運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

青森からの発声

2010年07月13日 13時49分25秒 | Weblog
よくもわるくもうそがつけない。
なので、何てお返事していいかわからないので、いままでせっせと消してきていたが、たまにコメント欄に、なんだか別な世界からのものみたいで??最後まで読むこともできないものがくることがある。こういうのは、ちゃんとお返事しなくちゃいけないと思うためには記名で書くことをおすすめしたい.ちゃんとお名前がわかる方だったら、ジャンルがあまりにわからないんだけれど、がんばって何がしかのお返事がひとことぐらい書けるかもしれない、そう思い、消すのをやめてみよう。

web社会が発達していけば、自分が自分でない別物になったかのような錯覚に陥ったり別名で、日常や現実と違う事欠いてみたり、よりカッコいい自分を演じてみる人もいるし、等身大であることはむずかしくなっていくのかもしれないし、まんま、ってのは芸がなくて面白くないものなのかもしれない…。
でも、わたしたちは、等身大のままでも充分、日々、成長し、交流し、進化していくことができる。


先日、青森の緑の深い温泉に初女さんの呼びかけでイスキアを支持する人が集まった。

お忙しい中、五目豆やきゅうりのおつけものや、すき昆布の煮物などまで、前日からこころをこめて準備され、持参してくださり、各部屋に心尽くしの折鶴や南部せんべいまで差し入れてくださり、ろくにお休みになれていないはずなのに、みんなとずっと一緒に足やひざもきっと痛みがおありだったろうに畳の床で立ったり座ったりされていた。

夕餉のおり、きゅうきょ、メッセージを求めれた、88歳の米寿さえ過ぎた初女先生の言葉は

「では、みなさま、心して、共に良い未来を作って参りましょう。」  そう、きっぱりと、

迷い無く、さらりと、言い終えられてさっさと席に戻られた。

その意味の深さに、静かなる、確実なる強さに、参った。鳥肌が立つ想いで、おもわずのけぞった。

すごい、人に、会った。いや、会っていたんだ、会いなおした。

青森から、わたしたち、大人にも子供にも、いのちへの、未来への、発声だった。

まだまだ、日々進化。





ピーターキャットと「考える人」

2010年07月05日 22時48分10秒 | Weblog
書店のワゴンに春樹さんの表紙の「考える人」が山積みされていて、二つの意味でびっくりした。
ひとつはずっと大好きで、すごいすごいと言っても、案外知っている人のいなかった、この「考える人」が、こんなにびっしり詰まれてメジャーになっていること。
もうひとつは、ロングインタビューの相手が、考えてみたら当然なんだけど、あの春樹さんだったことだ。

いつも、「考える人」のロングインタビューを読んでいると、その人の特性の中の一番強いものが浮き彫りになっているのをしみじみ面白いなって思っていた。
圧巻だったのは、何年か前の内田光子のときだった。
彼女そのものが才能というものだった。存在が才能、というのかな。
ヨーロッパで一人でその感性のままに歩み家族と離れた彼女のコンサートを一度も聴きにきたことのなかった父親が、晩年、帰国した彼女のコンサートに無理やり駆り出されて客席で初めて娘の演奏を聴いた帰りの車で、ずっと無言ののち、、妻にというのでもなく、独りごとで、「あの「ひと」はどうして私の娘なのだろうか」と、ポツリと仰られたという。
その胸の裡を推し量ることはできないが、その一言が、すべてを語っていることを感じ、鳥肌が立つ思いがした。

