【郵便配達夫】佐伯裕三
実をいうと、新しいお話をふたつ書き終えました♪(^^)
先に書いたのが「愛している。」という小説で、本当は先にこっちを連載しようと思ってたんですけど……タイトルがもし「愛している。」じゃなかったとしたら、<ユトレイシア秘密情報庁>というもので、諜報関係のお話なんですよね。
んで、この諜報っていうことを調べていくと、なかなか面白いことがわかってきまして――ようするに、一通り書き終わったものの、読まなきゃならない本がたくさんあると言いますか。。。
こんなに色々調べるの、某探偵の二次小説書いて以来なんですけど(笑)、とにかく色んなことがわかってすごく面白いです♪
なので、この間も毎日ちょっとずつ諜報及び軍事関係の本を色々読んでまして――結局、読んでも読んでも全部読み終わることはないって今の時点でわかってるので、まあ、ある程度のところで連載をはじめようとは思いつつ……その次にこの「灰色おじさん」っていう話を暇つぶし(?)に書いてまして、このお話のほうはそんなに長くないかな~と思うので、まあなんとなく先に連載してみようかと(^^;)
お話のあらすじのほうは、高校卒業後、ずっと郵便局に勤めていて、六十五歳で退職したおじさんが――喧嘩して三十年以上交流のなかった弟の娘(六歳☆)と暮らしはじめる……といったところでしょうか。こう書くと、自分でも「大して面白くなさそうだな」と思いますが、まあ実際そんな感じの、なんてことのない小説でもあります
なんていうか、六十五歳の定年退職後のおっさんが、お転婆な感じの六歳の姪と暮らしはじめるものの、このおじさんは結婚したことも子育てしたこともないので、色々戸惑いつつ仲良くやってく……みたいなお話かな~と思います(^^;)
今自分でここの文章読み返してみても、そんなに面白いと思ってませんが(笑)、こっちを先に連載してる間も「愛している。」に必要な諜報&軍事関係の本なんかを読んでいって、で、そのあとこっちのほうを連載していければいいかな~なんて思っていたり。。。
というわけで、結構長くお休みしちゃいましたが、これからもノロノロ更新でやっていこうかなって思っています♪
それではまた~!!
灰色おじさん-【1】-
灰色おじさんは、本当の名前をジョン・グレイと言いました。
でも、大抵の人はおじさんのことをジョンとは呼ばずに、ただ「グレイ」とか「ミスター・グレイ」とだけ呼んでいました。
おじさんはつい最近、四十七年も務めた郵便局を辞めて、引退したばかりです。高校を卒業してからずっと郵便局で働き続け、配達の仕事をして来ました。四十歳を過ぎた頃に一度体を壊し、手術のために三か月ほど入院してからは――内勤の仕分け業務をしていましたが、とにかくおじさんは周囲の人々に「無口で真面目なだけが取り柄のつまらない人物」といったように理解されていたようです。
実際、おじさんは毎日真面目にコツコツ働き、お昼休みには大抵一人で食事し、そんなふうにして九時に出勤して五時には退勤する……といった生活を四十七年ばかりも続けたのです。その判で押したような地味で孤独な生活をおじさんは気に入っていましたし、昼休みに一人で食事することもまったく苦痛ではなく、誰かに同情されて隣に座られたりすると、むしろ会話に気を遣うので面倒だと感じるような、そんな人でした。
灰色おじさんはそんな生活を四十七年ばかりも送ってきた人でしたから、顔のほうは眉間に皺が寄り、口の端などは生まれてから一度も笑ったことがないというように左右ともに垂れ下がっていました。もともと眼が悪かったせいもあるかもしれませんが、ただ普通に前を見ているだけでも、若干誰かを睨んでいるような眼つきをしています。こんな感じで容貌のほうもまるきりパッとしないおじさんでしたが、この自分の目つきの悪さだけは唯一気にしており、人とあまり目を合わせないように気を遣っていたかもしれません。
こんな六十五歳のおじさんにとって、人生の楽しみとは一体なんでしょうか?灰色おじさんの唯一の楽しみと喜び……それはお金を貯めることでした。おじさんは極若い頃からお金を切り詰める生活をしており(それはまた、ただひとりの肉親である弟を専門学校へやるためでもありました)、年二回あるボーナスはほとんどすべて貯金、他の生活にかかる諸費用についても節約し、またこの<節約>ということが、このケチなおじさん唯一の趣味のようなものだったかもしれません。
