角を曲がるとあったのです。21年前に住んだ貸間のある薬屋の建物が。見た目は何の変わりもないようでした。向こう3軒両隣も記憶と変わっていませんでした。隣家は小間物屋で、その隣は居酒屋で。その通り全体が昔とは変わっていないように見えました。
もう深夜でしたらから薬屋はシャッターが閉まっていました。今でも商売を続けているかどうかは定かではなく、もしかするともう店を畳んでいるかもしれません。2階の貸間も電気の着いている窓はありませんでした。ことによると、もう空き家なのかもしれません。薬屋の建物は、私が住んでいた当時で確実に築20年は過ぎていましかたから、もう築40年は過ぎているということです。しかし何よりも私はその通りの佇まいに変化が無いように見えることに衝撃を受けました。この通りは、バブル下の地価高騰と崩壊、ソ連の崩壊と冷戦の終焉、湾岸戦争とイラク戦争、自民党政権の93年の崩壊とその後の復活、95年の阪神大震災や地下鉄サリン事件、99年から2000年のITバブル等々その後の諸々の社会経済の変化も(一見)関係なく、今そこにあるのです。私はその期間に4回の転職をして、今や東京に住んでもいないのです。
もしかするとタイムスリップでもしたのかとも思いましたが、遠くに見える明るいコンビニは当時は無いものでした。やはり今は21世紀なのです。そこに立っている自分は24歳の自分ではなく老眼の進みつつある45歳の自分でした。私は少し落ち込んで田端駅前に戻る道を歩き始めたのでした。
注)写真は西尾久の市街図
http://www.ur-net.go.jp/press/udc/H15nendo/bousai/bousai-04.htmlから引用させていただきました。
もう深夜でしたらから薬屋はシャッターが閉まっていました。今でも商売を続けているかどうかは定かではなく、もしかするともう店を畳んでいるかもしれません。2階の貸間も電気の着いている窓はありませんでした。ことによると、もう空き家なのかもしれません。薬屋の建物は、私が住んでいた当時で確実に築20年は過ぎていましかたから、もう築40年は過ぎているということです。しかし何よりも私はその通りの佇まいに変化が無いように見えることに衝撃を受けました。この通りは、バブル下の地価高騰と崩壊、ソ連の崩壊と冷戦の終焉、湾岸戦争とイラク戦争、自民党政権の93年の崩壊とその後の復活、95年の阪神大震災や地下鉄サリン事件、99年から2000年のITバブル等々その後の諸々の社会経済の変化も(一見)関係なく、今そこにあるのです。私はその期間に4回の転職をして、今や東京に住んでもいないのです。
もしかするとタイムスリップでもしたのかとも思いましたが、遠くに見える明るいコンビニは当時は無いものでした。やはり今は21世紀なのです。そこに立っている自分は24歳の自分ではなく老眼の進みつつある45歳の自分でした。私は少し落ち込んで田端駅前に戻る道を歩き始めたのでした。
注)写真は西尾久の市街図
http://www.ur-net.go.jp/press/udc/H15nendo/bousai/bousai-04.htmlから引用させていただきました。