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進化思考 生き残るコンセプトをつくる「変異と適応」

2022年04月29日 | 編集・デザイン

進化思考 生き残るコンセプトをつくる「変異と適応」

太刀川英輔
海士の風


 最近、読書がスランプ気味で思うように読み進まない。回復するまでは時間がかかりそうだ。
 本書もそんなバッドコンディションの中で読んでいたものなので真意をどこまですくいとれたかははなはだ心もとないが、すべての創作行為は「変異と適応」のいったりきたりの中から生まれる、というのが「進化思考」の極意と言えよう。

 変異を起こすためには、数多くのバリエーションを出さないといけない。当たるも八卦当たらぬも八卦。一撃必殺を狙ってもうまくいかない。エジソンは電球を発明する際、竹の素材に行きつくまで千に近い素材を試した。突然変異級のイノベーションを起こすには、死屍累々のトライ&エラーが必要なのである。
 その中で、過去現代未来の文脈に沿うものを見つけ出す。それが「適応」だ。

 本書ではこのようなクリエーション、アイデアエーションの方法論を生命の進化をメタファにすることで編み出している。「変異と適応」とはそもそも進化論や生態学の世界で起こってきたことである。DNAがつかさどる生命のシステムと進化を、知恵と知識から創発するアイデアエーションにあてはめてみたころが本書の慧眼足るところだろう。

 ところで「変異と適応」というと僕は「雑草」を連想する。オオバコもドクダミもセイタカアワダチソウも、驚異的な生命力をほこるが実はあれらは変異と適応の産物だ。そしてその背景には本来ならば弱者だった彼らのポジショニング戦略でもある。外来種や突然変異といったこれまでの系統の外からやってきた植物は数限りないが、多くは既存の生態系にはびこる植物群によって排除されるのである。
 しかし、したたかにニッチを見つけてそこで増殖をしていったのが、現代の雑草だ。ニッチを見つけるというのは「適応」だが、雑草のその「適応」の仕方は目を見張るものがある。数年にいちど地面が掘り返されるタイミングを捕まえて発芽するもの、ぎりぎりまで刈り込まれても生長点がそれよりも低いところにあるために茎を伸ばせるもの、踏まれれば踏まれるほど成長力を発揮するもの、これらは他の植物にはない、その雑草のみが身に着けた「適応力」だ。逆に言えば、ニッチなところに「適応」できなかった雑草は、既存の植物群に制されて生き残ることはできないとも言える。
 つまり「変異と適応」とはニッチなポジションが見つかるまでのトライ&エラーであり、それが「生き残る」ということになる。根強い雑草が残るまでにはかなりの淘汰の歴史がそこにあったはずなのだ。

 よく「雑草魂」と表現されるが、あれはふまれてもふまれても立ち上がる強さではなく、本来的には自分の生存場所を確保するまでのトライ&エラーということもできる。しっかり生き残るものつくる創作行為とは強い雑草をつくることなのだというマインドセットはどうだろう。

 

 本書はなかなか評判がよいようで、職場の若い社員がこの本に大変感銘を受けてあちこちで風潮していた。それで興味をもって僕も読んでみた。なかなかのページ数で、情念と執念がこれでもかと詰め込まれた大変に厚くて熱い本で、50代の僕にとってはちょいと胃もたれも感じさせたが、20代の頃にこの本を読んだら、もっと素直にすいすいと入って、きっといろいろな開明があっただろうなあと思う。松岡正剛が編集工学系の本を次々と出していたのがちょうど僕が20代の頃で、多いに感銘を受けたものだった。とくに「知の編集工学」の衝撃といったらなかった。なるほど、企画や創造というのはこのように頭を動かしてやるのかと、社会人になったばかりの僕は思ったものである。
 本書「進化思考」も、編集工学の世界に近いものがあるなとは思った。その極意は「意図的に情報を遊ばせる」というところだろう。強制的に頭をうんうんひねっても、出てくるアイデアは限られる。しかし、ある文脈や状況に「情報」を乗せてみると、熟成、あるいは発酵するようになかば自動的にふくらんでくる。それこそが編集の妙だ。そういう意味では本書も「進化論」にあてはめてみるという「変異」と、Jヤング「アイデアのつくりかた」や外山慈比古「思考の整理学」や例の松岡正剛などのアイデアーエションの系統に通じる「適応」を試みた本と言えるかもしれない。

 


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