運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

目をさましていよう

2011年04月17日 02時20分49秒 | Weblog
目をさましていなさい

そう、子供時代、学生時代に読んだ聖書とかにも書いてあったけれど
いまが、まさしく、現実にそうなのだと思う。

なにもかも、これまでの生きてきたこと、起きたことも
すべて、いまのためにあったんだ
そう思う。

ここまできて、惜しくも
ホピの予言でいう、滅びの道に行ってしまう人を最近幾人も目にした
せっかくよいことを伝えたり、啓蒙してきたはずなのに
あと少しでつまづいたり踏み外したりしまうのには
目に見えない、もっといにしえからの理由やカルマ的なものが
この時に出てきてしまうからなのだろうかと残念に思う

いまが一番の試されどきなんだ
きれいにしてもらうときは苦しくとも
見捨てられていないときだから感謝だ。


名利欲、色欲、試みるもの内外にあり
乗じてしまいたくなるときの
いろんな言い訳や、都合のいい誘惑は、
ますます激しくなるかもしれないけれど
どんなに上手にアレンジできたつもりでも
天だけはどうしても欺くことはできないんだよね

魂の目を、いまこそ覚ましていよう。
そのためにこの時機を選んで生まれてきているはずなんだって思う。

311前と311後

2011年04月12日 09時21分58秒 | Weblog
ふと、3月11日より前、自分はどんなことを考えていたんだろうかって
そんなことを思って過去記事を見てみた。
前夜の記事はなかったけれど
これが一番311に近い日の記事
(ちなみにこのご案内の催しはただいま満席完売です)
http://blog.goo.ne.jp/sunaonasum/d/20110308
そして、驚きながら、こう思いながらも
結果として何もできなかった非力を感じたのが下の記事
約ひと月前
http://blog.goo.ne.jp/sunaonasum/d/20110208
そして、これが一年前
いま振り返ると、個人的にはいまに備えてきていた感はあるけれど
http://blog.goo.ne.jp/sunaonasum/d/20100309

雨になるよ、台風が来そうだよ
そんなことを、猫やネズミみたいに
野性の時のDNAは察知してちゃんと訴えていたのに
その、みんなのDNAを、どう集めてどう生かすかがわからない
せめて
キーワードは、「大切にする」だってこと
わたしたちは生かされていただいているだけなんだから
次々ともっといいもの、もっと新しいものと
すべてを使い捨てにしては
進むことばかりに目を向ける暮らし方から
いまあること、いまあるもの、に感謝をして、たいせつに暮らす生き方に切り替えよう。

そうしてこなかった象徴が原発なんだよね。



桜の色、空の色

2011年04月11日 23時37分06秒 | Weblog
・・今年の一月、熱田神宮で遭遇した不思議な現象。
大きな雪がどんどん降り積もる中での参拝は
鳥居の上に燦燦と陽光が射す、「吹雪と晴天が共存する」空間だった。

二極化が始まった。

天国と地獄、晴天と雨天、金剛界と胎臓界は同時にパラレルに存在しながら、その見る者の想念を試し、従う。

奄美大島での集中豪雨のとき
祈ろうが、備えようが容赦の無い雨の空を見上げながら
ふっと、あのあたりが、太陽のあるところ
太陽が存在しないのではなくて
あの雨雲の向こう側にはちゃんとあるのだと気がついた。
手前の雨雲だけを見るか、
その奥にある太陽を見るか

何を見ながら、己のするべきことをして
自分で軸を立てていくか

あれが予行練習だったのだなと
3.11の午後、通じなくなった携帯電話に
数ヶ月前の体験を重ねた。

関西での所用を済ませて戻る新幹線で
東京に近づくにつれて変わってくる空気と空の色
同じ桜でも、もはや、西の世界と東京では何かが違うことに驚きながらも
たくさん頂いている今年のお仕事をちゃんと果たすためにも
いまはまだ、東京を拠点にしてゆかねばならないことを想った。

いまこそ、どこを観るかなのだろう。




桜、サク

2011年04月06日 09時44分14秒 | Weblog
五分咲き、六分咲き・・・

春の日差しの下、天変地異があろうがなかろうが
この関東は、またひとめぐりして
桜が美しく咲いている

神社の境内で
川沿いで
出店の横で

そして
今日からスタートの
幼稚園、学校、新入生、新学期

卒業式が中止になったところも多かっただけに
この、四月の
明るい子供達のスタートは
しっかり見守ってやりたい

おめでとう
これからのあなたたちに
ホンモノのよき世界が残せますように。