論理ガール 人生がときめく数学的思考のモノガタリ
深沢真太郎
実業教育出版
ラノベっぽいしつらえで、キャラクター造形もセリフまわしも類型的だが、内容はわりとまじめである。ただ、何か所か出てくるカラーの挿絵ページはカンベンしてほしかった。中年オッサンのサラリーマンが電車の中で読むには、ちとはずかしい。(きっと僕が読者対象年齢じゃあないということなんだろうな)
数式や幾何のモチーフを用いて、定性的な現象や心理変容を表し、なんらかの真理に迫るという方法がある。ギミックといってもよい。スピノザあたりが元祖かもしれないが、僕が初めてそれに接したのは、このブログでも何度か紹介した平林純氏の「できるかな?」というサイトである。そのキレッキレの説得力に僕は心底感動した。
さらに、そういう数学や数式の援用は、物理学者サークル「ロドリゲスト」に元ネタがあり、ひいては寺田寅彦や夏目漱石にも使用例があることがわかった。
また、東大の宇宙物理学教授である須藤靖氏のエッセイ集「三日月とクロワッサン」では、人生において幸福の値はぜったいマイナスにはならないということを数式を用いて「証明」させ、その福音的な力になるほどと唸ったものである。
本書も同趣旨である。クールな女子高生と、リア充ヤングビジネスマンの対話を中心に、友人や仕事や恋愛というものが我が人生にどう影響を与えるものなのか、あるいはどうあるべきものなのかを、数学風の論理でやってみせる。特に仕事とおカネの関係論はなかなか面白い。ひとつの閉塞感打破のヒントだと思う。
ただまあ、主人公ヒロインに何かと「これが数学です!」と断言されちゃうのはちょっと暴論な気もする。「数学や数式が持つ論理の頑強さを援用して物事や人生を考えてみた」といったところが妥当だろう。だからタイトルが「数学ガール」でも「数式ガール」でもなく「論理ガール」なのは適切ともいえる。あ、だけどこれは彼女が「ロンリー・ガール」であることにかけているのか。
あえて注文つけるとすると、せっかく数学風の論理で友人や仕事というものを鮮やかに「証明」しているのに、一方のアンチテーゼを「人間は完全でないから面白いんだ」「この世には数学で説明できないこともあるんだ」という、わりと陳腐なオチにしてしまったのは惜しい気もする。どうせならこの数学の対抗馬も一段上をねらってほしかった。たとえば数学は(というか理系は全般的に)論理構造は明らかにするけれどそこに「意味」は問わない。その論理構造にどういう意味を見出して解釈するかは、今度は文系的なセンスが問われることになる(「2分の1」を”まだ半分ある”と解釈するか”もう半分しかない”と解釈するかなんかは代表例)。本書でも、「正解」ではなくて「納得できるかどうか」が大事であると注意深く繰り返してはいるものの、印象としてはわりとさりげない。「人間は不完全だからこそ、納得できないものも納得できるようになる可変性がある」あたりの境地までもっていってみるというのはどうだろうか。