読書の記録

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他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ

2022年03月19日 | 生き方・育て方・教え方
他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ
 
ブレイディみかこ
文芸春秋
 
 
 「他者の靴を履く」とはまさにエンパシーを試みる行為を形容した表現だ。本書のテーマはエンパシーをめぐる内容ではあるが、しかし、著者の本心はサブタイトルにもあるように「アナーキー」のところにあるとみてよさそうだ。本書は「アナーキーのすすめ」なのである。
 
 圧巻なのは、第10章「エンパシーを闇落ちさせないために」だ。この章の結論は「エンパシーはアナーキーとセットでなければならない」である。
 
 エンパシーは、この人間社会において彼我が共に生きていくために必要なリテラシーであるが、これだけに長じると「闇落ち」するリスクをかかえる。日本語では「ほだされる」というやつだ。エンパシーの能力を発揮することは、次第に当人が「自分自身は何をしたいか」を喪失させるリスクがあるという。そして、支配者や施政者や経営者は、他人のエンパシーにつけいる。いっとき、日本でも「やりがい搾取」というコトバが流行ったが、これはけっこう根深いのだ。ストックホルム症候群や、DVの共依存などにもつながるように、強化されたエンパシーはアナフィラキシーショックのような副作用を持つ。
 
 そこで著者の主張として、エンパシーは必ず「アナーキーであれ」という気概を共にしてセットアップせよ、ということになる。
 
 
 アナーキーとは、要するに「誰も自分を支配させない」。帰属意識に惑わされないということだ。
 
 宗教であれ、民族であれ、国であれ、地域であれ、企業であれ、学校であれ、血族や家族であれ、人は何かの帰属意識に安心や安寧を見出す。これは人間の生存本能レベルがそうさせているのであろう。
 しかしそれだけに、この帰属意識というものは意識無意識かかわらず当人の行動を縛るのである。法律、教義、社則、校則。不文律な規範や規律。我々は日常であまりにも当たり前のこととしてこの規範を受け入れているため、それが実は自分を縛っているということさえ気づきにくい。
 
 しかし、改めて冷徹に考えてみれば、組織はなぜこのような規律を作ろうとするのか。そこで保とうとしている秩序とはいったい誰のためのものなのか。
 もちろん、それは平たく言ってしまえば「みんな」のためと教えられることになるだろう。(「神」のため、というのもあるが、「神」のためになることが「みんな」のためになる、という体をとりやすい)。「みんな」がよく生きていくためには「秩序」がいる。「秩序」が目的であり、「規律」は手段である。
 
 だが、万事がそうであるように、目的はまた何かの手段になり下がる。「秩序」は「支配」の手段になる。施政者や経営者は「支配」の手段として、帰属意識を強化する術をすぐに繰り出すようになる。
 これは、組織を組織として維持して機能するために必然的に行き着くとも言える。これをビジネス分野では、ロイヤリティといったりエンゲージメントといったりファンベースといったりインターナルマーケティングといったりしているが、つまりは施政者や経営者のための人心把握だ。
 
 しかし、このような帰属意識の強化を施すということは、人を無警戒、無思考にさせ、余計な想像力は不要とするということでもある。あくまで目的は「組織」のためにあり、手段として「人」を使おうとしているからだ。したがって施政者や経営者にとってアナキストが目の敵になるのは当然である。独裁者が知識層を粛清してきた歴史の例は尽きない。
 
 だからこそ。エンパシーはアナーキーと一緒に用いることを自覚しておかないと、施政者の術中にはまりやすい。
 
 
 また、本書はデヴィッド・グレーバーの「ブルシット・ジョブ」がよく引用される。
 
 これも極論すれば、「ブルシット・ジョブ」とは、エンパシーを必要としない職種であり、組織を組織として維持させるために施政者や経営者が用意する仕事のことだ。
 グレーバーは、このブルシット・ジョブの対極として「キーワーカー」つまりケアワーカーやエッセンシャルワーカーを置いている。彼らキーワーカーは、人間を相手とする仕事であり、そのために常にエンパシーとしての想像力を働かさなければならない。
 
 想像力を働かせる仕事がキーワークならば、論理的帰結としてブルシット・ジョブとは想像力を働かせなくても成立する仕事ということになる。また、アートという行為が想像力と不可欠でるならば、ブルシットジョブはアートになりえない
 
 アートとはそもそも技法・技術というニュアンスを持つ。また、リベラル・アーツがそうであるように、そこにはとらわれからの解放という意味が少なからず込められている。アートには「自由」が担保されている
 
 ここまでの情報を御膳に並べ、そして本書は突きつける。
 
 あなたの仕事は「誰を自由にするための仕事なのか?」
 
 これが「目的」であり、すべては「手段」にまわる。
 
 「あなたは何をリソースにして人を自由にするのか?」
 
 もし、あなたの仕事がこれに答えられなければ、あなたの仕事はブルシットジョブである。にもかかわらず、あなたがその仕事をやらざるを得ないとすれば、それはあなたは施政者か支配者か経営者が下す術にはまり、帰属意識にとらわれている。そうこうするうちにあなたのエンパシーはどんどん搾取されて空っぽにされてしまう。
 
 読み進みながらとんでもないところに連れていかれる。読後の光景は戦慄に満ちている。本書はおそるべき警鐘の書なのである

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