疲れたとかツラいとかキツいとか、そういう状態の「重さ」を判断する尺度というものが、
定量的なものではなく、自己申告とか表情とか、そういうものになってしまっていて
ホントにいいのか? と、思いますね。
とにかく、疲れた、と言ったもん勝ちの世の中にはなってほしくないのです。
ネガティブなコトバを吐かずにガンバっているヒトたちが報われる世の中になってほしい。
-浪費を減らす、消費を減らす
ここ数年、自分の嗜好品の消費量は、極めて少なくなってきました。酒、タバコ、
缶ジュースなどです。とてもよいことだと思っています。
巷のダイエットのように、手法を用いて急激に減らす、または止める、というのではなく、
数年かけて少しずつ減ってきました。減らそうという強い意志はありませんでしたが
弱い意志は常にありました。
意志は弱いので、すべて、止めようとは思いません。ストレスがピークのときなど、
タバコやお酒は自分にとって必要です。また、つきあいで吸ったり飲んだりすることはあります。
以前より、嗜好品を消費することにより一定金額が浪費されていることに対して、
心の奥のほうでは常に「無駄だ、何とかしたい」と思っていました。その小さなストレスが
今はほぼなくなっています。このような「小さなストレス」は他にもたくさんあり、
快適な生活を送るためにこれらは何とかしてつぶしてゆきたいものです。
嗜好品を減らすという若干苦痛を伴う行為のモチベーションは、自分においては
「健康のため」だったと思っていたのですが、今考えるとそれは建前であり、
本当は企業側の思うとおりに消費してしまっていることへの反発だと思います。。
「健康のため」というのは、実際問題、嗜好品をたしなんでいても日々の健康状態には
それほど影響が出ないので、やや弱いものがありました。
流行を追ってしまうことや、CMで話題になっている商品を買ってしまうことも同じです。
そのような企業側のマスコミを通した策略には常に違和感を感じており、何と
か
それに乗るまいとは思っています。が、嗜好品については、その特性(中毒性?)により、
まんまと策略にはまってきました。
「流行を追う」については、たとえば、マスコミの策略に乗らずに嗜好品を減らしていこう、
という動きが日本の真のトレンドになってきたら、その「流行」に反発しようとは
思わないはずです。ただし、流行というものは大衆でない側が何らかの目的で
(資本主義ではほとんどの場合、消費させようという理由で)仕掛けるものなので、
大衆側の自己防衛本能が大きなうねりになって、「流行」を凌駕し、新たな
「流行」となってゆく、という状況は日本では起こりにくいと思います。
タバコについては、その危険性をJT自身が認め始めたということもあり、タバコを
吸うことはもはや「トレンド」ではなくなってきていますね。
健康ブームというのは、結局は何かを買えば健康になるという話なので、消費させよう
という動きです。真の健康というのは浪費を抑えれば実現できると思います。が、
浪費を抑えたら資本主義が成り立たなくなってしまうので、マスコミはそのようなことは伝えません。
要は、資本主義社会の中で快適に生き抜くために、あるいは満足感を得るために、
真に自分のやりたいことに対して集中してお金を使いたい、ということです。嗜好品や、
マスコミの宣伝は、それを邪魔しようとする動きなのです。浪費をしないというのは
貯金をしたいということとは直接つながりません。
-水道橋博士の「博士の悪童日記」2002/1/25
車中、猪瀬直樹「ラストチャンス」読了。風邪薬のくだり。
僕が駆け出しのころに、知り合った幾人かのライターは自分には能力があると
勘違いして、絶えず飲んでばかりいたが、みんな消えていった。
当たり前である、仕事をしていないのだから。市場での自由競争となると
毎日が仕事だ。毎日原稿を書かなくてはいけない。それからまた飲む。
そしてわずかに寝てまた起きてやる。こうやって厳しさを、厳しいと思わずに
やっていかないと市場社会から脱落するわけだ。とても風邪なんか引いてられ
ない。風邪など根性でなおる。実際に風邪薬は3倍飲むと治る。僕ぐらい
年配の人は知っていると思うが、昔、お尻にペニシリンを打ったら一回で
治った。しかし、10万人に一人くらい死ぬことがあった。 (中略)
10万人に一人くらい死ぬがそれくらいのリスクを覚悟を決めて生きていると