灰色おじさんには特にこれといって趣味と呼べるようなものもなく――スポーツは学生時代からずっと苦手でしたし、音楽のほうも得意な楽器などひとつもありません。実をいうとおじさんは歌を歌わせると結構うまいのですが、自分では音痴だと思っていました。そんなわけで、人との交流を求めて何か市民サークルに参加したり、あるいはボランティアをしようという気もないおじさんは、郵便局を引退してからは、とにかく買い物以外ではずっと家にこもっていました。
(金を使わないためには、家にずっと閉じこもっているのが一番だわい)というのがおじさんの持論でしたし、人づきあいをしないため、着ているものは大体いつも同じでした。理容店をもうけさせないために、髪も自分で切りますし、食事のほうは一度体を壊してから、栄養について考えられたものを作っていましたが、それもとにかく材料費をなるべくかけないケチ料理というのがおじさんの流儀でした。
そんなおじさんではありましたが、こんなおじさんにもいいところが少しばかりないとも言えません。まず、おじさんは割と清潔好きなほうでしたので、お風呂のほうは一日置きに必ず入りますし(また、お風呂に入ることは血行が促進されて健康にいいとおじさんは信じていました)、持っている服はどれも灰色っぽい地味なものばかりでしたが、下着のほうは夏場は毎日、冬は一日置きに必ず取り替えます。それと、灰色おじさんがいつでも灰色っぽい服を着ていることには理由がありました。何故なら、灰色っぽい服というのは汚れが目立たないため、多少汚れても長く着られるというのがその理由でした。
おじさんは毎朝、判で押したようにほとんど同じ時刻に起きます。朝八時に目覚まし時計が鳴る十分前には目を覚まし、時々体の節々に痛みを感じながら、まずは簡単な食事の用意をし――いつも同じ、トーストと目玉焼きにチーズ、サラダと果物ジュースというもの――家の前に届いた新聞を読みながらごはんを食べます。
おじさんは新聞の隅から隅までを読むので、この朝食にはたっぷり一時間半か二時間は軽くかかりました。それから歯を磨いたり、顔を洗ったりし、今度は図書館で借りてきた本を読みはじめます。そして自分でも書き物をしたりして時を過ごし、その日にもよりますが、大体一時か二時頃に昼食を食べます。おじさんは節約のためにむしろ「買い溜め」ということをしない人でしたので(「買い溜め」なぞということは、家族のたくさんいる連中のやることだて、とおじさんは思っていました)、また体のための運動ということも兼ねて、毎日歩いて十分くらいのところにあるスーパーまで出かけていきました。あるいは、その日の気分、天候によっては二十分くらいかかる場所にある大型スーパーまで出かけて行くということもあります。
おじさんはその日と次の日くらいの献立をあらかじめ考えておいて、なるべくそれ以外のものは買わないように心がけていました。無駄遣いになるからです。けれども、思わぬ商品が値引きされていたりすると、おじさんは心の中で「うほっ」と思い、そうした物にはつい手が伸びてしまいます。おじさんの頭の中は脳細胞だけでなく、心の中も灰色といった具合でしたが、唯一こうした瞬間だけは、そんなおじさんの心にも一瞬光が差すようでした。
けれども、いくら値引きされていたとしても、必要のないものまで買ってしまったり、値引きされたものをたくさん買いすぎては、むしろ高くつくということも場合によってはあります。ですからおじさんはその日、<商品入れ替えにより35%引き>と衣料品売場にあるのを見て、非常に悩みました。というのも、おじさんは服についてはいつでもすり切れるか破れるまで着るのですが、つい先日、下着の脇が一枚破れてしまいましたので、新しく買う必要があったのです(でもおじさんはこの下着を捨てずに今も着ていました)。それと、灰色のズボンが一本、膝のところに穴があいていたので、それも買う必要がありました。
(35%引きとは、これは滅多にないことだわい。よしよし、下着を一枚とズボンを一本早速補充するということにしよう)
おじさんは若い頃から「ファッションを楽しむ」などという概念がまったくない人だったので、とにかく着る物に関しては「安いこと」が一番の購買の動機となることでした。ですから、家にあるのとまったく似たような灰色のズボンを試着室で履き、窮屈でないことを確かめると、5ドル(-35%)の下着を一枚手に取って、このふたつの商品を精算しようと思いました。
ですが、六人ほど人の並んでいるレジの前で自分の番が来るのを待っているうちに、おじさんはふとある悩みに囚われました。つまり、おじさんは服に拘りがまったくない人なため、35%引きのこの機会に、もう2~3枚ばかり買っておいたほうが得なのではないかということです。そこでおじさんは、一度列から離れると、下着とズボンの置いてある場所を5~6回ばかりも往復しました。
