かめることなど決してなかったに違いない。
細道をずっと歩いていくと、やがてシグルドが根元から切り倒した樹木の切り株だけが残る、ちょっとした広場に出た。ここへ辿り着くまでふたりは、朝の空気の美味しさのことについてや、豊かな森林のこと(「これだけの樹木が育つのに、どのくらいかかるものでしょうか」と聞かれたので、ギベルネスは「何十年、何百年とかかることでしょうね」と答えた)、耳にしたことのない鳥のさえずりを聴いては、その歌声のするほうへ目をやり、どんな姿をしているのかと一生懸命探したりした。
「ギベルネ先生は、一体どんな夢をごらんになったのですか」
「そうですね。裏庭にある井戸の近くに……お墓の石があったでしょう?大きな石のものと、その隣にそれよりずっと小さなものが並んでいました。その大きな石のところに、黒い髪をした綺麗な女性が立っていて、自分のそばへ来るよう呼んだものですから……私は丸太小屋の外へ出ると、そちらへ行きました。その間も特に言葉のようなものは何もなかったのですが、彼女がとても嬉しそうだったので、私もそのことを喜んでいるといったような夢で……その時ははっきりそうとわかりませんでしたが、夜中に一度目が覚めた時、ぼんやりこう思ったのですよ。彼女はおそらく、ユリウスさんのお母さんだったのだろうと……」
夢の中で、優しい母性的な深い愛に包まれたギベルネスは、そのあと少しばかり泣いた。自分の母親のことを思い出し、今どうしているだろうと――そう思うと何かがつらく、堪らなかった。
「先生、実はオレ、きのう先生とシグルドが話していたことを聞いてしまったんです。特に盗み聞きしようと思っていたわけじゃなく、壁とドアがあっても、声が静かに聞こえてきたものですから……」
「そうでしたか。では、むしろ話が早いくらいかもしれませんね」
ギベルネスは、きのうシグルドが話してくれたことを心の中で反芻し、思いだそうとした。気のいい森番が話してくれたことをすべて、当然彼は覚えていたが、どういった順序で話すのがいいかと思い、暫し逡巡したのである。
「夢を見て、一度夜中に目を覚ました時、ふとこう思ったんです。みなさんがそうおっしゃるように、私はユリウスさんに似ているそうですから……彼のすでに亡くなったというお母さんもまた、もしかして間違えたのではないかと。もちろん、今はそうでないことが私にもはっきりわかっています。彼女は……イレーナさんは、すでに向こうの世界でユリウスさんと再会されているのでしょうし、ユリウスさんの義理の息子にも等しいハムレットさまと、息子そっくりの私が一緒にいたことが嬉しかったという、そうしたことでなかったかと思ったんです。どう言ったらいいか……シグルドさんが、息子のユリウスさんが生きたことには意味があったと、その深い意味を理解されたように、天国のような場所からこちらを見ているイレーナさんには、そのことがずっと前からわかっていた。でも、まだ地上におられる夫のシグルドさんも、同じように理解することが出来て良かったと思い、嬉しかったと言いますか……」
ギベルネスにとって、あの夢にはそれ以上の意味があった。ユリウスの母と思しき女性は、この上もなく深い母性的な愛情によってギベルネスのことを包んだ。そのことで、ギベルネスは明確な言葉なくして、『あなたのお母さんも、きっと同じ気持ちでいらっしゃるわ』と、そう慰められたような気がしたのである。
「先生、オレはあなたが師のユリウスに顔が似ているとか、そんなことは関係なく……もしギベルネ先生がユリウスとまったく似てなかったとしても、やっぱりあなたのことが好きだったと思います。今後は、今みたいに先生とふたりきりになれる機会もそうないかもしれませんし、本当は、ギベルネ先生のことも聞きたいような気はしてるんです。でも、今回ユリウスのお父さんに初めて会って……やはり、人生には時というものがあるんだなという気がしました。だから、その点についてはあえてお聞きしません。本当はきのう、ギベルネ先生のお父さんが戦争で亡くなられたと聞いて、すごく驚いたのですが……」
