上杉隆
何を食べた、犬猫と遊んだ、という他愛もない平和な会話が延々とSNSの大半を占めている(もちろん海外のsnsもそうした傾向がないわけではないし、私自身もそれを否定しているわけではない。ただ、日本の場合は極端すぎるのだ)。
また、SNSなどにおける社会的、政治的な発信となると、極めて遠慮がちに発信する程度になってしまっているか、当たり障りのないものが多い(しかもそうした発信に関しても匿名の場合が多い)。
一方で、社会性を帯びた発信があったと思えば、攻撃的で多様性を排除した意見が言論空間を支配することになる。本来ならば多様性を担保しなければならない知識人たちがその排他性の先頭に立ち、SNSをつまらないものにしているという情けない状況にもある。
とりわけこうした傾向は現在、相対的に匿名性の高いツイッターで顕著だ。
何を食べた、犬猫と遊んだ、という他愛もない平和な会話が延々とSNSの大半を占めている(もちろん海外のsnsもそうした傾向がないわけではないし、私自身もそれを否定しているわけではない。ただ、日本の場合は極端すぎるのだ)。
また、SNSなどにおける社会的、政治的な発信となると、極めて遠慮がちに発信する程度になってしまっているか、当たり障りのないものが多い(しかもそうした発信に関しても匿名の場合が多い)。
一方で、社会性を帯びた発信があったと思えば、攻撃的で多様性を排除した意見が言論空間を支配することになる。本来ならば多様性を担保しなければならない知識人たちがその排他性の先頭に立ち、SNSをつまらないものにしているという情けない状況にもある。
とりわけこうした傾向は現在、相対的に匿名性の高いツイッターで顕著だ。