最近の私ですが、ある一定量のお酒を飲みますと
記憶がまだらに飛びます。
先日などは、オークションで古本を買った(らしい)のですが
酔った状態で入札したので、記憶に残りませんでした。
2週間くらいして、入金がないので「キャンセル」させていただきますというメールをいただいた時には驚きました。
なんなく「高村光太郎」の本を(入札したかもしれない)の夢のような記憶もあり
相手様には深くお詫びをして買わせていただきました。
私が買った!と確信したのは、その本が500円だったから。
酩酊状態でも、抑えるとこは抑えているのね わたくしー
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前置きが長くなりました。
本が届いて、少しページの取れかかった本を手に取り、
落ち着いた気持ちで本を開きます。
思っていた以上に良い本でした。
私は「光太郎先生」の蝉や柘榴などの木彫りの小作品に心を動かされ
その本の中の「千恵子」さんの切り絵に感動し
書かれている内容、詩集ではわからない2人の生活を知りました。
この小さな蝉を、千恵子は大事そうに懐にしまって、機嫌よく過ごしていたんだと
その気持ちがよくわかる気がいたしました。
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千恵子の切り絵に話を進めます。
この本によると、千恵子が切り絵を作り始めたのは、
見舞いにやってくる光太郎がもってくる手土産の包装紙や
缶詰のレッテル、チョコレートの銀紙、せんべいの袋など
ただ台紙に貼ることから始まったものらしい。
驚くべき速さで上達し、光太郎も驚いてそれからは、上質の紙も持って行ったとのことです。
先の反ったマニキュア用の挟を使い、仕上がったものは
丁寧にしまわれ、光太郎が来たときだけお見せして、
モチーフになる花や果物に嬉々とお辞儀をして
独り言を言いながら制作を始めたというのです。
※ みづゑ 1976年 7月号より
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私は、古い本特有のにおいを感じながら、光太郎の作品と
千恵子の切り絵の色や形、反りかえった小さな挟で切った細い細い線
薄い紙が(たぶん年月によって)少し折り目がついているのですら
あ いえ あの小さな折り目は必要だと感じた千恵子がつけたのかしら
どれも無駄なく、簡潔、色使いもすばらしい
じっと眺めていますと、なんだかとっても丁寧な気持ちになり、
ついついわたしもお辞儀をしてしまいたくなるのです。
これですもの
光太郎は 「千恵子」 「千恵子」 と生きているときも呼び
肉体がなくなっても 「千恵子」 「千恵子」 と呼ぶんだわ。
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