宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

世界平和の祈りと五井先生の唱名(3)

2021-09-20 07:19:52 | 祈り
     (前日からの続き)
いろんな霊修行もしましたでしょう。
交差点の車の激しい通りを目をつぶって歩け
とか、何とか言われたりして行こうと
思ったけれど、行けなくなったりとか。
そういう無駄なことは、守護霊さんはね、
ささやきでいろんなこと言ってためして
くるけれど、結局、私という人間を
死なせないような形でもってね、神様
というのは、一人びとりの天命を果たさせる
ためには、決して生命のある間は死なせない。
そういう神様の愛護を、あの時私は知った訳
なんですが。
つまり、自分の天命を、あの時に思い知ら
されてですね、そして、私がもう一人の自分、
神様の、神界の光り輝いている、自分の生命を
つき動かしている、真実の自己というものに
出会って、それを肉体の奥から取り出して、
肉体をそえものにして、それを主(あるじ)
にして出来ていった時にですね、私は
みなさんの目には、ちゃんと話をして、
しゃべって、食べるものも食べてね、頭も
刈りに行って、散髪もちゃんとして、背広も
普通に着こなすという、五井昌久にちゃんと
なっていたと思いますよ。
ちゃんと肉体を、死ぬまで可愛いがって
いましたからねえ、死ぬまでね。
             (つづく)

世界平和の祈りと五井先生の唱名(2)

2021-09-19 23:09:17 | 祈り
    (前日からの続き)
例えば、私は前にも、会に来ているね、
統一会に来ている人に、高校生だったかな、
その人に尋ねたことがあるけれども、本にも
あると思いますよ。
今、世界人類が平和でありますようにと
言えませんと。
それで、五井先生と言えるっと聞いたら、
五井先生だったら言えると。
じゃあ五井先生と言いなさい。
五井先生と世界平和の祈りは一緒なんだから
ということを言う。
これは、私が始めた祈りだから、私の名前を
言えば世界平和の祈りと私は同体なんだよ。
つまり、五井昌久という個人を高見の所に
持って行って、私を拝めば、御利益的なものも
現世のものも来世のものも、全部救われると。
救われるというのはそういう風なことでは
ないんです。

そういうことではなくて、私は、こうして
宗教の活動をする前まで、何を考えていたか
というと、悟る前は、人類の為に私の生命が
何か役に立たないか、人の為に何か役に
立たないかと。
そして、神様の事をずっと考えていた。
で、主の祈りを唱えた時期があったりね、
癒した時期があったり、生長の家にいた時期が
あったりしながら、ついに合体して、
合体してというのは、真実の自己というものと
合体した訳ですよね。
私はあそこへ書いたけれども、つまり、本当の
自分の中の本当の自分というもの、光り輝く自分
というものをその天界に行って見たらば、輝いて
輝いてて、私はそれを見た時に、まあ何だか
いろんなことが生活の中に起こって来て、人間と
いうのは、絶えず文句を言ったり悲しんだり
するんだけれども、しかし、あれを見ると、
どんなことをされても、どんなことを
言われても、まあ本当に腹を立てる気にも
ならない。
それ程光明燦然とした世界がそこに
あってですね、そして調和した自分が
そこに居た。

で、その調和した自分というのは、神体の奥の
奥のね、この世の中で働く為の、一番見えない
所で、眠らされているような所でというか、
眠ってはいないけれども、皆の目には見えない
所で働いているその自分と、私はその時に会った
訳ですね。
そうして合体した訳なんです。

だから、私はそれから以後、肉体というものは
もっているけれども、仮に食べたり飲んだり
眠ったりする為に、その肉体を養う為には肉体を
使ったけれども、そこからの私の生活という
ものは、結局、神様のみ心に全部委ねようと
決心をした訳です。
            (つづく)

世界平和の祈りと五井先生の唱名(1)

2021-09-18 09:55:47 | 祈り
世界人類が平和でありますようにという
言葉で始まる、世界平和の祈りと申しますのは、
私が神様のみ心を受けて、そしてまあ人意的に
申しますと、私が始めたということに
なっている、唱導したということになっている、
祈りでございますけど。

これは、本当に神様のみ心そのものなので
あります。
つまり、それは一言で言えば、神様という
ものは愛なのだということ。
そうして、その神様の愛であるということを
我々に告げ知らせる為に、守護霊さん
守護神さんというものが、もう絶えることなく
働いている。
我々は眠ったり自分を休めたり致しますけど。
そういう休息をする暇もなく、我々の
この肉体生命も奥の生命も、向こうの世界へ
霊界移行しても、もう本当に最後の最後まで、
神様の愛というものを本当に知らせる為に、
我々一人一人を支えて、そうして、我々の
天命が完うされるようにもってゆく。
これが本当の神様の愛なので。
ですから、この神様の愛というものを
現わした体現した祈りが世界平和の祈り
なのでありまして、そうして、その神様の愛
というものが、神様から分かれて来た
生命である我々人類の一人一人に与えられて
いる。
そして、与えられているばかりではなくて、
我々の体の奥に心の奥に神様の生命が
燃えていて、与えられていて、そうして、
その生命によって我々が生きている
ということを私が申し上げた形になっている
訳であります。

