http://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-11992429094.html
http://www4.tokai.or.jp/kyuguan/17_27soujihtml.html
荘子雑篇(1)
今吾日計之而不足、歳計之而有餘
庚桑楚(こうそうそ)篇
老子の弟子に庚桑楚という者がいて、老子の教えの一部を体得したので、北方の畏塁(あいらい)と言う山里に居を定めた。彼は召し使う者の中で、知恵を働かすような男には暇をだし、つんと澄ました気取り屋の女は遠ざけて近寄せず、醜い顔・形の者と一緒に住み、こつこつと骨惜しみしない者を召し使って暮らしていた。
こうして三年ほどたった時、畏塁の里がたいそうな豊作になった。そこで里の人々は互いに語り合った「あの庚桑楚と言う人がこの里にやってきたばかりの頃は、全く変わった人だと驚いたものだ。日々は何も大したことはやってないようだが、一年間の仕事を見ると、驚くべき成果を挙げている。おそらく聖人に近い人だろう。皆でこの里の主君としてあがめようでないか」。
庚桑楚はこれを聞くと、南向きに座ったまま浮かぬ顔をしているので、弟子たちは不思議に思いそのわけをたずねた。庚桑楚はそれに対し「お前たちはどうしてわしのことを不思議がるのか。天地自然にあっては、春になって陽気が良くなると草という草が全て芽を出し、秋になると万物は実を結ぶ。このように春と秋とは皆自然の道を得て気を生じ、大道が行われるのである。『至徳の聖人は小さな室にひっそりと隠れ住み、人々は勝手気ままに振舞って、至人だなど思いもしない』ということを聞いているが、それが本当の至人だ。ところが今、この里のつまらぬ者たちはこせこせと、わしを賢人の仲間に祭り上げようとしている。これではわしは人の目標たる人物になってしまう。老子の道を学びながら、自分はその老子の言にそむく事になるので、浮かぬ顔をするのだ」。
弟子が言った「そうではありません。小さな溝では大きな魚は身を翻す事はできませんが、小魚は自由に泳ぎまわることができます。低い小さな丘では大きな野獣は身を隠す事が出来ませんが、ずる賢い狐にとっては住みよい場所です。それに賢者を尊敬し、有能な者に位を授け、善行と利得とを大切にすることは昔の堯、舜の時からすでにそうなっています。それゆえ、この里の民はこうして先生の恩徳に報いようとするもので、これは当然のことです。どうぞお聞き届けください」。
庚桑楚は答えた「お前たち、近寄ってよく聞くが良い。車を口にくわえる事のできる怪獣でさえ、仲間と別れて一人で山を下れば、わなにかかってしまうし、船を飲むほどの大魚でも、跳ね上がって陸に上がれば、小さな蟻に食われてしまう。それゆえ、鳥や獣はより高い所に好んで住み、魚やすっぽんはより深い所に好んで住む。だから人間でも生命身体を全うする至徳の人になると、より深遠な人目につかぬ場所にその身を隠すのだ。
それに堯と舜の事をあげたが、このような者は少しもほめるに値しない。彼らはその智弁で何をしたかといえば、わざわざ庭の垣根を壊して雑草を増やしたに過ぎない。あるいは髪の毛を一本一本そろえて櫛を入れたり、米を一粒ずつ数えて炊くといったわずらわしいやり方で、こそこそと事に処してきた者である。果たしてそのようなことがどれほどこの世を救い得たというのだ。彼らのしたように賢人を選んで用いれば、人々は誰もが選ばれようと争いあうことになる。知恵のある者を抜き出して高い地位につければ、誰もが悪賢くなって騙しあうようになる。つまり、このようなやり方では決して世の人々を幸福には出来ないのだ。
このやり方は人々を自分の利益のために努めるようにさせるだけで、ひいてはこの利益のために、子であっても親を殺すものが現れ、臣下であっても主君を殺すものが現れ、昼間にものを盗んだり、家の垣根を破って侵入するようなことが起きる。大乱の本は堯、舜の時代に生じたのである。やがてこれは千代も後の世に及ぶだろうが、その折にはおそらく人と人が食い合うようになるだろう」。、
この話を聞いていた南栄趣(なんえいしゅ・庚桑の門人)は恐れかしこまり、威儀を正して尋ねた「私はすでに年長者ですが、どのように学問をすれば、そのお言葉に従えるようになれるでしょう」。(注・南栄趣の趣は本当は走扁に朱ですが、字典に無いため読みの同じ趣を暫定的に当てました。なお南栄は姓で趣は名です)。
