博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

恐怖の館

2024年07月09日 | 歴史
 「恐怖の館」-何だかホラー映画のような名称ですが、中欧のハンガリーの首都ブダペストにある歴史博物館の名称です。去る4月にブログ主の40年来の友人のI氏が同博物館を訪問されました。その際に購入したお土産が上の写真のレーニンの胸像の蠟燭です。有難く頂戴し、早速ブログ主宅に飾っています。
 なぜ歴史博物館に、このような不気味な名称が付いているかと言いますと、この博物館の建物が旧共産政権時代の秘密警察「ハンガリー国家保衛庁」(略称:ÁVO「アーヴォー」後にÁVH「アーヴェーハー」に改称)の本部だったからです。共産政権時代(それ以前のファシストの矢十字党政権時代を含む)の恐怖政治の歴史を忘れないために設置された歴史博物館なのです。ブログ主も旧共産政権時代のハンガリー(1983年3月でした)に1週間ほど滞在したことがありますので、たいへん懐かしく思い出しました。ハンガリーは第二次大戦時に枢軸側についてナチスドイツと共にソ連と戦い敗北し、ソ連軍占領下でハンガリー共産党が一党独裁を確立します。同党書記長のラーコシ・マーチャーシュ(1892年~1971年)は、「スターリンの最も優秀な弟子」を自称し、スターリンがソ連で行った恐怖政治を自国で推し進めました。ÁVOはその実働部隊として、ラーコシに敵対しそうな人々(と決めつけられた人々)を片っ端から逮捕、拷問し処刑しました。粛清は共産党幹部に及び、外相のライク・ラースローは西側帝国主義のスパイという荒唐無稽な告発を受けて銃殺され死体はその辺の地面に埋められてしまいました。何とも皮肉なことにライクは共産党幹部としてÁVOの設立運営に関わった一人でした。ÁVOのパトロールカーはサイレンを鳴らしてハンガリー全土を走り回り粛清の犠牲者を逮捕して回りました。ある知識人は、いつ自分が逮捕されるかと毎日怯えていましたが、ある日自宅玄関前にÁVOのパトカーが停車したのを見て絶望して首を吊ってしまいました。しかしそのパトカーは、たまたまその知識人の家の前でタイヤがパンクして停車しただけだったのでした・・・このようにÁVOは、すべてのハンガリー国民にとって恐怖の象徴でした。その本部が、今日「恐怖の館」と命名された事情も良く理解できます。I氏によりますと「恐怖の館」にはレーニンとスターリンの胸像蝋燭がお土産として販売されていたそうです。
(この記事は続きます) 

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