博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

何遠亭の由来

2022年04月29日 | 歴史
 上の写真は、昨日御紹介した「何遠亭」の由来が書かれた看板です。七卿のうち、この何遠亭に滞在したのは一行のリーダーの三条実美で、他のお公家さんたちは、少し離れた氷上山真光院というお寺に滞在したそうです。一行の中の澤宣嘉という公家は、福岡久留米出身の討幕運動の志士平野国臣らの但馬国(現在の兵庫県)生野代官所襲撃計画に誘われて一行からは離れたそうです。この澤という人物はかなり過激な人だったようです。明治維新後は長崎でキリシタン弾圧を行うなど、ろくでもないことをしている一方で、外務卿(現在の外務大臣に相当)に就任し欧州諸国との国交締結を行ったりしています。その後、ロシア公使に任命されロシアに出国する直前に38歳の若さで病没しています。何だか個人的に興味を惹かれる人でした。
 何遠亭の命名の由来は、三条の秘書加藤有隣が「論語」の中の「何の遠きか之有らん」から命名したということで「いつか必ず(追い出された)京都に復帰するのだ」という決意を表したものだそうです。
 昨日の記事の補足ですが、この建物のある場所は、厳密には井上馨宅ではなく、馨の実兄の井上五郎三郎の自宅だそうで、訂正いたします。

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