今日の朝日新聞記事から
加害者と被害者:25面に『お前を許さない 今も』と題して、お嬢さんを殺して無期懲役に服している犯人と対話を続けておられる、渡辺保さん(76)についての記事が載っていた。
渡辺さんは判決が言い渡された法廷で、退廷する被告の背中に「お前を絶対許さない」という声を投げかけた。被告の男は「お前が迎えに行かなかったから娘は死んだんだよ」と言い捨てて退廷した。
23年12月に、施設の職員を通して被害者の心情や伝えて受刑者の攻勢を促す「心情等伝達制度」が始まったが、渡辺さんはどうせ無駄になるだろうと、制度を利用する気持ちにならなかった。
しかし、この制度を通じて受刑者から謝罪の意思表示があったとの話を聞き、自身が携わっている犯罪被害者支援の仕事とも関連して、昨年4月から利用の手続きを始め、受刑者に手紙を送った。
2週間後、受刑者の反応を記した「心情等伝達結果通知書」が届いたが、その内容は通り一遍の謝罪と、事件のことは忘れて人生をやり直すという受刑者の言葉だった。
渡辺さんは、「心からの反省があるまで逃さない」と2度目の手紙を送ったが、その反応は「俺のことを自己中心的だと思うなら勝手に思えばいい」、「人を憎んでも挫折と絶望しか生まれない」という、渡辺さんの胸をかき乱す内容だった。
渡辺さんは、受刑者の態度は変わらなかったが、これで諦めたら相手の思うつぼと、3度目の手紙を準備している。
大変重い話である。心底からの怒りを受刑者の胸に届け、その更生を促そうとする渡辺さんのご努力はなかなかできることではない。敬意を表したい。
この記事を読んで、池袋で運転ミスによる交通事故で妻子を亡くした被害者の家族が、心情等伝達制度を通じて加害者と対面して心を通わせ、加害者の子息が被害者の墓に詣でたニュースを聞いて、ほっとした気持ちにさせられたことを思い出した。
投書欄から:戦後80年ということからか、「声」欄は『私と「戦後」』というテーマで、読者からの投書を掲載している。いずれも同時代経験者としての感慨をもって読んだが、その中で特に注意を引いたのが2通あった。
一つは愛知県の石川隆義さん(67)からの投書。
石川さんはご両親が広島で被爆した、いわゆる被爆二世である。年に1回自分がそれを意識することがあるという。二世対象の健康診断の案内が届く時だ。
広島市に現住する同年代の友人は、子供の時の検診がデータをとられただけだったので、以来行っていない。石川さんも同じ思いだという。
わたしはこの検診制度があることを知らなかった。広島県のホームページに案内が出ていた。それによると、「広島県では、原爆被爆者二世の健康管理に役立てていただくために、健康診断を実施します。受診を希望される方は、次により申し込んでください。」となっている。
この文の限りでは、被爆者検診は行政の福祉事業に相当する。ただ気になるのは、検診の結果のデータがどう扱われるかの記載がないことである。
原爆による放射線被害を隠匿しようとした米政府および軍関係者は、広島と長崎の被爆者の検診を利用して膨大なデータを持ち帰ったということが言われている。
被爆二世の方々にとって、自分たちに冠せられたこの名称は重苦しいものであろう。自分たちがモルモットとして扱われることに敏感になるのは当然である。
検診制度の在り方について、抜本的に検討する必要があるように私には思える。
もう一つは、秋田県の堀田和久さん(80)からの投書。
堀田さんのお父さんは昭和20年にフィリピンで戦死した。残されたお母さんは身を粉にして働き、堀田さんを育ててくれた。小川にホタルを見に連れて行ってくれたお母さんの汗と泥のにおいが心に残っていると記している。
工業高校を卒業した堀田さんは、国鉄盛岡工事局の就職試験を受けた。就職には二親がそろっていないと不利と聞いて、不安だった。
最後の面接試験の後、面接官が声をかけてくれた。「お父さんが戦死ということで、長い間ご苦労されましたね。」堀田さんは初めて耳にするこの優しい言葉を鮮明に覚えていて、戦後の自分の歩みを支えてくれたという。
わたしはこの文章を書きながら、涙が止まらなかった。
曙の叢雲
自宅ベランダから撮影
STOP WAR!
「声」の欄は、殆ど読みいつも心に響き涙することがあります。二つ記事は改めて読み直しました、戦後の傷はなかなか消えませんね!
「声」の欄を読む度に心打たれます。優しい思いやりの言葉をかけた面接官の企業は発展する事と思います。「戦後」は終わっていませんね。私の一生の「心残り」は「戦艦大和」の艦長であった家内の父親が沈む「沖ノ島」海上での「慰霊祭」に出席させなかった事です。悔やみきれません。
私たちはいろいろなものを背負っているのですね。時代とはそういうものでしょうか。