・・今年の一月、熱田神宮で遭遇した不思議な現象。
大きな雪がどんどん降り積もる中での参拝は
鳥居の上に燦燦と陽光が射す、「吹雪と晴天が共存する」空間だった。
二極化が始まった。
天国と地獄、晴天と雨天、金剛界と胎臓界は同時にパラレルに存在しながら、その見る者の想念を試し、従う。
奄美大島での集中豪雨のとき
祈ろうが、備えようが容赦の無い雨の空を見上げながら
ふっと、あのあたりが、太陽のあるところ
太陽が存在しないのではなくて
あの雨雲の向こう側にはちゃんとあるのだと気がついた。
手前の雨雲だけを見るか、
その奥にある太陽を見るか
何を見ながら、己のするべきことをして
自分で軸を立てていくか
あれが予行練習だったのだなと
3.11の午後、通じなくなった携帯電話に
数ヶ月前の体験を重ねた。
関西での所用を済ませて戻る新幹線で
東京に近づくにつれて変わってくる空気と空の色
同じ桜でも、もはや、西の世界と東京では何かが違うことに驚きながらも
たくさん頂いている今年のお仕事をちゃんと果たすためにも
いまはまだ、東京を拠点にしてゆかねばならないことを想った。
いまこそ、どこを観るかなのだろう。
大きな雪がどんどん降り積もる中での参拝は
鳥居の上に燦燦と陽光が射す、「吹雪と晴天が共存する」空間だった。
二極化が始まった。
天国と地獄、晴天と雨天、金剛界と胎臓界は同時にパラレルに存在しながら、その見る者の想念を試し、従う。
奄美大島での集中豪雨のとき
祈ろうが、備えようが容赦の無い雨の空を見上げながら
ふっと、あのあたりが、太陽のあるところ
太陽が存在しないのではなくて
あの雨雲の向こう側にはちゃんとあるのだと気がついた。
手前の雨雲だけを見るか、
その奥にある太陽を見るか
何を見ながら、己のするべきことをして
自分で軸を立てていくか
あれが予行練習だったのだなと
3.11の午後、通じなくなった携帯電話に
数ヶ月前の体験を重ねた。
関西での所用を済ませて戻る新幹線で
東京に近づくにつれて変わってくる空気と空の色
同じ桜でも、もはや、西の世界と東京では何かが違うことに驚きながらも
たくさん頂いている今年のお仕事をちゃんと果たすためにも
いまはまだ、東京を拠点にしてゆかねばならないことを想った。
いまこそ、どこを観るかなのだろう。