博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

ルイセンコの再来3

2020年06月26日 | 歴史

(昨日の続き)

 日本国民にとって幸せだったことは、日本のルイセンコ論争が科学上の論争として成立したことです。ルイセンコ派の科学者がスターリンのような独裁者を背景とした権力を持っていなかったので、反ルイセンコ派の科学者が迫害されるようなことは幸いなことにありませんでした。不思議なことは、日本では相当に優秀な科学者でもルイセンコ説に傾倒した人が多かったことです。例えば徳田 御稔(とくだ みとし 1906年~1975年 上の写真の著書があります)京都大学理学部教授は、げっ歯類の研究で日本動物学賞を受賞した立派な研究者ですが、生物の薬剤耐性の獲得をルイセンコ説で説明できるのではないかと考え熱心な信奉者になっています。生物学、農学分野以外でも原子物理学者として高名な武谷 三男も熱心な支持者でした。これらの歴史は故中村 禎里氏の『日本のルィセンコ論争』(みすず書房 新版2017年 ISBN978-4622086208)に詳しく明らかにされています。

 また、多くの農業者の支持を得て活発に活動した日本ミチューリン会は長野県などの地域に根付いて実践的な農業振興に一定貢献したことは否定できません。彼らはルイセンコに全面的に依拠していたわけではなく、自律的に農業研究の成果を蓄積していたということです。同会の後身団体が、今年2020年3月7日に解散したことを私は最近知ったのですが、70年以上にわたって日本で活動を行っていたことになります。

 ソ連のような国家権力の後ろ盾がないところでルイセンコ説が多くの日本人科学者、実践的な農業者の相当な支持を得た理由を、改めて深く考えてみる必要があるなと思います。


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