フランクル「夜と霧」への旅
河原理子
朝日新聞社
本書はヴィクトール・フランクルの不朽の名著「夜と霧」に思いを寄せ、フランクルや彼にまつわった人々を取材した本である。
「夜と霧」。日本ではみすず書房から刊行されており、もはやみすず本の代名詞である。
御多分にもれず、僕も中学校の図書室で手にしたのが初めてで、巻末の資料写真にひたすら目を奪われてしまい、肝心の本文はほとんど頭に目に入らなった。
僕が図書室で手にしたのは故・霜山徳爾訳のもののはずである。
霜山が訳したフランクルの本文に、資料写真集をつけて合本し、「夜と霧」というタイトルをつけたのは当時みすず書房の社長であった小尾俊人だ。
「夜と霧」というのはかなり原本のタイトルからはかけ離れた邦題で、1946年に発行された原本は「Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager」というタイトル、直訳すると「とある心理学者、強制収容所を体験する」となる。
「夜と霧」は、日本国内では1956年にみすず書房から刊行され、ロングセラーとなった。
しかし、フランクル自身が1977年にかなり広範囲にわたる修正を施した改訂版を出したため、改めて新翻訳を出すことにした。これが池田佳代子訳である。
このとき、そもそも資料写真が附いていることは必ずしもフランクルの本意ではない、という見解が立ち、池田訳からは資料写真は取り除かれた。ただしタイトルの「夜と霧」は引き継がれた。
この霜山訳から池田訳への訳者のバトンタッチはなかなかドラマチックで、こんな交代劇があったことは、本書を読むまで知らなかった。
もともと、霜山徳爾自身がただの訳者ではない。第一級の臨床心理学者である。ボン大学に留学した際に原書と出会う。本書の表現を借りれば「夜と霧」は“彼こそがこの本を見つけて日本に紹介した”ものなのである。
霜山の翻訳は格調高く、また臨床心理学者の立場としても適格な翻訳であった。しかし、みすず書房は「今の高校生には難しい」という問題意識から、新たな翻訳を池田佳代子に依頼する。この名著を次世代に継承するために、あえて訳者の交代をはかったわけである。
池田は、霜山の「学恩に浴してきた」ものとして、この依頼から逃げ回ったそうだ。それはそうだろう。この頃は霜山はまだ存命中でもある。
みすず書房の編集者は、霜山のところにも訪問したそうである。霜山は完全には納得しなかったようだが、「そのほうが良いとご判断されるのなら」ということで新しい訳を出すことを許可した。
結局、池田はこの仕事を引き受け、冒頭数ページを翻訳したところで霜山に見せた。池田は「ものすごく緊張した」という。それを読んだ霜山は池田訳を了承した。池田は「声をあげて泣いた」という。
そして霜山は、池田訳の新版に「新訳者の平和な時代に生きてきた優しい心は、流麗な文章になるであろう」という文を寄稿した。
みすず書房は、霜山訳を絶版にはしなかった。「これは霜山先生が見つけた本」として、写真解説入りの編集であるこの「旧訳版」も、レガシーとして尊重した。現在でもみすず書房では「旧訳版」と「新訳版」の両方が刊行されている。こういうことはめずらしいのではないかと思う。
中学時代は写真だけで降参した僕が「夜と霧」をちゃんと読んだのは30代になってからだ。
霜山訳の価値はいささかの疑いもないが、池田訳もいいと思う。霜山訳で感銘をうけた往年の読者からは池田訳は食い足らないという意見もあるようだが、池田の静かで平易な語りかけは、「とある心理学者、強制収容所を体験する」というそっけないタイトルをつけたフランクルのテンションに、案外近いのではないかとも思う。