(だが、ちょっと待てよ。極たまにではあるが、この35%引きがさらに半額にまでなることもあるからな。それに、他に破れてない下着がわしには六枚ばかりもあることじゃし……ズボンは似たりよったりのを三本も持っておる。これは得と思って買っておくと、むしろ損をするパターンかもしれん)
おじさんは非常に悩んだ果てにそう結論を下すと、もう一度レジのほうへ行きましたが、なんとそこには十二~三人ばかりもの客が並んでいました。おじさんは結果が同じことならあのまま並んでいたら良かったと思いイライラしましたが、なんにしても35%オフというのは実にお得です。そのことを思ってじっと黙って耐えました。やっと次がおじさんの番……という直前、とても太った図々しい感じのするおばさんが列に割り込み、「ちょっとこれ、取り替えてヨォ」と言い出し、そのことに店員さんが手間どるというトラブルが起きました。おじさんは(お、おのれ……)と思い、腹が立ちましたが、ふと後ろを見ると他の並んでいる人々も心の中で親指を下にしているのがわかりましたので、このことにもどうにか耐え、ようやくのことで精算を済ませました。
さて、おじさんは次に、食料品売場のほうへと向かいます。今日の献立はスパゲティ、明日はステーキにする予定でした。おじさんはひょろりと細長くて、弱々しいような体型の割に、意外と肉食系でした。けれども、一度体を壊して以来、自分のそうした食生活を見直して、肉を食べる時には同時に野菜もたっぷり食べる、食後には必ず新鮮なフルーツを摂取するなど、工夫するようになっていました。また、以前は魚など人間の食うものではないと一人決めしていましたが、今は週に一度か二度はお魚を食べるようにもしています。
おじさんは籠をカートにセットすると、まずは野菜売場で特売だった1/2のキャベツとじゃがいもをまずそこに入れました。そのあと、きゅうりが三本で1ドルなので安いと思い買うことにし、そうなるとキャベツときゅうりとトマトのサラダにしようと思い、トマトも一個買うことにしました。
スパゲッティの麺のほうはストックがありますので、上にのせるミートソースの缶をひとつだけ買います。ステーキのほうは――実は今日はこれが目的だったのですが――『本日、肉特売日』、『毎週木曜は肉の日』と旗の下がる下で、牛サーロインステーキがいつもの40%引きくらいの値段で売られていたのです。
他に、帰り道でパン屋さんに寄って、いつも食べている食パンやロールパンなどを買い、家まで帰ってきたというわけでした。おじさんは帰ってくるとすぐ、家計簿を書き込み、レシートをスクラップブックに貼りはじめました。こうしていつも、自分が無駄遣いしていないかどうかをチェックし、(今日はステーキに目がくらんで、ちょっと使いすぎたかもしれん)と反省したりするのです。
(じゃがまあ、下着は本来5ドルするのが3ドル25セント、ズボンのほうは30ドルのを19ドル50セントで買ってやったぞ。しめしめだわい)
こうしておじさんはほくそ笑みながら夕食の準備をはじめ、衣料品に関しては10ドル以上も得してやったぞと思うと、自然、調理をしながら鼻歌が飛び出ました。こうしておじさんはスキレットの上のミートソースを満足気に食べ、ボウルの中のサラダも美味しそうに食すと、最後にデザートとしてメロンを1/4カット食べました。
そして、おじさんが旬のメロンを美味しそうに食べていた時のことでした。珍しく家の電話が鳴り――ちなみにおじさんは携帯を持っていません――(はて、こんな時分に誰じゃろう)と思いました。今は七時を少し過ぎたくらいですが、こんな時間に電話をかけてくる親切な掃除機や健康食品の販売員がいるとも思えません。
そうした電話は大抵が昼間かかってくるものですし、おじさんは人づきあいをしない人でしたが、唯一こうした販売員の話は最後まで聞くことにしていました。もちろん、おじさんには宇宙一性能がいいという振れこみの掃除機を購入したり、自分の血管年齢を若返らせるために高額な健康食品を買うつもりはありませんでした。ただ、人と話すということに飢えていましたので(おじさん自身はそのことに気づいていませんでしたが)、そんな人たちと適当に話すということにしていたのです。そして最初は「ふうん」とか「へえ、そう」と相槌を打ち、決まって最後には「宇宙一ということはNASAが開発した掃除機なのかね?」と言ったり、あるいは「わしの血管年齢は、この間病院で測定したら二十歳だったわい」などと嫌味を言ってガッチャリ電話を切るのでした(意外なことですが、おじさんには案外ユーモアセンスがありました)。