平気になる。
自己責任について、書いている話だが、業界人で、しかも締め切り仕事も多い俺も、
風邪で休めるわけもない、俺には、ここで言わんとするところ、よ~ くわかるが、
それでも、この記述は、揚げ足をとられるのでは……と心配になる。
ま、俺は、サラリーマンをやったことがないから、今、言われてる、痛みを伴う改革の
痛みに、鈍感だ。それでも、なんでも政府のせい、政治のせい、で、語る生理が
よくわからん。ずっとノンポリだったことも大きいが、政治が悪い~なんて、
国民の声をもったことが一度もない。さらに言えば、「売れないのは事務所が悪い」って
飲み屋でくだを巻く芸人を見るのも、昔から、不思議でしょうがない。
てめぇが悪いか、才能がないに、決まってるじゃん。
--ソース不明 甲本ヒロトインタビュー
僕はいろいろなところで人に聞かれるんだよ。『楽しきゃいいのか?』って。
いいんだよ。そのかわり、楽じゃないんだよって。漢字で書いたら同じじゃんって。
でもね、楽しいと楽は違うよ。楽しいと楽は対極だよ。
楽しいことがしたいんだったら、楽はしちゃダメだと思うよ。
楽しいことがやりたいと思った時点で、楽な道からはそれるんだよ。その人は。
だって、おおこれもやりたいって、楽しいことを実現するためにはもう忙しいってなるじゃん。
寝てる暇なんかねーよって。
楽しようと思ったら、楽しいことはあきらめなきゃだめだね。
ただ、生活は楽なほうが絶対いいと思うよ。でも人生は楽しいほうがいいじゃん。
余裕がなきゃ駄目だよ。だから、僕は、飽食の果ての飢餓だと思う。
飽食の果ての飢餓が、ロックンロールにおけるハングリーってやつでしょ、
お腹が空いたハングリーとは違うぜ。
ハングリー精神っていうのと、貧乏は関係ないよ。
貧乏な人がハングリー精神っていったら駄目だよ。まず金稼いでから言えよ。
うん、ハングリー精神っていうのは、満ち足りてる人の中に芽生えるものだよ。
着るものもある、家もある、ギターだって買える。
だけどさ、足りねぇんだよ、これが、っていうのがロックンロールじゃん。
うん、貧乏人にはロックンロールはできないよ。
(抜粋・紹介おわり)
なんとなく、同級生の水道橋博士と甲本ヒロトさんを一緒に載せてみました。
定量的なものではなく、自己申告とか表情とか、そういうものになってしまっていて
ホントにいいのか? と、思いますね。
とにかく、疲れた、と言ったもん勝ちの世の中にはなってほしくないのです。
ネガティブなコトバを吐かずにガンバっているヒトたちが報われる世の中になってほしい。
-浪費を減らす、消費を減らす
ここ数年、自分の嗜好品の消費量は、極めて少なくなってきました。酒、タバコ、
缶ジュースなどです。とてもよいことだと思っています。
巷のダイエットのように、手法を用いて急激に減らす、または止める、というのではなく、
数年かけて少しずつ減ってきました。減らそうという強い意志はありませんでしたが
弱い意志は常にありました。
意志は弱いので、すべて、止めようとは思いません。ストレスがピークのときなど、
タバコやお酒は自分にとって必要です。また、つきあいで吸ったり飲んだりすることはあります。
以前より、嗜好品を消費することにより一定金額が浪費されていることに対して、
心の奥のほうでは常に「無駄だ、何とかしたい」と思っていました。その小さなストレスが
今はほぼなくなっています。このような「小さなストレス」は他にもたくさんあり、
快適な生活を送るためにこれらは何とかしてつぶしてゆきたいものです。
嗜好品を減らすという若干苦痛を伴う行為のモチベーションは、自分においては
「健康のため」だったと思っていたのですが、今考えるとそれは建前であり、
本当は企業側の思うとおりに消費してしまっていることへの反発だと思います。。
「健康のため」というのは、実際問題、嗜好品をたしなんでいても日々の健康状態には
それほど影響が出ないので、やや弱いものがありました。
流行を追ってしまうことや、CMで話題になっている商品を買ってしまうことも同じです。
そのような企業側のマスコミを通した策略には常に違和感を感じており、何と
か
それに乗るまいとは思っています。が、嗜好品については、その特性(中毒性?)により、
まんまと策略にはまってきました。
「流行を追う」については、たとえば、マスコミの策略に乗らずに嗜好品を減らしていこう、
