夫の実家
高速からののどかな風景
世間はGWが始まり、さぞや高速道路も混んでいるだろうと、朝7時前に出発しました。
以外に高速道路が空いているので、夫はびゅんびゅん飛ばしていました。
やがて、異変が。数えきれないくらい利用しているこの道路。福島辺りから道路がぼこぼこです。
そして、景色に目をやると、屋根にブルーシートの覆いのかかった家がちらほらと。
自衛隊の車両も多くなってきました。
仙台南で高速を降り、最初に義父方の菩提寺に。
がけ崩れの危険があるので、立ち入り禁止。まだ、新しい社務所などの建物の屋根も瓦がぐしゃぐしゃです。
いきなりこれですから、実家はどうなっているのやら。
仙台のメインストリートを眺めながら実家へ。
見た目は、何も変わりがないように見え、人の波もそこそこに。
時折、ブルーシートの青い色が見えます。
実家が近くなりました。何か普段と違う光景が。
屋根瓦が乗った木造の家々がたくさん被害にあったようです。すでに、真新しい瓦が黒光りしているお宅も
あります。こんな街並みを見ながら、夫の実家へ。
角を曲がると、被害があらわに。想像はしていましたが唖然と!
家に気を取られていると、あきらめていた犬の 「ラッキー」が生きているではないですか。
地震の時は、一匹で心細かったでしょう。地震後、食べたものを戻したり、いつもとは違う様子だったそうです。
人間も、動物も同じです。
壁や屋根瓦が落ち、ソーラーパネルがどうにか屋根にしがみついている状況です。
家の中は、ぐしゃぐしゃです。それ以前に危険で居住はもう無理です。
詳しい話を聞いてみると、3月11日ではなく、その後の大きな余震での被害の方がダメージが大きかったそうです。
この家には、姪とその子供が住んでいましたが、ここは、壊すしかないようです。
この日は、帰省時いつも利用しているホテルへ。ここも1階が水没し、5月1日から一部営業再開。
エレベーターが使用できず、外階段を5階まで。食事入浴そのたびに上り下り。強風注意報が出ているこの日。
階段から飛ばされそうでした。
翌日早朝。三陸自動車道で気仙沼に住む、主人の妹夫婦のもとへ。
途中、事故のため高速を降りて一般道を走行。
山道の途中「え!なんでここにがれきがあるの?」と思うと同時に、
凄まじい光景が目に飛び込んできました。テレビの映像で見たのと同じ光景が。
言葉を失います。 これが現実? どうして? 奥に目をやると
そこには海が見えます。こんな海の近くに町があったんだ。
思わず手を合わせました。ここにもまだ、行方不明の人がたくさんいるのかと思うと
とても辛い気持ちになります。ただただ手を合わせるしかできない私。
次の街に入りました。同じようにそこここががれきで埋め尽くされ、まるで
映画で見た戦場のような景色。
鉄骨だけ残った建物。あの建物は、確か女性職員が、命を懸けて
町の人々に津波から避難するように呼びかけていたと報道されていた建物です。
あの日以来、命をかけたドラマが数えきれないほどあったのだと思い知らされました。
私でさえ、夢を見ているのかしらと思うこの有様。
しかし、気が付きました。紙一重のところで、一見すると何事もなかったように
普通に生活をしているように見えるところも多いのです。
桜や、新緑で、山々がとても美しいのです。
こうして気仙沼に入りました。暴風注意報が出ていたこの日、がれきやほこりが舞い散り、
とても危険でした。市役所に通ずるこの一本道は大渋滞。止まっている車が吹き飛ばされそうな
凄い風が吹き荒れています。
やっとの思いで到着しました。姪の結婚式以来の再会でした。
写真館は、一階が天井まで水没。シミがその証拠。
2階に上がり、地震の時の話を聞きました。
その日、長女と初孫が里帰りをしていたので、孫を守りたい一心で、最初の地震ですぐに高台に
避難したそうです。何も持たずに。少し落ち着いてから写真館の様子を見に行こうとして止められたそうです。
自分の所まで津波が来るはずはないと思っていたそうです。商店街には、自宅に残り、の2階3階から津波見物をしていて
犠牲になった方も多いと聞きました。
甘く考えていたと反省したし、初孫のおかげで早い非難ができ、命拾いしたと話していました。
食事をしようと外に出ましたが、相変わらずの強風。帽子は飛ばされ、体も持って行かれそうに、
いろんなものが飛んできます。とうとうどこからか煙突が飛んできました。
車が通れなくなるので、この煙突を路肩に移動。
写真館は、再起できないのかと諦めていましたが、何かをしようという気持ちが
少しは湧いてきているようです、
しかし、何を始めるのももの不足。そして業者の不足。
まだまだ時間がかかりそうです。
個人の力だけでは復興は無理です。被災の状況や度合いも全く違います。
それぞれに相応く、長い長い支援が必要だということを改めて感じました。
ちょっとだけ町を抜けると、春爛漫。東北の春は真っ盛り。
一関から高速道路に上がりました。上り車線の凸凹はもっときつかった。
珍しく車酔いしました。
*宿泊もままならず、今回は1泊の強行軍になりました。
追伸
今回一眼レフカメラを持参し、災害の状況をアップする予定でした。
でも、あの被災地の様子を目の当たりにし、どうしてもシャッターを押す
気分にはなれませんでした。(職業カメラマンではありませんから)
しかし、他県ナンバーのいかにも、○○遊山らしい方々が、戦場のようなあの光景に
カメラを向けていました。
観光気分で被災地の写真を撮る神経がわかりません。
どうしても撮りたいなら、人目を避けてするべきです。まだ、自衛隊の方々が
行方不明者の捜索をしているのに。なんと無神経なことか。
わたしも、ここ一年、外で写真を撮ることが多くなりました。マナーだけは忘れずに
楽しみたいと思います。
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