ムカシ学生の頃のハナシだけど、バイト先の社員さんが、褒め上手でねえ。。
けっこう年上だったな。
このヒトの影響を受けた、というのも少しあるけど、それよりも、このヒトの褒め上手のおかげで、自分のことが客観的にわかった、というか。
よく居酒屋で褒められたのはね、オマエは、「一を聞いて十を知り、二十やる」と。
その頃オイラは、ヒトのハナシを、にこやかに相槌を打ちながら聞く、というオトナなことはできなかったけど、確かにその頃から、「このヒトはホントは何を言いたいのだろう? 何を求めているのだろう?」と、常に考えていたようには思う。常にコトバのウラを探ろうという姿勢。それが「一を聞いて十を知る」につながっている。
他人から発せられるコトバは、伝えたい意味の総体のうちの氷山の一角でしかないのだ。
そして、確かそのヒトは、一を聞いて十知ったら、「百やる」べし、といっていた。
それを実現できてはいないのだが。。(そして、そのヒト本人もできていたとは言いがたいのだが)
つまり、オイラなりに解釈すれば「百やる」力量というのはね、いかに他人と連携できるか、ということなんだよね。
個々の能力には限界があるから、いかに頑張ったところで十を知って二十やるのが精一杯。超人じゃないかぎり、ね。
でもさ、もしオイラがそのヒトの褒め言葉どおり、一を聞いて十を知り、「二十」実行していたのだとすれば、はるかムカシからオイラは「言われたことだけをやる」という受け身な人間ではなかったということになる。大学時代からね。
その、褒め上手の社員さんの同僚のヒトからは、「オマエは、(就職が)どこいっても大丈夫だよ」と言われていた。
たぶんそのヒトも、オイラの「十を知って二十やる」という姿勢に共感してくれていたのだと思う。受け身的ではないから、就職してもこいつは大丈夫だろう、と。。
確かに、一般論としてはそうなのだが。。
結局オイラは、サラリーマンとして就職することもなく今に至ってしまった。(その前にまず、4年で卒業できなかった、というのもあるけど。。)
いや、数カ月サラリーマンをやったことがあるんだけど、イヤだからやめちゃった。仕事に対して受け身的でなくとも、そういう人間なのである。
結局オイラは今でも、「フリーター」と紙一重のフリーである。
とどこの組織に入ってもおそらくオイラはダメ人間だが、相変わらずオイラは「どこいっても大丈夫」という自信はある。
矛盾しているようで矛盾していない。「個」として組織内で動くことが許されるのであれば、オイラはうまくふるまえる自信があるのだ。
そうなるよう努力してきた、しね。
とある組織が、属する個々人の「個」をつぶしにかかるような職場であれば、オイラは反抗するだろうし、そういうところで立ち振る舞うことができないのだ。。
それは別に自慢してるわけでも卑下してるわけでも、ない。そういう人間なのだということ。
けっこう年上だったな。
このヒトの影響を受けた、というのも少しあるけど、それよりも、このヒトの褒め上手のおかげで、自分のことが客観的にわかった、というか。
よく居酒屋で褒められたのはね、オマエは、「一を聞いて十を知り、二十やる」と。
その頃オイラは、ヒトのハナシを、にこやかに相槌を打ちながら聞く、というオトナなことはできなかったけど、確かにその頃から、「このヒトはホントは何を言いたいのだろう? 何を求めているのだろう?」と、常に考えていたようには思う。常にコトバのウラを探ろうという姿勢。それが「一を聞いて十を知る」につながっている。
他人から発せられるコトバは、伝えたい意味の総体のうちの氷山の一角でしかないのだ。
そして、確かそのヒトは、一を聞いて十知ったら、「百やる」べし、といっていた。
それを実現できてはいないのだが。。(そして、そのヒト本人もできていたとは言いがたいのだが)
つまり、オイラなりに解釈すれば「百やる」力量というのはね、いかに他人と連携できるか、ということなんだよね。
個々の能力には限界があるから、いかに頑張ったところで十を知って二十やるのが精一杯。超人じゃないかぎり、ね。
でもさ、もしオイラがそのヒトの褒め言葉どおり、一を聞いて十を知り、「二十」実行していたのだとすれば、はるかムカシからオイラは「言われたことだけをやる」という受け身な人間ではなかったということになる。大学時代からね。
その、褒め上手の社員さんの同僚のヒトからは、「オマエは、(就職が)どこいっても大丈夫だよ」と言われていた。
たぶんそのヒトも、オイラの「十を知って二十やる」という姿勢に共感してくれていたのだと思う。受け身的ではないから、就職してもこいつは大丈夫だろう、と。。
確かに、一般論としてはそうなのだが。。
結局オイラは、サラリーマンとして就職することもなく今に至ってしまった。(その前にまず、4年で卒業できなかった、というのもあるけど。。)
いや、数カ月サラリーマンをやったことがあるんだけど、イヤだからやめちゃった。仕事に対して受け身的でなくとも、そういう人間なのである。
結局オイラは今でも、「フリーター」と紙一重のフリーである。
とどこの組織に入ってもおそらくオイラはダメ人間だが、相変わらずオイラは「どこいっても大丈夫」という自信はある。
矛盾しているようで矛盾していない。「個」として組織内で動くことが許されるのであれば、オイラはうまくふるまえる自信があるのだ。
そうなるよう努力してきた、しね。
とある組織が、属する個々人の「個」をつぶしにかかるような職場であれば、オイラは反抗するだろうし、そういうところで立ち振る舞うことができないのだ。。
それは別に自慢してるわけでも卑下してるわけでも、ない。そういう人間なのだということ。