こちらで戦争、といったとすれば、それは<西王朝>と<東王朝>の戦争のことを意味している。ここ四年ほど、本格的な戦闘行為は両王朝で起きていないが、それは東のリア王朝にて、三年前に先代の王が亡くなったことが関係していると、ギベルネスは宇宙歴史学専攻の惑星学者から、引継ぎの講義の中で聞いていた。無論、この場合は「ギベルネスの父親が戦争で命を落とした」としても、まったく話に矛盾はないということが重要だったわけだが……。
「ええ、まあ。ですから、ハムレットさまが善い父上を亡くされたというそのお気持ちは、すべてでなくとも少しくらいならわかると思っています。それに、私のことはいいのですよ。おかしな言い方ですが、私はもういい年をした結構な大人ですからね。他の家族には、残りの人生を十分豊かに過ごせるくらいのお金であれば残してきましたし……それより、王子の夢の話を聞かせてください。メルランディオスの墓所がわかるような手がかりでも掴めましたか?」
「そうなんです。いえ、正確には結局のところ、メルランディオスの墓の場所はわからずじまいでした。けれど、あいつにクローディアス王と戦争になるという時には必ず協力するよう約束させることには成功したんですよ。もちろん、夢の中で起きたことを、現実でまったく同じことが起きたが如く語るのは、愚かなことに聞こえるでしょうが……なんにしても、とても不思議な夢でした」
ハムレットはこのあと、自分が昨夜見た夢の内容について、なるべく細かく順を追って話していった。それから最後に、こう付け加えたのである。
「夢の中でオレが見聞きしたことには、実際に見たことや聞いたりしたこと以上の事柄が含まれていたと思います。たとえば……メルランディオスのことを殺したアサシン集団にしても、彼ら自身にはメルランディオスに対して何か遺恨のようなものがあるというわけではまったくなく、ただ彼らは上から命令されたことは絶対であるとして、私情というものを一切挟まず行動するだけなのだということや……彼らひとりひとりの過去にあったことなども、すべてではありませんが、なんとなくわかるんです。ヴォーディガン王の立派な霊廟にしても、ひとつひとつの部屋を時間をかけて長く眺めたわけではありません。それでも、大体のところ、まるであらゆる角度から眺めたみたいに、一瞬にしてその情報みたいなものが頭の中に入ってきて……霊廟の外観にしても、外をぐるりと回って見たわけでもないのに、大王の生涯について描かれたひとつひとつのレリーフを、今もはっきり思い出せるくらいです。ヴォーディガン王は、自分が生きていた頃から、死後に余の墓はこのようにして造れといったように指示していたらしいですからね。だから彼は、隠遁生活を送っていたメルランディオスに自分が額づいた場面も名工に彫らせる予定でいたし、霊廟の中庭には、ヴォーディガン大王が覇権を握るに当たって重要な役割を担った将軍らの彫刻群などもあって……メルランディオスはそちらでも随分威厳ある人物として彫刻されていました。そしてこれは、彼の口から直接語られたことではありませんが、それでもわかるんです。メルランディオスがそのことに対して名誉欲のようなものを、死してなお十分満足させていたらしいということを……」
「歴史というものを紐解けば、似たような話というのはたくさんあるのではないでしょうか」
ギベルネスは慎重になるあまり、この時少しばかり間を置いた。というのも、彼の念頭にあったのは惑星シェイクスピアにおける歴史のことではなく、自身のルーツとなる地球の歴史やその後の宇宙史に基づくものだったからである。
「王でも皇帝でも帝王でも……その長く望んできた位を実際に得るまでは、戦争や陰謀を張り巡らせるのに忙しく、心に余裕がなくがむしゃらに戦っていたりするわけですが、王になるなどして権力を得、さらにはある程度戦争状態が緩和されると……今度はそれまでよく尽くしてくれた家臣に対し疑心暗鬼になったり、元は深く信頼していた将が自分に対して叛旗を翻すのではないかなど、そうした人間同士の心のすれ違いによる歴史上の悲劇というのは、たくさんあるのではないでしょうか」
