【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

■ひとり公論・30代男子成長記録(30~40代大卒男性向けメールマガジン)vol.256

2009-01-18 07:14:01 | メルマガ移行
都心の某有名な寺院に、古いお札の焚き上げをお願いしにいったら、坊主のヒト
(つまり、僧かどうかわからないけれども、髪形が坊主のヒト)に、「ここに
入れてください!」とゴミ袋を指さされました。

その「坊主」は「結局ゴミになっちゃうんですよね~」とひとりごとともつかない
コトバを吐いていました。

僕は、焚き上げをお願いしにいったのだが。。
興ざめも興ざめ、「これだから坊主ってのは。。」と、思いましたね。





-あきらめてもらう他ない(20070819)

先日、「あきらめてもらう他ない」ということを偶然書き出したのですが。。

それは、自分がひんぱんに無礼なタクシー運転手を見るので、自分はもう、
「タクシー運転手は無礼である」という偏見を持ちました、と。これはもう
揺ぎないものになってしまった。

で、おそらく、99%以上の、ごく普通の善良なタクシー運転手の皆さんには
「あきらめてもらう他ない」ということなのです。その業界にいる限りは。

1%未満の、無礼なタクシー運転手を恨んでください、と。もっともっと、同業者を
憎んでかまわないと思うんですね。

これと同じことがいろんなところに応用できるなあ、と。。

自分が偏見を持つのは、自分の体験の積み重ねからです。一度だけの「事故」により
偏見を持つことは決してありません。


たとえば10年ぐらい前、ごく普通の女子高生たちは、「アタシたちは援助交際なんて
しない」と、世間の悪いイメージを作り上げている元凶である女子高生たちを
憎憎しく思っていたことでしょう。一部の善良でないヒトたちのために、世代のイメージが
醸成されてしまうのです。マス・イメージというのはそういうもので、一部の
強烈な素材に振り回されます。その素材の一瞬の輝き(良くも悪くも)に吸い寄せられて
しまうのです。

善良でなかったヒトたちはもっと憎まれるべきなのです。「取り返しのつかない
ことをした」と思わせるまで。


私は、犬を飼っているヒトたちは、広い公園に行くと途端にリードを放して他の市民に
少なからぬ恐怖感を植え付けたり、誰もいない深夜に散歩して犬に自由に糞をさせたり、
ペット禁止のマンションでも「自分の癒しのためにゼッタイに必要」と、公共
の迷惑を
考えずに自分のわがままを押し通したり、などなど、犬を飼うヒトたちはそういう
「マナー無視」をする素養を持っている、と確信しています。だからこそ、犬
を飼うのだと。

「ペットに癒される」という類の発言をするヒトは、公共のマナーを無視してでも
自分が癒されたいと思っている、と確信しています。

ですから、70%(?)以上の善良な、犬を飼っていてかつマナーを守るヒトたちには、
あきらめていただく他ないのです。

公共のマナーを無視してまで犬に癒されたいと思うヒトたちはもっともっと、犬を飼
う仲間たちから憎まれるべきなのです。

私は、大型トラックの運転手は間違いなく、「道路」という世界でヒトを見下すために
あの仕事をしているのだと確信しています。