さぁ お行き

2010年08月09日 | 思う

仕上げって大切です。

ものごと どんなことにも、たいてい

「仕上げ」というものがあります。

完成

   でもありますし

別れ

   でもあります

ガラスで色々な「もの」をつくっていますが

最後の仕上げは「磨き」です。

わたしは、この「仕上げ」ってものが

あまり好きじゃありません。

つくってる過程の 

これからどうなるんだろう?

の「不安」も 「わくわく」もなくなって

別れるために 

せっせときれいにするわけですから。

時にはひどく面倒で、

憂鬱になることさえ。

それなのに いったん仕上げの作業に入りますと

これが 別れの「つぼ」のような

心地のいい作業となるから不思議です。

もう 悩むことなく 

ただただ 手を動かすんです

悩まないことは 心地いいんです

きれいな布で、何度も拭いて

金属部分を せっせと磨いて

そうしてここで

終わり と決めたなら

わたしにはもう何もできません。

やっと 彼ら(彼女)は、

わたしの支配から逃れられる

急なガラスピースの交換なんてことも

気に入らなくて、途中で投げ出される恐怖も

いっさいがっさい心配しなくていいんです。

、、

さぁ お行き

世界を 

ほら 

見ておいで

/.      

,

のびのび と らくらく と

しておいで

そうやって 家から追い出すんです。

これは「納品」とか「展示」ともいいます。

良い人に、連れて行ってもらえますように と

少しばかりの思いはかけますが、

それはも わたしの力ではどうにもならない。

だいいち つくっている わたしが

良い人 であるかどうか疑わしい。

ここで わたしは「悪人」に違いない

と書いてしまうと、

今後のわたしの活動に、

支障が出てきてしまいそうなので

これ以上は、やめときます。

 

自分の見えるところに

つくった もの がある時は

あれやこれやと執着するのですが

じめじめ してるんです

見えなくなった もの たちには

不思議と 未練 は感じません

あんまり 思い出すこともない。

それはたぶん 

あれこれに

いちいちに

未練を感じないように

無意識に 呪文をかけているんだと。

そうして

やっと 

なんとか 

次に行けるんだと思うんです。

 たいてい