ところで、この時おじさんに電話をかけてきた人物は、サウスルイスという都市の弁護士事務所の先生でした。おじさんは(もしかしたら詐欺電話かもしれんな)と思い、即座に警戒しましたが、話が進むうち、おじさんの目はだんだん潤み、声のほうは震えてさえきました。
早くに両親を亡くしたため、今ではただ一人の肉親となった弟のジャックが交通事故で死んだというのです。
「せ、先生。そ、それは一体いつのことなのですか!?」
『一週間ほど前のことになります。ジャック・グレイさんと奥さまのレイチェルさんが亡くなりましたのは……何分、ジャックさんにもレイチェルさんにもお身内といったものがなく、お兄さまであるあなたがまだ御存命であることがわかり、このようにお電話させていただいた次第であります』
「…………………」
おじさんはショックのあまり黙りこみました。実をいうと、ジャックが結婚するという時、兄であるおじさんはそのことに反対したのですが、ジャックが従わなかったため、おじさんと弟の関係には亀裂が入り、その後修復されることはなかったのです。
(あれはジャックが二十五くらいの頃のことだから……今からもう三十八年も昔の話になるのか。その後、あいつとは話をする機会もなかったからの……わしは馬鹿だ。何故こんなに時間が経つまで、一度も連絡さえしなかったのか……)
このあと、おじさんの脳裏には、親戚に預けられていた小さな時、弟とふたりで遊んで過ごした時のことや、両親が死んだ時、互いに抱きあって泣いた時のことや……色んな思い出が走馬灯のようにぐるぐると巡り、最後には嗚咽しか洩れては来ませんでした。
『御心痛、お察し致します。それで、ですね。グレイ夫妻にはひとり娘がおられるのですが、まだほんの六歳なのですよ。財産のほうは当然この娘さんのものとなるわけですが、あなたに後見人になっていただけないかと思いまして』
「い、いや。そんなことは到底無理じゃ。わしはこの年になるまで一度も結婚しとらんもんで、男の子ならまだしも、そんな小さい子、どうやって育てたらいいかなんぞわからん。じゃから、後見人なんぞ絶対無理じゃ」
ジャックの忘れ形見であるという娘に会ってみたいという気持ちはありましたが、引き取るという話になると、おじさんは流石に尻ごみしました。
『いえ、引き取るかどうかは別として……何分、娘さんのグレイス様がもっと大きくなられないことには、御両親の財産を相続するということは出来ません。その間、財産のほうは後見人であるあなたに管理していただくことは可能かどうか、一応打診しておきたく思いまして。そのこととグレイスお嬢さんのことを引き取るかどうかというのは、別のお話なんです』
ここで、おじさんの気持ちは揺れました。おじさんの弟のジャックは料理人でしたから、財産といってもそう大したものではないでしょう。ただ、自分がその後見人にならなかったとしたら、しかるべき法的機関がその代わりとなるのであろうから、基本的に心配はそういりません。とはいえ、その大してないであろう財産を何かの形で掠め奪われ、成人後グレイスに何も残されなかったとしたら……おじさんはただ、その一点だけが心配だったのでした。
(今までわしは、ジャックに子供がいるなんぞとは、想像してみたこともなかった。よく考えたら、いるのが当たり前だっていうのにな)
そしてこの時、もし明日にでも自分が脳梗塞や心臓発作などで倒れ、誰にも発見されず、自力で救急車も呼ぶことが出来なかったとしたら――自分の財産的なものもまた、そのグレイスという娘にゆくことになるのだろうと、おじさんは突然気づいたのです。
「あ~、そのですな。あんまり突然のことで、驚いてしまいまして……何分、わしとあいつとは、かれこれ三十年以上も音信不通だったもので。そんな小さな娘がひとりいたということも、今初めて耳にしたといった次第でしてな。その、その子はもしわしが引き取らなんだら、どういったことになるのでございましょう?」
『そうですな。まあ、孤児院と言いますか、そうした施設へ行くことになるでしょうな。ですが、ミスター・グレイ。そのことであなたが罪悪感を感じる必要はないと思いますよ。確かに、六歳という年で両親をいっぺんに亡くすなどということは、非常に不幸なことと言わざるをえませんが……グレイさんにはグレイさんの御事情がおありでしょう。ただ、当方と致しましては、グレイさんに後見人になっていただくというのが一番良いことではないかと思っておりまして。何故かと言いますと、グレイスお嬢さんに致しましても、そのような血の繋がったおじさんが自分にはいるのだということがこれからの生きる支えとなることでしょうし、引き取るということまでは出来なくても、一年に一度……いえ、数年に一度でもお会いになるなど、それだけでも違うことではないでしょうか』