今回の春樹さんのインタビューで、ずーっと、感じていたのは、「俯瞰」する存在、「俯瞰」する眼、だった。こんなだったろうか。。。って遠い記憶をさぐってみた。
あの頃の国分寺。「ピーターキャット」までの道沿いには、まだ、公園なんか無かった。
いつも黙々と、むっつりみえるほど、決まった手順で、決まった作業をこなしていた春樹さん。・・。そうだ、見ていた、そうしながらも、ちゃんと、何でも、店内のことも、人の気持ちも把握していた。
機嫌が悪いのかなと思ってしまうように、顎のあたりに、話かけてはいけないムードを漂わせている日でも、本当はそうじゃなくて、なんでも知っていた、見ていた。
昼からずっと、アルバイトに入っていた親友にくっついてカウンターに座っていて、飲み物がなくなりかけ、お腹もすいてきたなあと思っているところに、スッ、と、バスケットに入ったコンビーフサンドが置かれる。誰のだろう?って見ても、そっぽ向いて洗い物をしている春樹さんに聞きようがない。
見ると、その奥にヨーコさんの笑ったやさしい目が(「どうぞってことよ」)って、言っていた。
懐かしいあの頃、70年代の終わりの国分寺、中央線。
内田光子ではないけれど、限りなく新鮮で、才能と魅力にあふれていた友はその後、ロンドンに予定通り留学して、春樹さんは「群像」で新人賞をとって、どんどん書き続けて、私にとって心の師だった河合隼雄さんと対談なんかするようになって、人生って分からないって思った。

きっと、いま俯瞰して見ている世界や心は、あの頃とくらべようもないくらい、とてつもなく広かったり、複雑だったり、深かったりするのだろうけれど、それを見ている目の本質はきっと変っていても変らない本質だ。

おもしろく、なつかしく、いとおしい、すべて。
みんな、ひとりひとりが、かけがえない「考える人」たち・・・

「易入門」の思い出

2010年07月05日 12時52分44秒 | Weblog
七夕がもうすぐ。
ようやく、選挙にはなんとか投票まにあうことになりホッと安心。
 前回は同じ理由で涙をのんだけれど、11日はどうしても一票を投じたかった。
皆既日食のあと、流れはどんなふうに変わっているだろうか。

そして、もうひとつ、嬉しいことがわかった。
まだ幼稚園の頃から、実父に渡され、教えられ、愛用していて、思い出の満載された往年の名著を、復刊させたい願いが実ってできた「易入門」という一冊が、このたび増刷になっていた。
静かに売れていてくれたんだって感慨深い。
協働作業の過程や思い出も蘇る。。こうして残ってくれればそれでじゅうぶん、誰かがあの本で、人生の岐路や、思う悩んだとき、紆余曲折に面したとき、自分の中にある叡智にたずねるために、参考にして、ちょっと救われるのなら何より嬉しい。

選挙権だけでなく・・・

2010年07月01日 23時18分55秒 | Weblog
>皆既日食の日が選挙だって、偶然ではないように思う。

いろいろ、変わり始めているこの世界
いろんな符号がある。自然界とも。

夏至もそうだった、
なぜかみんな、あの日会う人、会う人、
緑の服や帽子や小物を身に付けていた、
私もあの日、朝からどうしても緑が着たかった。
色は波動だからね。

夏至の日の、緑は、地球の波動だったのかな。

今度の選挙の日、どんな波動をみんな受け止めるのだろう。

けれど、私には投票の券が無い。
取りにもいけないし、連絡もままならない。
どうか不自由と理不尽に思いいたってくれますように。

週末あたりは、また関西あたりで人のつながりとか、
いのちだのって盛り上がっているのかな

その前に、もう8年近く会えていないままの孫を
おばあちゃんに会わせてあげることをしたらいいのにな。
いのちのつながりは片筋だけじゃないんだけれどな。

あっちもこっちも切ってきた

そのかたわらで
その日はじめて会う人たちとは
つながりあえる、認め合えるって気になれるんだったら

なんかへん


私の選挙の券は11日までにまにあうのだろうかってことだけでなく

流れが、地球の流れが

良い流れに変わるといいな

自分じぶんじぶん、自分を好きでかまわないけど、大事だけど

自分も自分でないも、本当はないのに


みんな同じ、みんな大事なのに


そのみえないつながりに気がつかないでのつながりさがしから


身近な和に、一歩すすめるといいな


地球はどう思っているのか声を聞いてみたいな。

合掌。