しかしながら、五井昌久が始めた祈りで
あるならばという言い方をしますとね、
五井先生五井先生と言って、斉藤さんなんか
よく唱名ランニングをしましたけれどもね。
ああいう風な形で五井先生と言ってしまうと、
何か五井先生にすがってね、そして力も
無いのに何か救ってもらおうというような、
そういう想いになってしまわないかと。
講師の中にはそういう想いに把われる人も
あるやに想います。
          (つづく)

人間 神の子論が暗示にならないように(4)

2021-09-17 07:10:13 | 祈り
      (前日からの続き)
我々に一番大事なのは何かというと、それは
祈りなんです。
祈るということを離れたら、我々は何にも
出来ない。
祈りは、神様と我々を結びつける。
神様の愛と我々の愛を結びつける。
神様からいただいている、我々の中にある
いろいろなおもいやりだとか、肉親への愛情
だとか、子どもへの愛情だとか、師弟の愛
だとか、いろんな愛がありますよね。
それだけじゃなくて、それを世界人類に
広げてゆく。

そういう神様からいただいてる大きな恵み
というものを、もう一度自分の中に、何て
いいますか、振り返ってみてね、そうして、
暗示だけに終わらないように、今、白光は、
勇ましくして、何とか世界人類全体の業
といいますか、そういう暗い想いというのを
はね飛ばさなきゃいけない為に、いろいろ
行進をしています。
そうすると、砂埃がたってしまって、その
砂埃が、弱い人たち悲しんでいる人たちの
中へ入っちゃってね、そういう苦しんで
いる人のところにまで、なかなか目が
いかなくて、その辺が申し分けないと
思っているけれども。

結局、人間神の子は暗示にならないか
というのは、真理としては暗示にならない。
ね、真理としてはその通りなんです。
これは、私が言ったのも、生長の家の
あの先生が言ったのも一緒なんですよ。
一緒なんだけども、あの先生の時には、
あれは精神分析になっちゃった。
人間は分析しきれないものがある。
何故ならば、人間は神様から来てる生命
なんだからね。

それに対して、ありがとうございます
と言って、感謝の気持ちがないと、
分析しちゃったってどうしようも
ないんですよ。
だから、その感謝のおもいをかえしてゆく、
往相と還相でかえしてゆく。
この現実の世の中のこの生活を大事に
してゆく。
想いを大事にしてゆく。
ありのままの自分を大事にしてゆくという
ことと同時に、神様の世界を思う。
そうして、霊界で働いている人々のことを
思う。
そのことが霊なる生命の、我々の奥の
光明体を発展させてゆく。
そうして、自分の光を増してゆく。
そうなってゆくんだということを覚えてですね、
そうして、我々は本当に神の子なんだという
自覚を、さり気なく深めて行って下さい。
     昭和63年7月22日

人間 神の子論が暗示にならないように(3)

2021-09-16 11:36:33 | 祈り
      (前日からの続き)
私が生きている時に言いましたようにね、
守護霊さんを想っていると、守護霊さんの世界に
行くと言いましたでしょ。
それと同じなんですよ。
そこの世界へ行くんです。
だからね、苦しいと想ってる時は、その
苦しいという流れの世界に行くんですよ。
で、あなた方が皆ね、大変だ苦しい、これは
困ったどうしようかというのは、それは
確かに現実のいろいろなことが迫って来て、
苦しいというのがあるんだけれどもねえ、その
苦しいなら苦しいの想いの中へ入って、
さっきも申しましたけどねえ、その世界へ
連れて行かれる訳ですよね。
自分の中の本体が行きたくないのにね、
光の方へ行かないでそっちの方へ行くから、
自分の中のものが詰まっちゃって、もう
息苦しくなっちゃって、何とかならないか
なあっていう、そういう想いが一杯出てくる
訳です。

やっぱり人間というのは、先程申しました
ように、光の自分も持ってるわけ。
そして、本体はこっちな訳ですね。
人間神の子なんです。
しかし、そうは思いにくいから、いろいろ教義
だとか、世界人類が平和でありますようにと
言って、個と人類がね、同時に救われる、
この祈りの中へ自分を入れてしまって、
そうして、無心になって祈っていく内にね、
人間神の子が宣り出されてくる訳ですよ。
ああ神の子になったなあって、そんな
もんじゃない。
本当に自然に光明体になっていく訳です。
目には見えないけど。

祈ってる時に、あなたたちは皆光の子
なんですよ。
神様の子なんです。
その本来のものがこちらからすると、
祈ってる時にみんな観えてくる。
世界平和の祈りをおいといて、教義を
おいといてね、祈るということをおいといて、
人間神の子、人間神の子といっても、
そりゃあ無理なんです。
         (つづく)