「先生、オレは……ヴィンゲン寺院に古くから伝わる歴史の本を読んでいた時、そうした王と呼ばれる人物に対して、『愚かだなあ』とよく思ったりしたものでした。その頃は、まさか自分が王家の血筋の者であるだなどとは思ってもみなかったので、はっきり言って人事だったんです。ところが今は、ヴォーディガン大王とメルランディオスの話を聞いていて……急に、自分にもありえぬことではないのだと、わかったような気がしています。もっとも、オレの場合はすでに王権を取ったつもりになっているわけでもなんでもなく、事はオレ自身がどうこうということでないのではないかと、そんなふうに理解してるんですよ。特に、夕食の席でタイスとカドールが陰謀に関して話す時の、あの充実した知的な横顔を見ていると……オレはもしかしたらいつか、このふたりのことを疎ましいと感じることがあってもおかしくないのではないかと、心の中で失笑してしまうことがあるんです」
ギベルネスは、ハムレットの夢の中での話を、実際に現実で起きたことでのように、そのまま信じた。また、彼が疑問に感じているように、ここアヴァロンからバリン州までは遠いのに、戦争に必要なもののすべてをどのように用意し運搬するのかについて謎だとは思っている。だが、また夢を通してか何かによってメルランディオスから連絡があったりするのではないかと、漠然と想像するのみだった。
「タイスもカドールも、王子がすでに王になると確信しているという前提でいつも話をしていますから……ハムレットさまがそのことに対して重圧を感じる気持ちも、わかるような気はします」
「いえ、違うんですよ、先生」
いつかふたりきりになれた時にでも、ハムレットはずっと、自分の腹の内にあることをギベルネスにすっかり話してしまいたいと思っていた。それでも<神の人>である彼は、自分を断罪したり、諌めたりしないのだろうかと……またこのことは、自分とタイスのことを可愛い息子のように扱うディオルグに対してでは、決して言えぬことでもあった。
「ようするに、どうやらオレは嫉妬深いようなんです。もちろん、一応頭の中ではわかっています。カドールは一見、心の冷たい策謀家のような、油断ならない男に見えますが、実際はそうじゃない。カドールは彼個人の野心のために動いているわけではなく、すべては自分の主であるローゼンクランツ公爵家の繁栄のためですからね。それに彼は騎士としての生き方においても、ランスロット同様実に忠実であり――そこから外れる行動を取るくらいなら、自害しかねぬほどの誇り高さも持ち合わせているという人間です。オレは、もし自分が王権なるものを取れたとしたら、生涯に渡って本当の意味で心から信頼できるのは、今旅を共にしている仲間だけではないかという気すらしています。だから、嫉妬しているのはそうしたところではなくて……タイスとカドールの関係性のことなんですよ。オレは彼らが嬉々として今後の計画について話すのを聞いていますが、どうも知的な会話のやりとりという意味でも、ふたりの間には入っていけない。また、オレはタイスとは幼なじみであって、お互い空気でもあるかのような絆がありますからね、そうした意味でもオレの嫉妬というのは極めて軽度のものではあります。でもオレが心の内で、どうやら自分が嫉妬深いらしいと気づいたのは……ランスロットと出会ってからなんですよ」
そのことに関しては、ギベルネスはまったく思ってもみなかったので、正直驚いていた。また、寝起きを共にしている他の仲間にも気づいている者がいるとは思えない。
「彼は……とても素晴らしい人間です。騎士としても立派で、男ぶりも良くハンサムだし、何より武人として誰より強くて頼りになる。簡単にいえば、ランスロットはオレが男としてこうありたいといったような人物なんですよ。けれど、オレがこれからどんなに武術に励もうと、ランスロットには槍での勝負でも剣での勝負でも、まったく勝てる気がしません。無論、彼はオレの味方であり、今後将来的にオレと敵対するようなことがあるとは思えないにしても……けれど、ヴォーディガン大王とメルランディオスがそうであったように――おそらく物事のほうはほんのちょっとしたことの積み重ねなんです。オレは……前まではクローディアス王のことを、拷問部屋にて人間の生皮を生きたまま剥ぐところを見て喜ぶと聞いても、あまりピンと来ていませんでした。彼にそうした嗜虐的傾向があるのは間違いないことでしょうが、多少は噂話に尾ひれがついてそんなふうに伝えられているのではないかと思っていたんです。でも、今ではほんの少しだけ、この自分のおじに当たるらしい人間のことが、わからなくもないというか……その気が狂った嗜虐趣味が、ではもちろんないですよ。おそらく何かきっかけがあったのだろうと想像するんです。ギベルネ先生、これはあくまでも、思い切ってするたとえ話だと思って聞いてください……」
