(昨日の続きです)
なぜハンガリーの共産政権は失敗したのでしょうか?第二次世界大戦ではハンガリーは枢軸側に付いたため、対ソ戦で敗北し全土をソ連軍に占領されました。この時点で戦前戦中のハンガリー旧支配層は国民から完全に見限られていました。なので共産政権は国民に受け入れられる可能性はあったのです。しかし1917年のロシアと違っていた点は、ハンガリー国民の多数を占める農民の多くが自作農になりつつあったことでした。革命前のロシアの農民の多くが土地を持たない貧農であり、そうであるがゆえに貧農に土地を提供することを約束したボリシェビキ(後のソ連共産党)は彼らの支持を獲得することができたのでした。一方ハンガリーでは農民の多くが土地を持った自作農になりつつあったことは、終戦直後に行われた総選挙で小地主党(ハンガリー語:Független Kisgazdapárt)が多くの得票を集めたことからも伺えました。共産政権はソ連の圧力で農地の集団化を進めようとしましたが、自作農にとってそれは汗水たらして手に入れた農地を政府に取り上げられることを意味していました。また敗戦国としてソ連から多額の賠償を取り立てられたことも、国土のほとんどが戦場となりダメージを受けていたハンガリー経済にさらなるダメージを及ぼしました。ただしこれは、ナチスドイツの後ろ盾を得て、旧ユーゴスラビア、ルーマニア、ソ連本土を侵略していたことの報いでもあったのですが。
こうした種々の背景がハンガリー国民の多くが共産政権と、その後ろ盾のソ連の支配に武器を取って立ち上がった理由として考えられることです。
(注)上の書籍はハンガリー革命の実態を記録した『ハンガリー1956』( A.アンダーソン著 現代思潮新社 2006年)です。