逆・タイムマシン経営論 近過去の歴史に学ぶ経営知
楠木健 杉浦泰
日経BP
痛快な本である。しかし、時代の変化についていけない現状維持バイアスに縛られたおじさんたちの逃げ口上を与える毒性の強い本かもしれないので用心しなければならない。
共著者の片方である楠木健といえば「ストーリーとしての競争戦略」がベストセラーだけど、本書でも根底では同じことを言っている。とある企業が成功したとして、その成功の要因は、本質的にはその企業固有の文脈や背景に根差したものがうまく作用したものであって、同じことを他社や他業種がやってもうまくいかないことの方が多いのである。そりゃそうだよね。
しかし、マーケティングとか経営戦略論というのは、「こうすれば事業や経営は成功する」というどこか方程式や法則を探すようなところがある。
その方程式や法則を適用したところで、その事業が成功する確率はせいぜい2割だったものが3割くらいに上がるに過ぎない、なんてことを「ストーリーとしての競争戦略」では喝破している。なんといってもその企業そのものが固有に抱える文脈や背景による影響のほうがずっとずっと大きいからである。
それなのに「これをやれば大成功間違いなし」という魔術を求めてしまうのは人間の性というか、この世のかたちというか大人の事情というか。
本書「逆・タイムマシン経営論」では、人々がその陥穽にかかってしまう理由として
・飛び道具トラップ
・激動期トラップ
・遠近歪曲トラップ
の3つを挙げている。いずれもいちいちごもっともな気がする。「DX」も「SDGs」も「Z世代」も飛び道具なのだと思う。たしかにこの半世紀つねに激動期と喧伝されていたように思う。いつだって日本は問題抱えていてGAFAや北欧は模範だった。
この社会の在り方として、「飛び道具」や「激動期」や「遠近歪曲」を利用ないし原動力として経済がまわっている、というのも事実だろう。真底それを信じている人、信じてないけど同調圧力でしぶしぶ信じるふりしている人、信じさせることを商売にする人などがうごめいて経済は循環する。「時価総額」なんてものの正体はまさしくそうで、世の中は確かにファクトフルネスで見ることができるけれど、この人間社会そのものの運営は「そういうことにしておこう」という人々の「握り」で動いている、というのも一方の事実だ。哲学的には社会は認識でできている。
なので、本当はそんなことないんだよ、という観点を持つことは自分の足元を常にしっかり保つ上では大事だけれど、それを喧伝していては社会の仕組みからつまはじきされるリスクもある。「DX」も「SDGs」も「Z世代」も「本当のことはわかっているうえでその話に乗る(つまりいつでも逃げ出せるようにしておく)」というのがうまい生き方なのかもしれない。
なによりも楠木健が繰り返すことで大事な点は、多くの企業の成功例は「再現性」がないということだろう。再現性がないということは科学でとらえられない、ということだ。経営を成功させるという企みは、よく言えばアート、悪くいえばオカルト、身もふたもなくいえば博打の世界である。
本書では、テンゼロ(WEB3.0とかソサエティ5.0とか)には気をつけろという指摘もある。僕がこれに加えるとすれば、ほとんど違いがないのに妙な理屈がついて「新たな言い方」になったものである。ベンチャー企業がスタートアップ企業に。レンタルがシェアに。エコがサステナブルに。ビジョンがパーパスに。実証実験がPOCに。まるでズボンがパンツになるのと同じ力学を感じる。