ギベルネスには、ハムレットが瞳に涙さえ浮かべているのが何故なのか、この時にはまだよくわからなかった。ただ、彼は賢く、大人びて見えるその容姿のせいで……自分も含めた周囲の人間がまだ十七歳だということをしばしば忘れそうになることを思い、ただじっと黙って話の続きを聞くことにした。
「たとえば、あくまでもこれはたとえばですよ?それまで自分が心から信頼していたふたりの家臣が……これがタイスとカドールのように結託して、『この政策が絶対に間違いなく正しい』として、オレに進言してきたとします。今のオレならたぶん、そのまま賢い彼らの言うとおりにすることに、なんの疑問も感じないでしょう。けれど、そんなことばかりが続いたとしたらどうなります?オレは王であるはずなのに、ただの彼らの操り人形なのではないか……そんなふうに思いはじめても不思議ではない。そこでオレは、愚かにもこのふたりが不仲になればいいなどと考えて、ちょっとした策を弄するようになる可能性だってないとは言えない。ランスロットに対しても、彼の武人としての功績を恐れるあまり、少し遠くの領地へ追いやったものの、今度は離れたら離れたで、彼がそのことを不満に思い、叛旗を翻すのではないかと考え、何かほんの小さな欠点を見つけ、正式に軍を差し向けようとするようになる……まあ、<西王朝>や<東王朝>の歴史でずっと起きているのは大体がこんなようなことの繰り返しなわけです。ですから、オレが今仮に『オレだけは決して絶対に同じ轍を踏むものか』などと内省的に考えていたところで――結局のところ無駄なのかもしれない。何故なら、権力というものにはそのくらい、ひとりの人間を根底から変える力があるからです。もしかしたらクローディアス王は、最初は気に入らない宮廷内の人間の誰かを処刑し、自分の意見が通るようにしたかったのかもしれない。あるいは、そうしてみたところ、周囲の人間が思った以上に自分を恐れるようになり……それでだんだんに歯止めが利かなくなっていったという可能性だってある。だって、そもそも自分の血の繋がった、ただひとりの兄を殺して王位に就いたような男なんですよ?あとはもう何人の人間をどんな形で殺そうが、実兄にして王である男をすでに殺してしまった以上、一体どんな恐れることが他にあるっていうんです?」
ギベルネスは、すぐそばの切株に腰かけている、多感で繊細な十七歳の少年のことを抱きしめることにした。ちょうど昨夜、夢の中でユリウスの母親が自分にしてくれた時のように……。
「ハムレット王子、あなたはきっと、とてもいい王さまになると思いますよ。そしてそれは、タイスやカドールが知的策謀を通し、善意からあなたの前にレールを敷こうとするからではなく……あなたに、王として、人間として、優れた判断力があるからです。いいですか、王子。ランスロットは武人として優れていて、勇猛果敢な素晴らしい人物とも思いますが、カドールには知的な意味では到底及ばないのではありませんか?いえ、ランスロットのように武芸に優れ、カドールのように知的策謀に秀でたひとりの人物がもし仮にいたとして――そうした人物が必ずしも王に向いているとは、私は思いません。何故なら彼は、自分の思うことや思い描くことこそもっとも正しいとして、他者の意見を聞こうとしないだろうからです。ここまで言えば、賢いあなたにはもう多くの言葉はいらないでしょう?あなたはきっと、タイスとカドールが、互いに似ているがゆえに、反目しそうな時にはふたりの間を取り持ち、ランスロットにはその功労によって、今後とても良い領地を与え、生涯に渡る友として絆を結ぶかもしれません。まあ、そこまで理想的な関係性でなくてもいいのです。主従関係というのでなくても、人間というのはそもそもが、若い頃の友情関係が壮年期を経てさらに続くということのほうが珍しいくらいですからね。そうした変遷というのはいずれにせよ避けがたい。なんにしても、きっとあなたは人民に慕われるいい王さまになるでしょう。そしてその信頼を裏切らないために、多少の私情については押し殺すのが当然として、厳しく自分を律するのではありませんか?」
