11月10日までの「白と黒」展と、11月12日から来年3月17日までの「色と風景」展の2期に分け、前期は平塚運一の単色刷り作品を、後期は多色刷り作品を展示。
特定の画題や時代に絞って作品を見せる常設展と違い、ほぼ生涯にわたっての代表作を収蔵庫から出す記念展だ。
平塚運一は島根県の生まれだが、1930年代には須坂市での講習会に招かれて指導するなど、信州との縁も浅くない。平塚運一版画美術館は、彼から寄贈された作品を核として1991年に開館。現在は500点余りを所蔵している。
父が宮大工だった平塚運一は商業学校を中退後、版画の彫工・伊上凡骨(いがみぼんこつ)(1875~1933年)に入門。日本創作版画協会(現・日本版画協会)展などに出品して注目された。1927(昭和2)年には、やはり後に世界的な版画家となった棟方志功(1903~75年)が教えを請いに来るなど、30代で既に版画界の大家だった。
日中・太平洋戦争(1937~45年)を挟む約10年、東京美術学校(現・東京芸術大学)版画研究室の教官に。戦後、国際版画展への招待出品で世界に知られた。1960年代に米国へ移住。70歳を過ぎてから女性裸像100点の連作を始めるなど、晩年まで旺盛に制作した。
「白と黒」展には、1920年代から70年代までの45点が並ぶ。版画は単色刷りが初歩で多色刷りは上級と見られがちだが、平塚運一は述べている。「黒と白の版画を裸体の舞踊とすれば、色摺(いろずり)版画は衣裳(いしょう)をつけた舞踊」で、むしろ「素描の力」を要するのは前者である―と。
「しかも彼の作品は、寸法が大きくても小さくても仕事の密度が同じに感じられる。そこが不思議な魅力です」と須坂版画美術館・平塚運一版画美術館学芸員の青山由貴枝さん(27)は話す。
ここに掲載した2点も実際には、かなり寸法が異なる。建物の細密な描写にも目を奪われるが、少女の日常を捉えた構図にも目を引かれる。ほかにも版木を彫る刀の動きや音も感じられそうな、これぞ木版画というべき作品が今展にそろっている。
須坂版画美術館・平塚運一版画美術館(☎026・248・6633)の休館は水曜日。
(植草学)