「…………………」
おじさんは暫くの間黙りこみ、そのあと、「今はまだ冷静に物事を考えられませんので」と言って、翌日またこちらから電話する旨を伝え、一度電話を切りました。ちなみに、お葬式のほうはすでに済んでおり、二人とも通っていた教会が所有している墓地へ葬られたあとだということです。
(そうか。そういうことなら近く、ジャックとレイチェルさんのお墓参りへ行ってこなくてはなるまいな……)
おじさんはノースルイスという場所に住んでいましたが、弟のジャックはそこから南に約千キロほど離れた、サウスルイスという場所で自分の小さな店を持っていました。こう考えていくと、その店も今どうしたのかなど、おじさんは色々と疑問になってきました。もっとも、おじさんの頭にはあまり、もしそこが弟の持ち家であったなら、それを売って自分の懐へ入れたい……といった考えはありませんでした。むしろ、実は弟には借金があって、それを自分が支払うことにならなければいいがと、そんなことを心配していたほどです。
(だが、墓参りに行って、娘のグレイスとやらに会わないというわけにもいくまいな。それで、わしが唯一血の繋がっている身内だと知ったらその娘はどうするだろう。自分を引き取ってくれと言って泣き喚くだろうか?それに、「孤児院へなんか行きたくなーい!」とその子が泣きじゃくったりしたら、わしはどうすればいいのじゃろうな……)
おじさんはその夜、色々なことで随分頭を悩ませました。何故もっと早くに弟と会って和解しなかったのか、そのことが悔やまれてなりませんでした。喧嘩の原因は、今にして思えばとてもくだらなくてつまらないことのように思えました。おじさんは、ジャックが交際していたレイチェル・メザーウェルのことを気に入らなかったというわけではありませんでした。ただ、まだ若すぎると思って反対したのです。その時、ジャックは二十五歳、レイチェルはまだ二十三歳でした。ジャックは高校を卒業後、ノースルイスにある調理専門学校に二年通い、その後いくつかの店で修行をしました。
弟のジャックの性格は短気で喧嘩っ早く、シェフや同僚のコックたちと揉めて店を辞めたということも一度や二度ではありませんでした。そのような弟の性格をおじさんは知っていましたから、交際して一年にも満たない女性と結婚を決意するのはいかがなものかと思ったのです。そこで、おじさんにしてはかなりキツい口調で、『俺がどんなに苦労しておまえのことを専門学校へやったか』ということからはじめ、ちょっと長く説教したのです。性格がまるきり正反対のふたりではありましたが、不思議と気が合い、これまで喧嘩らしい喧嘩はそれほどしたことがなかったのですが――この時、ジャックは突然『兄貴はなんにも全然わかってない!』と怒鳴りはじめ、『確かに兄貴には金を出してもらって感謝しているが、そんな恩着せがましい言い方をするなら、もう絶交だ!』と最後に叫んで、おじさんの住むボロアパートから出ていったのでした。
この時、ジャックは『兄貴はなんにもわかってない!』と言ったのですが、弟の言いたいことが実はおじさんにはわかっていました。二人は中学生の時に両親をいっぺんに失い、その後は母方の伯母家族の家に引き取られたのですが、そこではとても肩身の狭い思いをさせられました。また、学校では両親がいないことで弟はからかわれるたび、クラスメイトと喧嘩をし、家に帰ってくると性格のキツい伯母に叱られるという、そんな毎日でした。それでもどうにか二人とも高校を卒業し、伯母夫婦はここまで育ててやっただけで十分だと言わんばかりの態度で二人を追い出しにかかったわけですが……専門学校の学費はおじさんが出していたとはいえ、その他の生活費などはジャック自身が働いて支払わねばなりませんでしたから、とても大変だったでしょう。けれどもおじさんとしてもそれ以上お金を出すということも出来ず、ただ弟には「必要最低限のことをしてやった」というそれだけでした。
この時、ジャックはそれまで言わずに来た、おじさんの心がぐっさり傷つくようなことを言っていましたから、おじさんはそのことを根に持っていたわけではありませんが、それでも暫くの間は弟に会いたくもないし、口も聞きたくない……といった気持ちにさせられたというのは事実でした。
