絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

今日の勉強 レオナルド

2012-04-22 | 美術
レオナルド・ダ・ヴィンチ

1、レオナルドがフランソワ1世に出会ったのは、ミラノだった。

2、フランソワ1世が、22歳。レオナルドは、64歳だった。

3、レオナルドがフランソワ1世にフランスに招かれたのは、絵を描くためではなかった。
  二人には、大きなプロジェクトがあった。

4、フランソワ1世は、レオナルドを父のように慕っていた。

5、しかし、レオナルドは、フランス滞在わずか3年で亡くなってしまった。

6、大きなプロジェクトとは、シャンボール城の建築だった。
  イタリアルネッサンス様式。正方形で中央に螺旋階段がある。
  その螺旋階段は、二重構造になっている。

7、この建物は、レオナルドの死の4カ月後に建築が着工されている。

8、1793年、ルーブル宮殿は、ナポレオン1世によって美術館になる。
  フランス革命の4年後。

9、1810年、ナポレオンは遠征で手に入れた美術品や歴代の王たちのコレクションのリストを作らせた。

10、このコレクションリストに、モナリザのモデルはジョコンダ夫人だと書かれている。
   
11、この記録に寄ると、フランソワ1世は、モナリザを買い取っていた。
   その代金は、弟子のサライがイタリアへ帰る時の、旅費になった。

12、フランソワ1世は、モナリザを重要な作品だとは思わなかったらしい。
   モナリザは、浴室に飾られていたのは、そのためか?
   フランソワ1世は、ラファエロなどのイタリアルネッサンスの大きな作品をたくさん宮殿に飾っていた。
   

13、モナリザが有名になったのは、1911年に盗難事件にあったため。
   それで、疑われたのが、シュールレアリズムの詩人のアポリネール。
   以前、ルーブル美術館から彫刻が盗まれた時、その犯人と知り合いだったため。

14、それが切っ掛けで、モナリザが研究され、その絵の中にミステリアスな内容がたくさんあると言われるようになった。

15、最近の研究では、モナリザの眼に、LとSが見えた。右目にL、左目にSが浮かんで見えた。

16、その理由は、Lがレオナルドの頭文字、Sは、弟子サライの頭文字。
   だから、モナリザのモデルはサライではないか。

17、サライは、洗礼者ヨハネのモデルとも言われている。

18、モナリザの絵の背景の端に、数字が見える。そのなぞもこれからの研究。




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ESさんの県展制作

2012-04-22 | 県展指導
途中経過を見せてくれました。



背景をどうするか、まだ決めていません。
暗くした方が、手前のインパクトが強くなります。

手前はもっと明暗の差が大きいので、それを強調して出すことを進めました。
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美術部の作り方2

2012-04-22 | いろいろ
私の考える美術部は、自分の高校時代の美術部だった。
それは、毎日活動する美術部である。。

だから、そのつもりで始めたのだが、生徒たちはそうは考えていなかった。
あの時、もっと生徒と話し合っていたら、あの子たちは美術部を続けていたのだろうかとふと思うことがある。

生徒たちが一週間に一回程度のお稽古のような部活を考えていたということを知るのに、かなりの時間がかかった。なぜなら、生徒たちは勝手に来なくなったのだ。なぜ来ないのか全く分からない。理由をはっきりと言う生徒もいなかった。

私も教員になったばかりで、何がどうなっているのか、どうすればいいのかわからず、来ないのだからしかたがないと思っていた。

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もし、今の私ならどうするだろう。

おそらく、生徒を集めて、「君たちが考える美術部とは、どんなもの?」と問いかけるだろう。そして、生徒の希望を聞き、それに合わせた活動メニューを考えるだろう。

一週間に一回と考える生徒は、それでいいと言うかもしれない。
やりながら、一週間に二回、三回と増やしていくだろう。

ただ、活動日が増えることが目的ではない。何をやるかでそれは自然と増えていくはずだ。
現に、二学期から部員が入って活動が始まったとき、展覧会に出してみようと投げかけたら、時間がないので合宿をさせてほしいと生徒の方から言い出した。
何を目標に設定するかで、生徒の意欲は違ってくる。いつまでという期限があることでも違う。だから、活動を活発にするかどうかは、その目標の立て方である。

もう一つ、考えることは、どんな刺激を生徒に与えるかである。

私が高校時代にいた美術部は、生徒たちだけでどんどん活動する美術部だった。
先生がつきっきりで指導する美術部ではない。先生はほとんどその場にいないのである。
それなのに、毎日活動して、県展にも5人も入選するほどのレベルであった。
それは、古川先生という日展の審査員をされるほどのすごい先生がいたからというのが理由だが、生徒の意欲はその古川先生の絵に憧れ、先生みたいに描きたいということによって引き出されていたものだと思う。

だから、先生が描いている姿を見せることが一番良い。
描けば、生徒たちは興味を持って見るはずだ。中には先生みたいに描けたらいいなと憧れる子が出てくるはずだ。
「先生はどうしてそんなに描けるんですか?」「どのように勉強したのですか?」という質問が出るだろう。年齢が近ければ近いほど、そのような声掛けは気楽にできるだろう。

そこがチャンスである。

それは、一週間に一回デッサンをする程度では身に着かないものがあることを教えるのである。これだけの力をつけるには、それなりの努力があったのだということを。

自分もそうなりたいと思うなら、努力が必要だとなるだろう。

また、もう一つは、先生が勉強することである。
私は美術史を勉強した。生徒と話をするときに画家の話をする。
美術部に入ってくる生徒というのは、絵に興味があるのだから、画家の話題は喜んで聞く子が多い。何かにつけて、画家の話をしてやる。その話の中に「へええ」と感心する話があるといい。面白いなと思わせたらしめたものである。

先生の話は面白い。先生と一緒にいると、勉強になる。と生徒たちが思えば、部活に来るのが楽しくなる。一週間に一回と言っていたのが、二回になり三回になりということになるだろう。

生徒が増えてきたら、競争意識を煽ると良い。
朝のクロッキーも誰が何枚描いたということを時々言わせて競争させた。
時代が進むと競争は過去の先輩の最高記録との戦いとなった。先輩にできなかったことを一つでもやりとげよう。先輩の記録を破ろうということが起こった。

しかし、最初の内はこの先輩との戦いはできない。
私は、こんなことを言った記憶がある。

いま、君たちのやっていることは、後の時代の生徒たちの目標になる。
先輩たちはこうやったよということが、その後の部員の活動やレベルに影響する。
君たちがどこまでレベルアップを図るかが、後の時代に影響を与えるのだ。
君たちは、いま歴史を作っているのだと。

私は歴史的に物事を考えるたちである。
「昭和の終わりから平成の初めにかけて、本庄という片田舎に日本一と言われる美術部があったといつの日か語られる日が来るかもしれない」と言ったことがある。

「その日本一の意味が問題なんだけどね」と。

つづく

















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