という動きが日本の真のトレンドになってきたら、その「流行」に反発しようとは
思わないはずです。ただし、流行というものは大衆でない側が何らかの目的で
(資本主義ではほとんどの場合、消費させようという理由で)仕掛けるものなので、
大衆側の自己防衛本能が大きなうねりになって、「流行」を凌駕し、新たな
「流行」となってゆく、という状況は日本では起こりにくいと思います。
タバコについては、その危険性をJT自身が認め始めたということもあり、タバコを
吸うことはもはや「トレンド」ではなくなってきていますね。
健康ブームというのは、結局は何かを買えば健康になるという話なので、消費させよう
という動きです。真の健康というのは浪費を抑えれば実現できると思います。が、
浪費を抑えたら資本主義が成り立たなくなってしまうので、マスコミはそのようなことは伝えません。
要は、資本主義社会の中で快適に生き抜くために、あるいは満足感を得るために、
真に自分のやりたいことに対して集中してお金を使いたい、ということです。嗜好品や、
マスコミの宣伝は、それを邪魔しようとする動きなのです。浪費をしないというのは
貯金をしたいということとは直接つながりません。
-水道橋博士の「博士の悪童日記」2002/1/25
車中、猪瀬直樹「ラストチャンス」読了。風邪薬のくだり。
僕が駆け出しのころに、知り合った幾人かのライターは自分には能力があると
勘違いして、絶えず飲んでばかりいたが、みんな消えていった。
当たり前である、仕事をしていないのだから。市場での自由競争となると
毎日が仕事だ。毎日原稿を書かなくてはいけない。それからまた飲む。
そしてわずかに寝てまた起きてやる。こうやって厳しさを、厳しいと思わずに
やっていかないと市場社会から脱落するわけだ。とても風邪なんか引いてられ
ない。風邪など根性でなおる。実際に風邪薬は3倍飲むと治る。僕ぐらい
年配の人は知っていると思うが、昔、お尻にペニシリンを打ったら一回で
治った。しかし、10万人に一人くらい死ぬことがあった。 (中略)
10万人に一人くらい死ぬがそれくらいのリスクを覚悟を決めて生きていると
平気になる。
自己責任について、書いている話だが、業界人で、しかも締め切り仕事も多い俺も、
風邪で休めるわけもない、俺には、ここで言わんとするところ、よ~ くわかるが、
それでも、この記述は、揚げ足をとられるのでは……と心配になる。
ま、俺は、サラリーマンをやったことがないから、今、言われてる、痛みを伴う改革の
痛みに、鈍感だ。それでも、なんでも政府のせい、政治のせい、で、語る生理が
よくわからん。ずっとノンポリだったことも大きいが、政治が悪い~なんて、
国民の声をもったことが一度もない。さらに言えば、「売れないのは事務所が悪い」って
飲み屋でくだを巻く芸人を見るのも、昔から、不思議でしょうがない。
てめぇが悪いか、才能がないに、決まってるじゃん。
--ソース不明 甲本ヒロトインタビュー
僕はいろいろなところで人に聞かれるんだよ。『楽しきゃいいのか?』って。
いいんだよ。そのかわり、楽じゃないんだよって。漢字で書いたら同じじゃんって。
でもね、楽しいと楽は違うよ。楽しいと楽は対極だよ。
楽しいことがしたいんだったら、楽はしちゃダメだと思うよ。
楽しいことがやりたいと思った時点で、楽な道からはそれるんだよ。その人は。
だって、おおこれもやりたいって、楽しいことを実現するためにはもう忙しいってなるじゃん。
寝てる暇なんかねーよって。
楽しようと思ったら、楽しいことはあきらめなきゃだめだね。
ただ、生活は楽なほうが絶対いいと思うよ。でも人生は楽しいほうがいいじゃん。
余裕がなきゃ駄目だよ。だから、僕は、飽食の果ての飢餓だと思う。
飽食の果ての飢餓が、ロックンロールにおけるハングリーってやつでしょ、
お腹が空いたハングリーとは違うぜ。
ハングリー精神っていうのと、貧乏は関係ないよ。
貧乏な人がハングリー精神っていったら駄目だよ。まず金稼いでから言えよ。
うん、ハングリー精神っていうのは、満ち足りてる人の中に芽生えるものだよ。
着るものもある、家もある、ギターだって買える。
だけどさ、足りねぇんだよ、これが、っていうのがロックンロールじゃん。
うん、貧乏人にはロックンロールはできないよ。
(抜粋・紹介おわり)
なんとなく、同級生の水道橋博士と甲本ヒロトさんを一緒に載せてみました。