(あれからもう三十八年か。早いもんだな……それに、子供のほうも結婚して随分遅くなってから出来たところを見ると、可愛くて可愛くて仕方なかっただろう。しかもその子を残して死ななくてはならなかったとは……)
おじさんは、ジャックが結婚してから、相手の女性に愛想を尽かされるでもなく三十年以上も結婚生活を続けていたことがとても不思議でした。それに、小さいながらも自分の店を持ち、昔からの夢を叶えてもいたのです。実をいうと、おじさんと弟のジャックのお父さんはイタリア料理店のシェフでしたから、ジャックが料理人になることに何故あれほど拘っていたのかも、痛いほどわかったいました。それに、娘のグレイスという名前も……グレイス・グレイだなんて、ちょっと奇妙な名前かもしれませんが、実はおじさんと弟のジャックのお母さんは、名前をグレイスと言うのです。
(きっと、ジャックの奴は、息子が生まれていたとしたら、父親の名前をとってアンソニーと名づけていたことだろうな。それにしても、死因が父さんや母さんと同じ交通事故とは……グレイ家は車に関して何か呪われてでもいるのだろうか)
おじさんに電話をかけてきた弁護士のジェイコブ・クラークの話によると、ジャックと妻のレイチェルとは、娘を隣の家族に預けて月に一度のデートに出かけていたところだったといいます。その帰り道で轢き逃げされ、発見時にはまだ息があったものの、病院に運ばれて数時間でレイチェルは死亡し、ジャックはその後一週間ほど生き延びたのちに集中治療室で息を引き取ったということでした。
(しかも、父さんや母さんと同じように轢き逃げされるとはな。あとから酔っ払いが父さんと母さんを轢き殺したことがわかって、わしは自分は絶対に酒なんぞ一生飲まんと思っていたが、そういやジャックは結構いける口だったっけな……)
突然死んだ、と聞かされても、遺体を直接見たというわけではありませんでしたから、おじさんはショックを受けながらもなんだかまだ実感の湧かないところがありました。そして、こんな日がいつかやって来るのなら、何故もっと速くに和解しておかなかったのかと、そのことばかりが悔やまれました。
その日の夜、おじさんは枕に頭をつけてからも、輾転反側してなかなか寝つかれませんでした。弟のジャックとの間にあった色々な思い出のことや、弟の店は果たしてそれなりに繁盛していたのかといったことや、妻のレイチェルさんと暮らして幸せだったのかどうかということなど……それから残された娘のグレイスをどうすべきか。
(孤児院へ行かせるのは可哀想とはいえ、かといってわしにそんな小さな子を育てるなぞということはまずもって不可能じゃからな。けれどもまあ、弁護士のクラーク氏が言っていたように、わしはわしの出来る範囲内でその子と関わるのが一番いいに違いない。幸い、これまでろくに無駄遣いもせずずっと働いてきたため、金のほうはそれなりにある。わしの墓代と、仮にわしが百歳まで生きて施設なんぞに御厄介になったとしても、十分釣りが来るくらいはな……よし、わしはこうしよう。その金をグレイスのために使うのじゃ。そうすれば、もしわしが天国へ行った時――父さんや母さんやジャックたちに会ったとしても、恥かしい思いをせずに済むだろうて)
おじさんはこの日の夜、仲違いして長く連絡を取っていなかったとはいえ、この世における唯一の肉親である弟を喪くしたことに対し、とめどもなく涙を流しながら眠りました。そして、弟のジャックと奥さんのレイチェルさんのことを気の毒だと思う反面……それでいて、不思議とジャックのことが少しだけ羨ましくもありました。自分が死んで弟のほうが生きていれば良かったのにと思うくらい、おじさんは運命の意地の悪さというものがつくづく憎らしくさえ感じられたものでした。
何故なら、おじさんは結婚しているわけではありませんでしたから、奥さんもいなければ子供もいません。また、この先の人生でそう大したことがあるとも思えません。あとはただ老いさらばえて死ぬだけの身です。それなら、弟のジャックのほうをこそ、何故神さまはせめても生かしてくれなかったのか……そんなことを思いながら、おじさんは眠りにつきました。
そして、今弟のジャックは天国で父さんや母さんと再会していることだろうと思うと――おじさんはそのことが何より、羨ましく感じられてならなかったのでした。
>>続く。
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