【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

聖人後其身而身先外其身而身存

2019-04-26 19:20:59 | 引用
ちょっと難しい あとでもう一度考える
http://www.roushiweb.com/category2/entry7.html
「聖人後其身而身先、外其身而身存」老子(聖人はその身を後にして而も身は先んじ、その身を外にして而も身は存す。)

どんな人を差して“賢者”と呼ぶのか、その定義は難しいでしょう。
それは、お国柄や時代の“価値観”にも左右されるからです。



では、老子はどのような人をもって“賢者”と考えていたのでしょうか。


上述の老子の言葉から解釈すれば
「後ろにいるのに前に出て、外にいるのにそこにいる」
そのような人物こそが“賢者”だということになります。
…と言っても、ちょっと抽象的ですよね(笑)。


分かりやすく噛み砕いて言うと、
賢者は自分から前に出るということはない。(「しゃしゃり出ない」ということ)
自分を前に立てないので、かえって人から立てられる。
自分というものをなくして、“無私”で物事に当たるので、
かえって周りから重んじられるということです。