今回、昔の音源を整理していて気付いた点。
1.1977年頃「かんぱりふぁいぶ」でNavigaterのジャズベ+SUNNのアンプを使っていた
2.1979年頃 就職したため、一旦活動を休止。機材も全部売り払う
3.1978~80年頃、復帰してアリアプロⅡの安いBassで「かんぱり」を乗り切る
これには証言があって、後に「こんなバンドで安っぽい楽器使ってる」と言われた
就職後、復帰する際に何とベースを1本も持ってなくて、間に合わせで\42,000くらいだった
これじゃイカンと思ってアクティヴを買った記憶があるが、メーカーは思い出せない
4.1980年頃、Fenderプレベを購入。穴開けてプリアンプを仕込んだ(あぁ勿体ない)
5.その後アクティヴが流行し、ミュージックマン(2PUのセイバー)を使っていた
6.1983年頃、Moonのベースに一目ぼれして今に至る
7.1984年 一旦バンド活動を休止
8.1985~6年頃 「PS・Britain」に復帰、銘機「ALBIT B200」を購入
9.1988年頃 子供が生まれたり、引っ越しとなって活動休止
音源のベースの音を聞きながらパッシブの頃とアクティヴの音で記憶と時代を思い出してみたが、最後はMoonのパッシヴに落ち着くのであった。コイツは今でも活躍中。
■機材などなど
1977年は金沢から帰ってきてJooDeeっていうメーカーのプレベを使っていたが、その後Navigaterというメーカーのジャズベを使っていた。夏休みにバイトして中古のSUNNコンサートベースを買った。キャビは旧モデルのグレーのサランネット、38cm×2のデカいヤツだったなぁ。このSUNNはしばらく使用。
その後デカ過ぎるので売っぱらい、ヘッドはYAMAHAにして38cm×1発用のキャビネットにJBLのSPを使っていた(映像で確認)
そのSPに穴があいてしまい、音がビビるので売っ払った記憶があり、やっぱりSUNNが欲しくなったので自爆したような気がする(BoogieManで使用してたハズ)
その後ALBITのB200を衝動買いしてSPはYAMAHAの38cm一発のモデルを使ってたようだ(記憶のみ)
■出音から影響を受けたモノ
1977~80はジャズベに新品弦の倍音ギラギラかた~い音で、おそらくスペースサーカースを聞いてたため、チョッパーで親指UPのフレーズがある(下手くそ過ぎて聴けない)
指弾きでのフレーズはかなり細かいフレーズで、7thとかの音を多用していた。
当時流行った16ビートのインストものでは、元ネタが乏しいためか、とにかく音数多くて聞いててもしんどいが、よくもまぁあんだけ細かく弾けたもんだ。
■エフェクター
初期はエフェクターあんまり使ってなかったハズなんだが、家にBOSSの昔のヤツがごろごろしている。
音源からオートワウを発見したが、現在本体は無い。
チョッパーが流行出しコンプレッサーが出た頃なのだが、音の輪郭がぼやけるため使ってなかった。
というかコンプの性能が悪かったので「男はシールド一本」って決めてたようだ。
ただし後期にはラック型のグライコ付コンプを使用しており、ALBITと組み合わせ、ず太い音になる。
そのためごりごりの音でプルなんか「ペッ」じゃなくて「ゴン」っていうイイ音出してる(勉強になるなぁ)
初期チョッパーの時はグライコをかけてドンシャリにしてた時期もあったようだ(アリアを使ってた頃)
飛び道具は後期にフランジャーを一部使っている。
チョッパーのネタはフレーズからスタンリー・クラーク真似を発見。後期はルイス・ジョンソンとかの高速チョッパーネタが出てくるが下手くそ極まりない。
カシオペアとスペースサーカスなどがネタ元にもあるが、とにかくチョッパーは下手だ。指弾きのほうがまだマシ。
大学の頃からずっと達郎を聞いていたので、指弾きではフレーズの元ネタとなっているかも。
Boogie-Man初期はプレベのプリアンプ仕込みで、16ビートとかも弾いていたが8ビート曲も多くてPOPな曲調がメインだったため意外と馴染んでいるようだった。
これは「かんぱり」で鍛えられた16ビートが役に立ったと思う。
諸先輩方々にはこの場を借りて御礼申し上げます。
その後ボーカルが変わって曲調がガラッと変わり、もはやお手本となるモノも無く試行錯誤のフレーズが乱発している。
曲作りもベースのパターンフレーズがあって、リフの繰り返しみたいな感じで、理論なんて滅茶苦茶というか知らんかったんだが勢いで押し込んでいるトコが随所にある(涙
