博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

福岡のトラバント

2021年05月02日 | 九州の風物

 福岡市西区にある自動車修理会社の玄関には上の写真の「トラバント」という旧東ドイツ(ドイツ民主共和国DDR)製の自動車が展示されています。先日、私のFacebook友達のじゅんじさんがトラバントについての記事を書かれていたので、このことを思い出しました。

 トラバントは東ドイツの自動車メーカーのVEBザクセンリンク社が1957年に開発し、1958年から1991年まで販売された車です。同国の国民車といわれていました。トラバントはドイツ語で「衛星」という意味で1957年10月4日に打ち上げられた世界初の旧ソ連の人工衛星スプートニク1号にちなんで命名されました。同車は車体が強化プラスチック繊維(FRP)でできていて、エンジンが2サイクル機関であることが特徴です。2サイクル機関は、日本では主に軽自動車とオートバイで使われていましたが、排ガス規制の強化に対応できなくなり、2000年を最後に使われなくなりました。トラバントは1990年前後に複数台日本に輸入されたそうですが、排ガス規制をパスできず公道を走ることはできなかったそうです。上の写真の車もそうした1台なのだと思います。

 私が初めてトラバントを見たのは、1983年(昭和58年)の3月に東ベルリンを訪れた時でした。私は西ベルリンに2泊した後に、Uバーン(地下鉄)で東ベルリンに移動しました。東ベルリンで地上に出ると、いきなり排気ガスの強い臭いにむせそうになったことを覚えています。東ベルリン市街地の片側3車線合計6車線の大通りを沢山のトラバントが走っており、白い排気ガスと黒い排気ガスを交互に排気管から吐き出しながら走っているのです。これで排気ガスの臭いの原因が納得できました。大量の窒素酸化物(Nox)、硫化物(Sox)、CO2、一酸化炭素を撒き散らしているのでしょう。西ベルリンでは排気ガスの臭いなど全くしなかったので、これには面喰いました。これでは日本の環境規制をパスできないのも当然です。

 そもそも西側ではトラバントは1台も見かけませんでした。一方東側では西側で走っているフォルクスワーゲン、ベンツ、アウディ、ゴルフなどは、ほとんど走っていませんでした。西と東は有名なベルリンの壁を隔てても数百メートルも離れていないのに、この違いは一体何だろうとしばらく考え込みました。この日から6年後のベルリンの壁崩壊の日(1989年11月9日)に数千台のトラバントが西ベルリンを走り回ったため、オキシダント濃度(大気汚染物質の濃度)が急に跳ね上がったという逸話がありますが、それも宜なるかな、です。


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