【my格言】
-個人が忘れてしまいたいことは、組織にとっては忘れてはならないこと(20090224)
(格言と本文とはほぼ、関係ありません)
70年代フォークソングの歌詞などに書いてありそうな、
「ヒトの波にうまくのれない」とか。。
今、それを聞いたところで「あっそ」ってなもんで。。だから何なの、と。
ヒトの波にのれないから、今はこうやって唄い手としてガンバってます、生計たててます、というのならば、すばらしい。(友部正人さんが思い浮かぶなァ。。)
けど。。
今思い返すと、大学を出て数年は、この「ヒトの波にのれない感」をヒッシに主張(というか、自慢?)するヒトたちが周りにたくさんいたように思う。
そんなこといってるヤツに限って、けっこうちゃんと就職して、ちゃんとラッシュの電車にもまれて、文句いいながらも生きてゆける。
そういうヒトたちはやがて、ヒトの波に「のれない」という段階から、「のっている自分がイヤだ」というふうに変わってゆく。
「ヒトの波にのってすいすい生きている自分は、ホントの自分じゃない!」と。。
それを言い出すのが、27ぐらいかな。。
そのあたりで、けっこうな確率で第一の転職をしたりする。
転職産業は、この世代に対してヒッシに煽る、煽る。そのぐらいの「ピチピチの」若手が転職市場に出回れば出回るほど、転職産業はボロい儲けを得る。
それは、「ドロップアウト」じゃないんだよね。
いっぱしの社会人として、ヒトの波に乗れるようになったからこそ、「新しい環境で自分の実力を試したい!」とか、生意気なことを考えられるようになるわけで。。
27ぐらいになってもホントにのれないままだったら、そもそもドロップアウトする他ない。
「ヒトの波にのれない」と口に出す時点で、その悩みはリアルじゃない。
ホントにそうであればそれを口に出す余裕などない。それどころか、リアルにヒトの波にのれない人種はそもそも世の中に出てこれない。
そして、ある特定の傾向を持った人間は、そこで「自分探し」の旅に出る。
僕がもっとも、苦手とする人種。。(女子に多いな)
「自分探し」のウサンクサさについては、いずれ機会があったら書こう。
やっと本題です。
このギョーカイの、愛すべき「システム屋」たちは、かつては、何歳になっても「ヒトの波にのれない」的な人間の集まりだったはずなのだ。
そして、このギョーカイは、かつてはそういう人間をすくってくれていた。そういう機能を有していたのだった。
ところが今では、そういう人間を許容する器もこのギョーカイにはなく。。
いや、カンゼンにないわけじゃない。ホントウに技術のある人間は、ヒトの波にのれるかどうかなんて関係なく、今でも、どこでも需要はある。
現在、僕が棲息している最底辺層には、(許容はされていないのだが)「ヒトの波にのれない」的な人種が根強く残存している。
それはつまり、この「最底辺層」が「フリーター」とか「ハケン」とか揶揄されるヒトたち、あるいは集団と紙一重のところにあるということだ。
実は、ニッポンのシステムというシステムは、そういう人材が最底辺で支えている。
僕は、そういう「紙一重のところ」というか「際」(キワ)から、新たなムーブメントが起こるのではないかという期待を、持っている。
10年前ぐらいだったか、当時軽くカルチャーショック的なものを感じたのは。。
あの頃から徐々に、だったと思うんだけど、新卒、あるいは機械、電子系の専門卒でこのギョーカイに入ってくる人材が、みんなホントにマジメで、かつ「しゃべれる」ようになってきたなあ、と、思った記憶がある。
それ以前って、正直ロクでもなかったような気がするんだけど。。(失礼)
特に「しゃべれる」のところは。
僕らの時代も含め、まず、若い頃は顧客とコミュニケーションなんか、とれやしなかった。最近の子らは、1年目2年目であってもそれなりに、客と会話できる。
全員とはいわないけど、そういう人間の比率が相当上がっている。
ムカシは、1年目2年目は仕事でそんなもん、求められなかった。
ひたすらPGとか、ひたすらオペレーションとか。オペレーションの場合、障害発生連絡するけど、それは主にSEに対してであって、客と直接ってあんまりないし。。
それと障害の「連絡」ってコミュニケーションとは似て非なるものだからねえ。ただの報告だから。
じゃあ、今の時代、若手クンたちが早い段階から立ち上がって、客と会話できるからといってこのギョーカイの「エンジニアリング」の品質が上がっているか?
