(昨日の続き)
わが国の安全保障のために最優先で取り組むべきは「食」と「エネルギー」の自給(完全でなくてもよいので)の推進であることは間違いありません。昨日、本ブログでご紹介した農林水産省の「みどりの食料システム戦略」は、その実現を目指す国策です。ほぼ100%肥料と化石燃料を中国、中東諸国から輸入しているわが国の現状から考えると、なかなか困難な課題であることは否めません。実際不可能だと思う方も多いようです。
とはいえ、現在のわが国の状態が昔からこうだったという訳でもないのです。現在のような状態になったのは、私個人の実感で申しますと昭和40年(1965年)以降だと思います。前回の東京オリンピックが終わったあとの数年間ですね。何を根拠にこんなことを申し上げているかといいますと、私が生まれ育ったさいたま市大宮区(旧大宮市)郊外の農村部で「肥溜め」を見かけなくなったのがその時期だからです。昭和40年代前半は私が小学校低学年の頃で、郊外の農村部が遊び場の一つだったこともあり、肥溜めの存在が思い出に残っているのです。悪い思い出としてです。肥溜めと言っても、おそらく50歳代より若い方は何のことだか見当もつかないのではないでしょうか。肥溜めとは、し尿を溜めて発酵有機肥料を作るための貯蔵設備のことです。畑の隅に陶器の壺を埋めて、そこに農家が収集したし尿を入れて発酵させるのです。壺の口は空いているので(雨よけが差しかけてあることもありました)、子供が壺の中に転落するという事故もありました。死亡事故になったこともあったそうです。発酵が進むと高温になり病原菌や寄生虫の卵などが死滅し臭いも少なくなるそうですが、それまでは当然臭いです。臭いし危ないしで私は悪い印象しかなかったですね。その悪臭が、よく「田舎の香水」などと揶揄されていました。そんな肥溜めは化学肥料が普及すると姿を消していきました。
前近代の象徴のような肥溜めでしたが、今思うと、し尿由来の三元素(窒素、リン、カリウム)のリサイクル方法として意外と理想的な方法だったと思えてきました。江戸時代は、その方法で食料の完全国内自給を260年間にわたって実現していたのです。もちろん現代の大規模農業に三元素を供給するためには肥溜めは非効率すぎます。現代的な方法で、三元素循環を効率的に行う方法の開発が必要だと思います。
わが国の安全保障の話が、なぜ肥溜めの話になるのかと不審に思われる方も多いと思いますが、SDGsの観点でも持続可能な国内農業の基盤として国内で三元素循環を効率的に行う方法の開発は必須の課題だと思います。