書店のワゴンに春樹さんの表紙の「考える人」が山積みされていて、二つの意味でびっくりした。
ひとつはずっと大好きで、すごいすごいと言っても、案外知っている人のいなかった、この「考える人」が、こんなにびっしり詰まれてメジャーになっていること。
もうひとつは、ロングインタビューの相手が、考えてみたら当然なんだけど、あの春樹さんだったことだ。
いつも、「考える人」のロングインタビューを読んでいると、その人の特性の中の一番強いものが浮き彫りになっているのをしみじみ面白いなって思っていた。
圧巻だったのは、何年か前の内田光子のときだった。
彼女そのものが才能というものだった。存在が才能、というのかな。
ヨーロッパで一人でその感性のままに歩み家族と離れた彼女のコンサートを一度も聴きにきたことのなかった父親が、晩年、帰国した彼女のコンサートに無理やり駆り出されて客席で初めて娘の演奏を聴いた帰りの車で、ずっと無言ののち、、妻にというのでもなく、独りごとで、「あの「ひと」はどうして私の娘なのだろうか」と、ポツリと仰られたという。
その胸の裡を推し量ることはできないが、その一言が、すべてを語っていることを感じ、鳥肌が立つ思いがした。
今回の春樹さんのインタビューで、ずーっと、感じていたのは、「俯瞰」する存在、「俯瞰」する眼、だった。こんなだったろうか。。。って遠い記憶をさぐってみた。
あの頃の国分寺。「ピーターキャット」までの道沿いには、まだ、公園なんか無かった。
いつも黙々と、むっつりみえるほど、決まった手順で、決まった作業をこなしていた春樹さん。・・。そうだ、見ていた、そうしながらも、ちゃんと、何でも、店内のことも、人の気持ちも把握していた。
機嫌が悪いのかなと思ってしまうように、顎のあたりに、話かけてはいけないムードを漂わせている日でも、本当はそうじゃなくて、なんでも知っていた、見ていた。
昼からずっと、アルバイトに入っていた親友にくっついてカウンターに座っていて、飲み物がなくなりかけ、お腹もすいてきたなあと思っているところに、スッ、と、バスケットに入ったコンビーフサンドが置かれる。誰のだろう?って見ても、そっぽ向いて洗い物をしている春樹さんに聞きようがない。
見ると、その奥にヨーコさんの笑ったやさしい目が(「どうぞってことよ」)って、言っていた。
懐かしいあの頃、70年代の終わりの国分寺、中央線。
内田光子ではないけれど、限りなく新鮮で、才能と魅力にあふれていた友はその後、ロンドンに予定通り留学して、春樹さんは「群像」で新人賞をとって、どんどん書き続けて、私にとって心の師だった河合隼雄さんと対談なんかするようになって、人生って分からないって思った。
きっと、いま俯瞰して見ている世界や心は、あの頃とくらべようもないくらい、とてつもなく広かったり、複雑だったり、深かったりするのだろうけれど、それを見ている目の本質はきっと変っていても変らない本質だ。
おもしろく、なつかしく、いとおしい、すべて。
みんな、ひとりひとりが、かけがえない「考える人」たち・・・
ひとつはずっと大好きで、すごいすごいと言っても、案外知っている人のいなかった、この「考える人」が、こんなにびっしり詰まれてメジャーになっていること。
もうひとつは、ロングインタビューの相手が、考えてみたら当然なんだけど、あの春樹さんだったことだ。
いつも、「考える人」のロングインタビューを読んでいると、その人の特性の中の一番強いものが浮き彫りになっているのをしみじみ面白いなって思っていた。
圧巻だったのは、何年か前の内田光子のときだった。
彼女そのものが才能というものだった。存在が才能、というのかな。
ヨーロッパで一人でその感性のままに歩み家族と離れた彼女のコンサートを一度も聴きにきたことのなかった父親が、晩年、帰国した彼女のコンサートに無理やり駆り出されて客席で初めて娘の演奏を聴いた帰りの車で、ずっと無言ののち、、妻にというのでもなく、独りごとで、「あの「ひと」はどうして私の娘なのだろうか」と、ポツリと仰られたという。
その胸の裡を推し量ることはできないが、その一言が、すべてを語っていることを感じ、鳥肌が立つ思いがした。
今回の春樹さんのインタビューで、ずーっと、感じていたのは、「俯瞰」する存在、「俯瞰」する眼、だった。こんなだったろうか。。。って遠い記憶をさぐってみた。
あの頃の国分寺。「ピーターキャット」までの道沿いには、まだ、公園なんか無かった。
いつも黙々と、むっつりみえるほど、決まった手順で、決まった作業をこなしていた春樹さん。・・。そうだ、見ていた、そうしながらも、ちゃんと、何でも、店内のことも、人の気持ちも把握していた。
機嫌が悪いのかなと思ってしまうように、顎のあたりに、話かけてはいけないムードを漂わせている日でも、本当はそうじゃなくて、なんでも知っていた、見ていた。
昼からずっと、アルバイトに入っていた親友にくっついてカウンターに座っていて、飲み物がなくなりかけ、お腹もすいてきたなあと思っているところに、スッ、と、バスケットに入ったコンビーフサンドが置かれる。誰のだろう?って見ても、そっぽ向いて洗い物をしている春樹さんに聞きようがない。
見ると、その奥にヨーコさんの笑ったやさしい目が(「どうぞってことよ」)って、言っていた。
懐かしいあの頃、70年代の終わりの国分寺、中央線。
内田光子ではないけれど、限りなく新鮮で、才能と魅力にあふれていた友はその後、ロンドンに予定通り留学して、春樹さんは「群像」で新人賞をとって、どんどん書き続けて、私にとって心の師だった河合隼雄さんと対談なんかするようになって、人生って分からないって思った。
きっと、いま俯瞰して見ている世界や心は、あの頃とくらべようもないくらい、とてつもなく広かったり、複雑だったり、深かったりするのだろうけれど、それを見ている目の本質はきっと変っていても変らない本質だ。
おもしろく、なつかしく、いとおしい、すべて。
みんな、ひとりひとりが、かけがえない「考える人」たち・・・