青森で、何も基準無く割り振られた部屋で同室になった方が、私も、挿絵家探しや詩のページ割りなど関わらせていただいた大切な本「恵みのとき」を愛読してくださり、しかも、我が家のマザーテレサの額を書いてくださった方とも知り合いだった。
その数週間前にも、四谷に行く用事があり、吸い寄せられるように女子パウロ会に入ったら、まっすぐ歩いたつきあたりに、思いがけず、「恵みの時」が積まれていて、たとえようもない懐かしさと、このようなものが形になったのだから無駄ではなかったとおもい、ありがたさに涙が出てきた。
なぜいま、こんなに「恵みのとき」なのだろうか。
いまこそが「恵みのとき」、いつも喜んでいなさいと、ありがたく受け止めていよう!
その数週間前にも、四谷に行く用事があり、吸い寄せられるように女子パウロ会に入ったら、まっすぐ歩いたつきあたりに、思いがけず、「恵みの時」が積まれていて、たとえようもない懐かしさと、このようなものが形になったのだから無駄ではなかったとおもい、ありがたさに涙が出てきた。
なぜいま、こんなに「恵みのとき」なのだろうか。
いまこそが「恵みのとき」、いつも喜んでいなさいと、ありがたく受け止めていよう!