にゃんこと黒ラブ

猫達と黒ラブラドール、チワックスとの生活、ラーメン探索、日常について語ります

市場原理で限りなく劣化する領域

2020-09-05 18:23:00 | 日常

 昔、同級生で大病院の医師をしてる友人と何かの会合で偶然久しぶりに会った。その夜、軽く飲もうということになり話をした中で、「医療と市場原理はどうしても馴染まないんだよ。どうしたらいいと思う?」と彼に訊かれた。

 その質問には、「苦しむしかないね。」と即答した。仕方がない。医療と市場原理は並立しないからだ。並立しないものを並立させようとしているのだから、苦しむ以外にないということになる。

 本来医療というのは、医療を求める全ての人に、分け隔てなく、最高の質の医療をごくリーズナブルな代価で、できれば無償で提供することを理想としている。

 そういう仕組みを作ることが医療の理想なわけだけれど、市場原理の中では、そうはゆかない。市場原理に則して考えると、医療は医師の技術、医療機関、医薬品、看護、介護のサービスという「商品」として仮象する。

 だから、需給関係に従って、その「商品」に一番高い値を付ける人が所有することができる。アメリカはもうそうなっている。医療は貨幣で買うものだと思われている。

 よって、お金を持っている人は最高の医療技術を享受できるけれども、貧困者は最低レベルの医療しか受けられない。そのような最低の治療さえ受けられない人もいる。













 でも、本来、医療というのはそういうものであっていいはずがない。「ヒポクラテスの誓い」というのは古代ギリシャの医療人の誓いで、今でもアメリカの医学部卒業式ではこの誓言をするはずだけれど、そこには「患者が自由人であろうと奴隷であろうと医療内容を変えてはならない」と謳ってある。

 最古の医療倫理が「患者の個人的属性に従って医療内容を変えてはならない」ということなのであるが、そのヒポクラテスの倫理がもはや今の時代は守られていない。

 これはヒポクラテスの誓いの方が正しくて、市場原理の方が間違っているのである。だから、友人にどうしたらいいかと訊かれたら、相容れない事だから苦しんでくださいとしか言いようがない。もちろん彼はその辺のところはよくわかっていてそれでも何かいい知恵がないかと探っていた。

 医療の理想は実現することがほんとうに難しい。かといって市場原理に従ってゆけば、超富裕層が医療資源を独占して、貧しいものは医療の恩恵を受けられないという古代ギリシャ時代以前の未開社会にまで退化してしまう。

 市場原理に委ねるとある種の領域では、制度が劣化するという平明な事実を我々は直視すべきだと思う。それは教育の世界も全く同じである。この事はまた別の機会に触れます。