それはゼッタイに、Noだろう。
上流工程が肥大化してんだよね、結局。
エンジニアリングの根幹ってのは、客の目の届かないところで没頭する作業にあると思う。フロントはリーダがやって、リーダが客に報告すりゃいいだけのハナシであってね。
客の目の届かないところにいる人材が、育たない。今の時代は。
なぜなら、企業は、というかこのギョーカイ全体が、そのフィールドの人材育成にカネをつぎ込まなくなったからだ。
提案、設計ができたり、客と折衝したりできるような人材を、企業は育てようとする。
上流のほうが儲かるからね。。
現実離れした夢のような提案をするのは勝手だけど、それを実現できる技術がない。いや、ないわけじゃない。客が希望する値段で実現できる技術がない。
ここでいう「実現」というのは、運用も含め。
見積もりの範囲内で、ハリボテの家をつくることは、できるだろう。でも、暮らし始めてみて初めてハリボテだということに気付く。
結局「安かろう悪かろう」だ。
どっちもどっち。値切りすぎるのも悪い。1ヶ月でつくってくれというのもおかしい。そして、「美しいハリボテ」の外見に惑わされてそれがハリボテだということに入居するまで気付かないのもバカだよね。
そういう客は、後になって「だまされた!」「信じてたのに!」とか言う。。
でも、SI側にも問題はある。最近の仕事はほとんど短納期低費用だから、SIerは「美しいハリボテ」を作る技術にばかり長けている。
そんなのエンジニアリングじゃないっしょ。
その「美しいハリボテ」をつくることにまったく罪悪感を感じてないというか。。「その値段なんだからしょーがねーだろ」と開き直るところ(開き直るのがウマくなったところ)にこのギョーカイの病を感じる。
「美しいハリボテ」をつくるのがうまくなり、そして、開き直るのがうまくなった代償として、SIerの、客からの信用は失墜した。
我々は、反省しなければならない。かつては、確かにそれなりに品質の良いシステムをつくっていたかもしれない、が、それは高かった。。
高すぎたかもしれないのだ。高すぎることを客に感づかれたからこそ、ある時期から巧妙に値切られるようになった。
そして、このギョーカイ自身は、「若干」ボっているという罪悪感をかすかに感じていたからこそ、その値切り競争にまんまと乗ってしまった。
ある時期から、客からは、ハリボテをつくるぐらいのカネと工期しかもらえなくなった。。
そして、美しいハリボテを「つくってさしあげる」と、「家をつくれといっただろ!」とキレられる。
客にとっても、我々にとっても、どちらにとっても悲劇の始まり。。
営業はなぜ、「その値段と工期じゃムリです 家は建てられません」ときっぱり客にいえなくなってしまったのだろうか?
そして、いつから?
じゃあどうするか? なんてさ、そんなん考えるのは日経コンピュータにでも任せておきゃいいハナシで。。
僕がとにかく思うのはね、最底辺で疎外されているような人材をもっともっと新規案件の最前線の現場に投入すればいい。前述した、「ヒトの波にのれない」ような人材を、どんどんシステム構築の泥クサいところに投入するような仕組みが確立できればなあ、と。
オフショアとかいわないでさ。。
日本の「フリーター」だか「ニート」とか呼ばれてしまってクサってる人材をみんなこのギョーカイに取り込んでしまって!(相当安く上がると思うけど)
ヒトと折衝なんかしなくていいですよ、と。気が済むまでキカイと格闘してくれればいいんですよ、という文句で誘えば、ヒトは集まると思うけどね。
玉石混交どころか、ほとんど石かもしれないけど、キラリと光る人材は必ず見つかる。
人材が足りないからっていってどんどん高学歴のほうからまかなうんじゃなくて、底辺の蠢いているパワーも利用しましょうよ、と。
でもね、底辺だからといって上から目線で奴隷のように働かせたら、ダメだよ。
うまくおだてて使わないとね。。
それと、そういう人材にマネージメントを任そうと思わないこと。そういう人材に一般的なキャリアアップを押し付けないこと。
キャリアアップの先の「ヒトを束ねられる人材」という方向性が、誰にでも適用されるとは限らないのだから。
ただただ、自由にキカイと格闘させて、使い倒せば、それでいいんだよ。双方のためにも。
とにかく、人材は日本でまかなうべきだと思うけどなあ。