僕はビールが好きです。。相当。
酒豪というわけではないです。(量はそれほど飲めません)
飲み会でビールを飲むのが好きなわけではなくて、ビールそのものが好きです。
休みの日に、明るいうちに、外で飲むのが、良いですね。全幅の幸福感を感じることができます。特に天気がよい日は。。
健康管理との兼ね合いもあり、ビールを飲むのはおよそ金土日に限定していますが、それゆえに週末が待ち遠しくもあり、だったら完全に酒を絶たなくともよいかな、と。(休肝日も週4でとってますし。。)
ビールが好きだという自覚はだいぶ以前よりあったのですが、ビールがそのまま趣味なのではないかと思うようになってきました。
自分は無趣味なのだろうなと思っていたのですが、まさかビールそのものが趣味とは。。
もういっそのこと、少ない小遣いはビールとその周辺にしか使わない、と。そのぐらい趣味を集中させたほうがよいかもしれません。
ビールを中心に、休日は「しなやかに、ほろ酔いで」生きるのがいいですね。。
-「よりよく生きたい」(20070817)
ふつーのヒトは、誰も「よりよく生きたい」なんて思っていない、というテーゼに立つと。。
誰もが「より楽しく生きたい」とは、思っている。でも、より楽しく生きるために、よりよく生きる方法を考える、という思考に至らない。
それが、いたく不思議に感じてしまうところなのです。
刹那的に楽しく生きるのは勝手なのですが、何か突発的に楽しいことがあると、それが起らない「凪」の時間が非常に苦痛に感じられるようになる、という「リバウンド」を、誰もが知っているはずなのに、なぜ、それを「意識」しないのでしょうか?
自分は刹那的に楽しく生きたい、それが最良、と考えるならば、であれば「凪」の時間はどうする? と、そこまで考えを至らすことこそ「よりよく生きる」ことそのものなのです。
そこから目を背けてはいけない。
(略)
時間が無限にあるという間違った前提だからこそ、不満足感を抱えながらだらだらと生きてゆけるのでしょう。
楽天の三木谷社長は、人生を後悔するという最大のリスクを回避するために、逆に仕事でリスクをとる、という話をしています。
それとも現代人は、「人生を後悔する」というリスクすら織り込み済なのでしょうか?
いや、それは違うと思います。現代人はほとんどのヒトがなんらかの「野望」めいたものを持っています。その野望の実現でもって、人生を後悔するというリスクが回避されるわけです。
ですが。。 私には、たとえば昨日の神宮の花火大会で、クソ暑い中、さらに、大混雑で体感温度、不快指数上がりまくりの中、わざわざ非日常のイベント(=刹那的な楽しみ)を求めてやってくるようなヒトたち。。
カレらの「目」をながめていると、カレらは「人生を後悔するために生きている」ような気がしてならないのですね。
あの暑さと混雑ではモトはとれない、と思ってしまうのですが、一瞬でも刹那的な楽しみを享受するだけで、カレらはモトがとれてしまうのでしょう。
酒豪というわけではないです。(量はそれほど飲めません)
飲み会でビールを飲むのが好きなわけではなくて、ビールそのものが好きです。
休みの日に、明るいうちに、外で飲むのが、良いですね。全幅の幸福感を感じることができます。特に天気がよい日は。。
健康管理との兼ね合いもあり、ビールを飲むのはおよそ金土日に限定していますが、それゆえに週末が待ち遠しくもあり、だったら完全に酒を絶たなくともよいかな、と。(休肝日も週4でとってますし。。)
ビールが好きだという自覚はだいぶ以前よりあったのですが、ビールがそのまま趣味なのではないかと思うようになってきました。
自分は無趣味なのだろうなと思っていたのですが、まさかビールそのものが趣味とは。。
もういっそのこと、少ない小遣いはビールとその周辺にしか使わない、と。そのぐらい趣味を集中させたほうがよいかもしれません。
ビールを中心に、休日は「しなやかに、ほろ酔いで」生きるのがいいですね。。
-「よりよく生きたい」(20070817)
ふつーのヒトは、誰も「よりよく生きたい」なんて思っていない、というテーゼに立つと。。
誰もが「より楽しく生きたい」とは、思っている。でも、より楽しく生きるために、よりよく生きる方法を考える、という思考に至らない。
それが、いたく不思議に感じてしまうところなのです。
刹那的に楽しく生きるのは勝手なのですが、何か突発的に楽しいことがあると、それが起らない「凪」の時間が非常に苦痛に感じられるようになる、という「リバウンド」を、誰もが知っているはずなのに、なぜ、それを「意識」しないのでしょうか?
自分は刹那的に楽しく生きたい、それが最良、と考えるならば、であれば「凪」の時間はどうする? と、そこまで考えを至らすことこそ「よりよく生きる」ことそのものなのです。
そこから目を背けてはいけない。
(略)
時間が無限にあるという間違った前提だからこそ、不満足感を抱えながらだらだらと生きてゆけるのでしょう。
楽天の三木谷社長は、人生を後悔するという最大のリスクを回避するために、逆に仕事でリスクをとる、という話をしています。
それとも現代人は、「人生を後悔する」というリスクすら織り込み済なのでしょうか?
いや、それは違うと思います。現代人はほとんどのヒトがなんらかの「野望」めいたものを持っています。その野望の実現でもって、人生を後悔するというリスクが回避されるわけです。
ですが。。 私には、たとえば昨日の神宮の花火大会で、クソ暑い中、さらに、大混雑で体感温度、不快指数上がりまくりの中、わざわざ非日常のイベント(=刹那的な楽しみ)を求めてやってくるようなヒトたち。。
カレらの「目」をながめていると、カレらは「人生を後悔するために生きている」ような気がしてならないのですね。
あの暑さと混雑ではモトはとれない、と思ってしまうのですが、一瞬でも刹那的な楽しみを享受するだけで、カレらはモトがとれてしまうのでしょう。