パーシー・ジョーンズやミック・カーンの影響で最後のほうはフレットレスまで使っていた(ジャコはあんまり聞いてないハズ)
グルーヴとかの概念よりもゴリゴリ押していくパターンが多くて、上手くハマってる曲はスゴいが「おいおい大丈夫か?」というトコのほうが多いかもしれん。
当時、他のバンドは16ビート系AORでお洒落な曲や「これぞロック!」っていうハードロック系に分かれていたが、みんな意外と仲良くやっていた。ただ『Boogie-Man』は分類できないジャンルで、ちょっと文章では表現できない。
「ロックin三条」というイベントで以前お世話になった「かんぱり」と一緒のステージに立った時、ドラムのキミ(先輩なのでキミさんです)から「もっと真っ直ぐな音楽やれて」と言われたことは鮮明な記憶に残っていますので、まがった音楽やってたんだろうと思います(笑
一番好きだった曲はハロウィンを歌った曲で、後期に作られたやつ。
今聴いて鳥肌立つのは「ガーデン・パーティー」のサビです。
この曲は初期に作られて後期まで締めの曲として君臨した記憶があります。
後期、Moonのベースになってから音数は少なくなり何となく落ち着いたようである。
おそらく東京のバンドの方とかの交流もあって、歌もののベースの在り方など影響を受けたかもしれない。
26歳で一旦活動を休止したワケですので、人間的に多少の落ち着きも出てきたのかもしれんが。。。
この頃の音源が少なく、動画は残っているので音質は鮮明に記録されていた。
赤いMoonに赤いシールドだけでがきごきのトーンなんだが、バランスがいい。
ワタシががきごきのトーンを好むのは、19歳の頃静岡でプログレバンドのライブを見てからである。
何と指弾きからピアノの低域のような倍音多めの音が繰り出され、クリムゾンのコピーバンドをたっぷり聞かされて衝撃を受けたんだと思う。
それまでレコードで聞こえてくるモコモコしたベースっぽい音質がベースの音だと信じていたが、こういう固い音も個性としてアリだろうと信じて疑わなかった。
そのため指弾きではブリッジ近くを弾くクセがついており、MoonにはリアPUのあたりに自作フィンガーレストが取り付けてある。
この「固い音」への信条はしばらく続くのであった。
1.1977年頃「かんぱりふぁいぶ」でNavigaterのジャズベ+SUNNのアンプを使っていた
2.1979年頃 就職したため、一旦活動を休止。機材も全部売り払う
3.1978~80年頃、復帰してアリアプロⅡの安いBassで「かんぱり」を乗り切る
これには証言があって、後に「こんなバンドで安っぽい楽器使ってる」と言われた
就職後、復帰する際に何とベースを1本も持ってなくて、間に合わせで\42,000くらいだった
これじゃイカンと思ってアクティヴを買った記憶があるが、メーカーは思い出せない
4.1980年頃、Fenderプレベを購入。穴開けてプリアンプを仕込んだ(あぁ勿体ない)
5.その後アクティヴが流行し、ミュージックマン(2PUのセイバー)を使っていた
6.1983年頃、Moonのベースに一目ぼれして今に至る
7.1984年 一旦バンド活動を休止
8.1985~6年頃 「PS・Britain」に復帰、銘機「ALBIT B200」を購入
9.1988年頃 子供が生まれたり、引っ越しとなって活動休止
音源のベースの音を聞きながらパッシブの頃とアクティヴの音で記憶と時代を思い出してみたが、最後はMoonのパッシヴに落ち着くのであった。コイツは今でも活躍中。
■機材などなど
1977年は金沢から帰ってきてJooDeeっていうメーカーのプレベを使っていたが、その後Navigaterというメーカーのジャズベを使っていた。夏休みにバイトして中古のSUNNコンサートベースを買った。キャビは旧モデルのグレーのサランネット、38cm×2のデカいヤツだったなぁ。このSUNNはしばらく使用。
その後デカ過ぎるので売っぱらい、ヘッドはYAMAHAにして38cm×1発用のキャビネットにJBLのSPを使っていた(映像で確認)
そのSPに穴があいてしまい、音がビビるので売っ払った記憶があり、やっぱりSUNNが欲しくなったので自爆したような気がする(BoogieManで使用してたハズ)
その後ALBITのB200を衝動買いしてSPはYAMAHAの38cm一発のモデルを使ってたようだ(記憶のみ)
■出音から影響を受けたモノ
1977~80はジャズベに新品弦の倍音ギラギラかた~い音で、おそらくスペースサーカースを聞いてたため、チョッパーで親指UPのフレーズがある(下手くそ過ぎて聴けない)
