博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

日本の反ユダヤ主義 3

2020年05月30日 | 歴史

 日本の反ユダヤ主義を考える上で忘れてならない人物がいます。太田 竜(龍)氏(1930年8月16日 ~ 2009年5月19日)です。お亡くなりになって今年で11年になる、知る人ぞ知る特異な思想家でした。私が学部学生の頃、早稲田古本屋街で見つけた『日本革命の根本問題』(風媒社 1969年 上の写真です)をわくわくしながら読んだ記憶があります。何しろ1960年代の日本でマルクス・レーニン主義に基づく暴力革命を起こす手順が具体的に書かれていて、天皇を皇居から追放し太平洋戦争の戦争責任を問う裁判にかける(本文57頁)などということが堂々と書かれているので腰を抜かした記憶があります。

 太田氏は終戦直後に日本共産党に入党し、1953年にトロツキー主義者となり離党、そして1957年に革命的共産主義者同盟(第一次革共同)を黒田寛一(後の革マル派指導者)らと共に結成します。この第一次革共同こそが、共産同(ブント)と共に戦後日本新左翼5流23派(でしたか?)の源流となった党派であり元祖新左翼とでも呼ぶべき人物でした。1970年頃に北海道のアイヌ解放を唱え、かなり過激な運動を展開していました。1980年代に入ると「日本みどりの党」を結成してエコロジー運動に注力していました。この辺りまでは、見ていても面白くて個人的には好きだったのですが、「人類独裁の打倒によるゴキブリの解放・ネズミの解放・ミミズの解放を!」という「日本エコロジスト宣言」を唱える頃にはついていけないような気がしてきたことを覚えています。

 そして極めつけは1991年に『ユダヤ七大財閥の世界戦略―世界経済を牛耳る知られざる巨大財閥の謎 』(日本文芸社)を出版し、「ユダヤ・ネットワークが世界を裏で支配している」と主張する反ユダヤ主義とユダヤ陰謀論のアジテーターみたいになっていたことでした。私はまともに批判しようという気も失せてしまい、しばらく立ち上がれないほどの失望を味わいました。太田氏の78年の生涯の中で左翼やエコロジー関係の著作は10冊くらいなのですが、陰謀論関係の著作は20冊近くあるのです。日本の新左翼運動が見るも無残な結果となった原因の一つは太田氏にあると私は思いますが、これらのことをどう解釈し、どう考えて未来への教訓にしていけばよいのか正直今だに途方に暮れています。


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