「…………………」
ハムレットはただ黙り込んだ。今にして思うと、自分が何を言おうと、彼からはいずれにしても肯定的な意見が返ってくると、わかっていたような気がする。そして、ハムレットとしてはずっと心の奥深くに隠し持ってきた淀んだ思いを告白してしまったことで――すっかりすっきりしただけでなく、ほっと安堵していた。
(そうだ。こういうところが、ギベルネ先生とユリウスの一番違うところなんだ。もちろんオレはユリウスのことが好きだったし、心から尊敬してもいた。けれど、ユリウスには彼の考える理想の王としての姿があって、帝王学なるものを小さい頃から教えこもうとしたのも、そのせいだったのだろうと今はわかるから……彼の前ではオレはこんなふうに弱音を吐くようなことさえ、きっと出来なかったことだろう)
「ありがとう、ギベルネ先生」
ハムレットは目尻に浮かんだものを服の袖でぬぐうと、ギベルネスから体を離した。
「腹の底にあった黒いものを聞いてもらっただけで、なんだかすっきりしました。こんなこと、相手がタイスでもディオルグでも……絶対言えないことなんだ。先生……オレはね、本当はギベルネ先生かユリウスのような人こそ、王というものに向いているんじゃないかと思いますよ。どう?これからはオレのことはお飾りの王ってことにして、実権は自分が握ろうなんて、少しくらいは野心が湧いてきたりしませんか?」
「いいえ、全然」
ギベルネスはハムレットの中にただの十七歳の少年の無邪気さを見てとり、何やらほっとした。
「そうですね。私はそうした重圧に耐えられる器ではまったくありませんが、ユリウスさんならば……きっと、ハムレット王子の後見人として相応しかったことでしょうね。私も、ひとつあなたに告白しておきましょうか。私は今の自分が自分でなくて、ユリウスさんだったら良かったのになと、時々思うことがあるのですよ。そうすれば、周囲の誰にしてももっとも喜ばしいことだったに違いないと……」
「そんな……オレはギベルネ先生のことが好きです。師のユリウスに対する愛情とは違うかもしれませんが、今では同じくらい深い愛情を持っています。それは、他のみんなしても同じだと思いますよ。ユリウスは優しい人でしたが、同時に厳しい人でもありました。何より、自分自身に対して厳しかったんです。先ほど先生は、『私情を殺して厳しく自分を律する』ことの出来るのが王だとおっしゃいましたよね?でも、ユリウスがそう口にする時、それは絶対の命令にも近い響きを持っているんです。また、そのことが正しいとわかっているがゆえに、オレたち教え子は黙り込むしかない。でも、ギベルネ先生はユリウスと同じことを言っていても少し違うんです。まあ、そう出来るのが理想だけど、人間そんなに完璧でもなければ強くもないから、そう出来なくても仕方ないよ……みたいな、言外にそうした響きがあるというか。だからむしろオレも、頑張ってそうしてみてもいいかな、みたいな気持ちになることが出来る。実際のところ、これは大きな違いですよ」
ギベルネスは微笑った。確かに自分も、中学時代や高校時代に、教師の誰かに対して似た感情を持ったことがあると思い出したからである。
「先生、これからオレが王になれようとなれなかろうと、ギベルネ先生にはずっとそばにいてもらいたいんです。ああ、そうだ。オレは王宮の役職についてはよく知りませんが、ほら、王の相談役とか顧問とかいう役職があるらしいじゃないですか。ギベルネ先生には出来れば、そういうのになっていただきたいんです」
「そうですね。どのような形であれ、ハムレット王子のお役に立てるのであれば、役職名などはどうでもいいことですが、必要ならそのように呼ばれたほうがいいのかもしれませんね」