指弾きでのフレーズはかなり細かいフレーズで、7thとかの音を多用していた。
当時流行った16ビートのインストものでは、元ネタが乏しいためか、とにかく音数多くて聞いててもしんどいが、よくもまぁあんだけ細かく弾けたもんだ。
■エフェクター
初期はエフェクターあんまり使ってなかったハズなんだが、家にBOSSの昔のヤツがごろごろしている。
音源からオートワウを発見したが、現在本体は無い。
チョッパーが流行出しコンプレッサーが出た頃なのだが、音の輪郭がぼやけるため使ってなかった。
というかコンプの性能が悪かったので「男はシールド一本」って決めてたようだ。
ただし後期にはラック型のグライコ付コンプを使用しており、ALBITと組み合わせ、ず太い音になる。
そのためごりごりの音でプルなんか「ペッ」じゃなくて「ゴン」っていうイイ音出してる(勉強になるなぁ)
初期チョッパーの時はグライコをかけてドンシャリにしてた時期もあったようだ(アリアを使ってた頃)
飛び道具は後期にフランジャーを一部使っている。
チョッパーのネタはフレーズからスタンリー・クラーク真似を発見。後期はルイス・ジョンソンとかの高速チョッパーネタが出てくるが下手くそ極まりない。
カシオペアとスペースサーカスなどがネタ元にもあるが、とにかくチョッパーは下手だ。指弾きのほうがまだマシ。
大学の頃からずっと達郎を聞いていたので、指弾きではフレーズの元ネタとなっているかも。
Boogie-Man初期はプレベのプリアンプ仕込みで、16ビートとかも弾いていたが8ビート曲も多くてPOPな曲調がメインだったため意外と馴染んでいるようだった。
これは「かんぱり」で鍛えられた16ビートが役に立ったと思う。
諸先輩方々にはこの場を借りて御礼申し上げます。
その後ボーカルが変わって曲調がガラッと変わり、もはやお手本となるモノも無く試行錯誤のフレーズが乱発している。
曲作りもベースのパターンフレーズがあって、リフの繰り返しみたいな感じで、理論なんて滅茶苦茶というか知らんかったんだが勢いで押し込んでいるトコが随所にある(涙
パーシー・ジョーンズやミック・カーンの影響で最後のほうはフレットレスまで使っていた(ジャコはあんまり聞いてないハズ)
グルーヴとかの概念よりもゴリゴリ押していくパターンが多くて、上手くハマってる曲はスゴいが「おいおい大丈夫か?」というトコのほうが多いかもしれん。
当時、他のバンドは16ビート系AORでお洒落な曲や「これぞロック!」っていうハードロック系に分かれていたが、みんな意外と仲良くやっていた。ただ『Boogie-Man』は分類できないジャンルで、ちょっと文章では表現できない。
「ロックin三条」というイベントで以前お世話になった「かんぱり」と一緒のステージに立った時、ドラムのキミ(先輩なのでキミさんです)から「もっと真っ直ぐな音楽やれて」と言われたことは鮮明な記憶に残っていますので、まがった音楽やってたんだろうと思います(笑
一番好きだった曲はハロウィンを歌った曲で、後期に作られたやつ。
今聴いて鳥肌立つのは「ガーデン・パーティー」のサビです。
この曲は初期に作られて後期まで締めの曲として君臨した記憶があります。
後期、Moonのベースになってから音数は少なくなり何となく落ち着いたようである。
おそらく東京のバンドの方とかの交流もあって、歌もののベースの在り方など影響を受けたかもしれない。
26歳で一旦活動を休止したワケですので、人間的に多少の落ち着きも出てきたのかもしれんが。。。
この頃の音源が少なく、動画は残っているので音質は鮮明に記録されていた。
赤いMoonに赤いシールドだけでがきごきのトーンなんだが、バランスがいい。
ワタシががきごきのトーンを好むのは、19歳の頃静岡でプログレバンドのライブを見てからである。
何と指弾きからピアノの低域のような倍音多めの音が繰り出され、クリムゾンのコピーバンドをたっぷり聞かされて衝撃を受けたんだと思う。
それまでレコードで聞こえてくるモコモコしたベースっぽい音質がベースの音だと信じていたが、こういう固い音も個性としてアリだろうと信じて疑わなかった。
そのため指弾きではブリッジ近くを弾くクセがついており、MoonにはリアPUのあたりに自作フィンガーレストが取り付けてある。
この「固い音」への信条はしばらく続くのであった。
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