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上の写真の映画『さらば箱舟』(ATG 1982年制作 84年公開)を見ました。昨年没後30年を迎えた劇作家・詩人・歌人の寺山修司の生涯最後の脚本・監督作品となった映画です。ノーベル文学賞を受賞したガルシア・マルケスの『百年の孤独』を原作にしているということで当時話題になったと記憶していますが、私自身は公開当時は見ていませんでした。映画館で公開された時には、寺山氏はもう物故されていたと記憶しています。今回30年ぶりに鑑賞することができました。
感想ですが、とにかく映像が凝りすぎで、映像を見ているだけでおなか一杯になります。これまで寺山氏の映画作品は、『田園に死す』や『書を捨てよ町に出よう』などを見てきましたが、すべてそうでした。超濃厚な昔風のバタークリームたっぷりのケーキを3個たて続けに食べさせられたような気分になります。悪口のように聞こえるかもしれませんが、それが氏の独特な魅力なのでしょう。結局、そのような感想を持ちつつも3作品も鑑賞していますから。
ストーリイは一言で説明するのは難しいです。おそらく明治時代の沖縄のどこかにある小さな村が舞台です。村一番の名家の本家の跡取りの時任大作少年が村中の柱時計を盗んで海岸の砂浜に埋めてしまいます。この場面ですでにおなか一杯です。大量の柱時計を、砂に埋めるのです。このことによって、時任家は村民全員の時間の支配者となります。大作は成人後に、分家の捨吉を侮辱したために、怒った捨吉に包丁で刺されあっけなく死んでしまいます。捨吉は逮捕されるでもなく生活しているのですが、幽霊になった大作と碁を打ったりという妙な場面が続きます。しかし捨吉の心は変調を来しはじめ、物の名前を覚えていることができなくなります。そこで自分自身をはじめ、あらゆる身の回りの日用品に紙で名前を書いて貼り付けます。自分には「捨吉」と書いた紙を貼り、妻には「すえ 32歳 おれの妻」と書いた紙を貼ります。その後、捨吉は鋳掛屋が売りにきた柱時計を買って自分の家に取り付けるのですが、本家の時計しか認めようとしない村人に壊されそうになり、それを邪魔しようとして頭を一撃されあっけなく死んでしまいます。幽霊の大作はそれを黙って見ています。…という具合の話が延々と続きます。
やがてこの村にも電灯が灯り、電話が開通するといった具合に近代文明が流入し始めるようになると、本家の時間支配も意味をなさなくなり村は速やかに空洞化していきます。それから百年の時間が流れ・・・といったストーリイですが、とにかく映像の演出が過剰すぎるくらいなので、捨吉のように自分が今何を見ていたのか忘れてしまうのです。