庚桑楚は答えた「お前の身体を全うし、生命を保全し、思慮をあくせくと働かせない。そのようにして三年を過ごせば、わしの言った境地になれるだろう」。
http://www4.tokai.or.jp/kyuguan/17_27soujihtml.html
荘子雑篇(1)
今吾日計之而不足、歳計之而有餘
庚桑楚(こうそうそ)篇
老子の弟子に庚桑楚という者がいて、老子の教えの一部を体得したので、北方の畏塁(あいらい)と言う山里に居を定めた。彼は召し使う者の中で、知恵を働かすような男には暇をだし、つんと澄ました気取り屋の女は遠ざけて近寄せず、醜い顔・形の者と一緒に住み、こつこつと骨惜しみしない者を召し使って暮らしていた。
こうして三年ほどたった時、畏塁の里がたいそうな豊作になった。そこで里の人々は互いに語り合った「あの庚桑楚と言う人がこの里にやってきたばかりの頃は、全く変わった人だと驚いたものだ。日々は何も大したことはやってないようだが、一年間の仕事を見ると、驚くべき成果を挙げている。おそらく聖人に近い人だろう。皆でこの里の主君としてあがめようでないか」。
庚桑楚はこれを聞くと、南向きに座ったまま浮かぬ顔をしているので、弟子たちは不思議に思いそのわけをたずねた。庚桑楚はそれに対し「お前たちはどうしてわしのことを不思議がるのか。天地自然にあっては、春になって陽気が良くなると草という草が全て芽を出し、秋になると万物は実を結ぶ。このように春と秋とは皆自然の道を得て気を生じ、大道が行われるのである。『至徳の聖人は小さな室にひっそりと隠れ住み、人々は勝手気ままに振舞って、至人だなど思いもしない』ということを聞いているが、それが本当の至人だ。ところが今、この里のつまらぬ者たちはこせこせと、わしを賢人の仲間に祭り上げようとしている。これではわしは人の目標たる人物になってしまう。老子の道を学びながら、自分はその老子の言にそむく事になるので、浮かぬ顔をするのだ」。
弟子が言った「そうではありません。小さな溝では大きな魚は身を翻す事はできませんが、小魚は自由に泳ぎまわることができます。低い小さな丘では大きな野獣は身を隠す事が出来ませんが、ずる賢い狐にとっては住みよい場所です。それに賢者を尊敬し、有能な者に位を授け、善行と利得とを大切にすることは昔の堯、舜の時からすでにそうなっています。それゆえ、この里の民はこうして先生の恩徳に報いようとするもので、これは当然のことです。どうぞお聞き届けください」。
庚桑楚は答えた「お前たち、近寄ってよく聞くが良い。車を口にくわえる事のできる怪獣でさえ、仲間と別れて一人で山を下れば、わなにかかってしまうし、船を飲むほどの大魚でも、跳ね上がって陸に上がれば、小さな蟻に食われてしまう。それゆえ、鳥や獣はより高い所に好んで住み、魚やすっぽんはより深い所に好んで住む。だから人間でも生命身体を全うする至徳の人になると、より深遠な人目につかぬ場所にその身を隠すのだ。
それに堯と舜の事をあげたが、このような者は少しもほめるに値しない。彼らはその智弁で何をしたかといえば、わざわざ庭の垣根を壊して雑草を増やしたに過ぎない。あるいは髪の毛を一本一本そろえて櫛を入れたり、米を一粒ずつ数えて炊くといったわずらわしいやり方で、こそこそと事に処してきた者である。果たしてそのようなことがどれほどこの世を救い得たというのだ。彼らのしたように賢人を選んで用いれば、人々は誰もが選ばれようと争いあうことになる。知恵のある者を抜き出して高い地位につければ、誰もが悪賢くなって騙しあうようになる。つまり、このようなやり方では決して世の人々を幸福には出来ないのだ。
このやり方は人々を自分の利益のために努めるようにさせるだけで、ひいてはこの利益のために、子であっても親を殺すものが現れ、臣下であっても主君を殺すものが現れ、昼間にものを盗んだり、家の垣根を破って侵入するようなことが起きる。大乱の本は堯、舜の時代に生じたのである。やがてこれは千代も後の世に及ぶだろうが、その折にはおそらく人と人が食い合うようになるだろう」。、
この話を聞いていた南栄趣(なんえいしゅ・庚桑の門人)は恐れかしこまり、威儀を正して尋ねた「私はすでに年長者ですが、どのように学問をすれば、そのお言葉に従えるようになれるでしょう」。(注・南栄趣の趣は本当は走扁に朱ですが、字典に無いため読みの同じ趣を暫定的に当てました。なお南栄は姓で趣は名です)。
庚桑楚は答えた「お前の身体を全うし、生命を保全し、思慮をあくせくと働かせない。そのようにして三年を過ごせば、わしの言った境地になれるだろう」。