新版 もういちど読む山川地理
田邊裕
山川出版社
子供のころから地図を眺めたり旅行に行ったりするのが好きだった。
しかし、「地理」という科目ないし学問にちゃんと接したことがあるかというと、ほとんど自覚がない。
通っていた中学や高校では確かに「地理」という科目があったが、はてどんなことを習ったのか、自分の成績はよかったのか悪かったのか、まるで記憶がない。覚えているのは地理の教師が禿げ頭だったことくらいである。
大学の一般教養にも「地理学」というのがあって、履修したこと自体は覚えているのだが、さてこれもどんな内容だったのか、露ほども覚えていない。
きっといねむりばかりしてたんだろうななどと思う。
というわけで、「地理」というもの、正体を知っているようで、実はぜんっぜん知らない。
そんなわけで、おそまきながら、山川のもういちど読むシリーズ「地理」に新版が出てそこそこ売れているというので、手に取った次第である。
で、「地理」には、「地誌」と「系統地理学」というのがあるのだ、なんて「もののみかた」から初めて知っちゃうのである。「地誌」というのは、アメリカとかアフリカといったような、エリア別の情報。「系統地理学」というのは、地球上にある国や都市を、農業の分布状況とか、都市スタイルの分類とかでひもといてみること。つまり、地誌が縦の糸、系統地理学が横の糸。
とにかく、がんばって始めから終わりまで読んでみたが、次々に出てくる固有名詞を覚えるのはもはや無理で、そういうものなんだなという全体のイメージをつかむのがせいぜいである。地誌のほうはなんとなくビジュアルイメージなどもしやすいし、旅行気分も手伝って読みやすいが、系統地理学のほうはけっこう論理の世界だ。人の営みを左右する、その土地の産業、その産業を規定する地勢や地形や気候、その環境が与える文化的特徴、という風に、われわれの当たり前と思っている生活スタイルは、その地の地球環境と因果でつながっているわけで、それを系統別に分類していく。日本の話ならばまだ皮膚感覚があるが、日本にない属性の話になると、想像力をウンウンと働かせないと、ついつい字面だけを追うに終始してしまう。民族や宗教のように、日本人だとどうしても遠巻き感覚になってしまう要素も多い。
僕の学生時代の「地理」の記憶はあいまいだが、小学生のときの「社会」はわりと覚えている。
そのころ、ぼくは埼玉県の所沢市に住んでいた。昭和50年代である。
小学4年生のときの社会は「自分の住んでいる市」が対象だった。教科書はモデルケースで神奈川県小田原市かなにかがとりあげられていたが、教科書は副読本のような扱いで、授業自体は自分たちの住む埼玉県所沢市のことをよくとりあげていた。所沢の特産品とか、駅や商業地の分布とか。日帰りの社会科見学では、バスを借りて、所沢市内の工場とか農地の見学にいった。
小学5年生になるとこんどは「自分の住んでいる県」が対象になった。埼玉県の産業とか人口とか地形とかである。この年次の社会科見学は埼玉県の工場や河川などをみにいくものだった。小川町の伝統的な紙すきなんかも見学した記憶がある。
そして小学6年生で対象は日本全体となった。〇〇山脈とか、××川とか、△△工業地帯とか。あるいは●●の名産地はどこかなんて話が出てくるのはこの段階だったように思う。
つまり、自分の住んでいるところから出発してだんだんスケールが大きくなる。
これが、当時の小学生の社会科の一般だったのか、自分の通っていた小学校だけの特殊なのか(公立である)は、もはやわからない。当時の小学校は日教組などイデオロギーの力も強かった。
これが、当時の小学生の社会科の一般だったのか、自分の通っていた小学校だけの特殊なのか(公立である)は、もはやわからない。当時の小学校は日教組などイデオロギーの力も強かった。
ただ、このアプローチはよかったな、と思う。埼玉県所沢市に住む小学4年生にいきなり、縁もゆかりもない神奈川県小田原市を題材にされても、ちっとも面白くなかっただろう。いつも遊んだり出かけたりしている所沢市だからこそ、あの道はそんなところにつながっていたのか、とか、駅前の商業地しか知らなかったけれど、農業地帯がいっぱいあるんだ、とか。地理感覚としての未知の地平が広がったのである。
せっかくいい出発を切ったのに、中学生以降は上記のとおりの体たらくで今に至ってしまった。
おそらく、中学の「地理」は系統地理学の入り口だったのだろう。それまで地誌として面白くなってきたのに、系統地理学の入り口で、不幸にも僕は興味をもてず、いねむりタイムにあててしまったのかもしれない。