(それは出来ない)というのがギベルネスの正直な気持ちではあった。だが、彼はこの場はそう肯定しておくことにしたのである。というのも、彼自身今ではここ、惑星シェイクスピアで遭難したことにより――ある種の責任が生じている気がした。ギベルネスにもその気持ちの境目を思い出すのは難しいが、それでも砂漠を旅している時は特に、カエサルと連絡さえ着けば、すぐにでも帰りたいと思っていたはずなのだ。けれど、今となっては、人間関係的なバランスという意味でも、自分が彼らにとって必要とされる存在になりつつあるらしいと感じていた。そして、その信頼を裏切ることは、今のギベルネスには到底出来ないと感じることだったのである。
(つまり……それはこういうことだ。カエサルのほうと連絡が着くのは早ければ早いほど望ましいのは今までと変わりない。だが、むしろカエサルと連絡が着けば、私はもしかしら彼らにとって本当に<神の人>となれる可能性があるということだ。だが、言うまでもなく当然、カエサルにいるメンバーは誰ひとりとして私の意見に従ってはくれまい。それとも、まずは一旦カエサルへ戻ってのち、彼らに必要な情報を再降下してきて渡せばいいということになるかどうか……)
無論、ギベルネスにはわかっていた。もしそんなことをしたとすれば、自分は惑星開発調査法違反により、本星へ戻り次第裁判所へ出頭しなくてはならなくなるだろう。情状の酌量の余地が認められれば執行猶予付きの有罪ということになるかもしれない。だが、それもまた現在のカエサルのメンバーらの証言に左右されることを思うと――今後のことはどうなるかわからないとギベルネスは思った。
何故なら、本星エフェメラへ戻ったあと、母も妹も自然死を選び、すでに亡くなっていたとすれば……ギベルネスは実刑を受けることになったにせよ、ハムレットたちを助けたかったからだ。この件に関する彼の決意はすでに固いものとなっていた。だが、ここまで考えてギベルネスはいつも、首を振って思考を中断してしまう。何よりもまず、宇宙船カエサルから連絡がないことには、こんなことをいくら考えたところで無駄なことだからだ。
シグルドの丸太小屋へ戻る帰り道、ハムレットはまるで牧神でもあるかの如く軽々とした足取りで、時々ギベルネスと冗談を交わしては笑っていたものだった。ギベルネスにとってハムレットは、もし自分が若い頃に結婚していたとすれば、息子であってもおかしくないくらいの歳であり、今では可愛い弟のような存在ですらあった。そしてギベルネスとしてはハムレットの、湖の底に眠る青い宝石のような瞳の中に、人間として決して冒すことの出来ない美しい純真さを見る時――このようなまったき信頼を裏切るような人間は地獄へ堕ちるべきだとさえ感じ、言いようなのない罪悪感すら覚えることがあるのだった。
つまり、(この機会を逃せばもう宇宙船カエサルには戻れない)といった究極の選択を与えられた場合、ギベルネスは(まずは一度戻ってから今後のことは考えよう)と思うに違いない。だが、もしそれがこれからクローディアス王との戦争を開始する直前だといった微妙な時期であった場合――彼としては、ハムレットや他の仲間たちのことを裏切れないと考えていたのである。
(そうだ。何より、事情を話せばわかってもらえる可能性だってなくはないだろう。カエサルからすぐに連絡がなかったせいで、自分がいかに苦労したかについて語れば、同情もしてもらえるに違いない。だが、かつての自分がそうであったように、遭難した人間にしかわからぬ事情についてまでは、彼らは決して理解しようとしないに違いない……そして、その点が一番問題なんだ)
この時、ギベルネスは自分が危険思想犯と見なされ、宇宙船カエサルのメンバーの多数決により、一時的に自分が監禁状態に置かれるところを想像したわけだが――無論、彼は知らない。宇宙船で共に過ごした他の六名の仲間のうち、今では三名が死亡し、他にひとりが船外にて自殺、ひとりが植物状態、最後に唯一ギベルネス・リジェッロ惑星調査員のことを捜索可能な人物だけが、必死になって自分のことを捜し続けているということなどは……。
>>続く。