社会は理性や理屈だけで動くのではなく、ムードや感情に左右される。多くの著書で、日本社会の実像に迫る社会学者の竹内洋さん。「“空気”に動かされるのが人間の本性だと思わないといけない。インテリほど、実は空気で動かされているとの自覚が乏しい」。そう喝破する原点には、学生時代の体験がある。
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1942年に東京で生まれ、新潟・佐渡島で育った。近所の女性が自宅に米を借りに来る姿などから、理不尽な格差を実感し、高校時代に「共産党宣言」を読んだ。60年安保闘争の翌年に京都大へ入学。学生デモに参加してみると、「機動隊にぶつかれば権力とはこういうものだと分かる」と説く指導者に「政治屋だな」としらけた。
ののしる相手の機動隊員は「俺も大学に行きたかった。特権的な立場の学生は好き勝手なことをしている」と思っているのではないか。そんな想像が働き、学生運動と距離を置くようになった。
大学を卒業し、生命保険会社の社員となってすぐ、結核にかかる。約1年間入院し、恩師に大学院へ誘われて研究職に転じた。大学の外を経験した目には、大学の中で全共闘の学生が年配の教授をつるし上げる様子は、まるで家庭内暴力のように映った。「学生運動への共感だけでなく、違和感を覚えました」
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京都大や関西大で教えたが、著書「大学という病」で自らの職場である大学の深層を探った。「教養主義の没落」で自身が影響を受けた教養主義の盛衰を追い、「メディアと知識人」などで、時代を彩る人間たちに迫った。本を書く上で大事にしてきたのは、やはり共感と違和感だった。
特に強い関心を抱いてきたのが、社会をリードする知識人たちの在り方だ。大学時代は、丸山真男さんの影響力が強く、やがて吉本隆明さんが全共闘世代に支持された。だが当時の論壇を見ると、福田恒存さんら保守派の言論にも目を見張るものがあった。
「なぜ右と左の考え方に分かれるのか。右と左に縛られて物事を見ていると、見落とすことがあるのではないか」
著書「革新幻想の戦後史」では、「反体制でなければ知識人ではない」と言われたかつての社会の空気に迫った。石坂洋次郎さんの小説を原作にした映画「青い山脈」の描写などを挙げ、「スマートでハイカラ」な生活流儀への憧れが「革新幻想」というイデオロギーを支えた感情だとした。
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今の日本は「空気的大衆社会」だという。「こんな発言をすれば反発を受けるのでは」と恐れるテレビのコメンテーターらが視聴者に過剰に同調し、メディアが「皆さん」と呼びかけて想定する大衆が膨れあがる。
そんな実体のない「大衆の幻像」や、ヤンキー(不良)とも違い、明治以来の日本を黙々と支えてきた「堅気」の人たちに注目している。理屈は言わないが、きっちり律義に働く職人のような人たちだ。「そんなうまい話はない」と指摘できる健全なバランス感覚が彼らにはあると考える。
幻想や空気に惑わされないためにどうするか。
「自分で考えたように思えても、実は多くは他人が言ったことの反復にすぎない。それでも、自分の頭で考えて選択したのかと問い続ければ、少しは違ってくるのではないか。この少しの違いがやがて大きな違いになるのではないでしょうか」
<自分の「謎」がふっと解ける快感>
竹内洋さんは、読売・吉野作造賞を受賞した著書「革新幻想の戦後史」を、私小説になぞらえて「私社会学みたいなもの」と言う。幼少からの経験や考えなど自分の問題を、当時の社会問題とすり合わせ、「リアリティーのある戦後史像」として書いたからだ。
自分にとって、一番気になってきた革新幻想という「進歩的」思想と、それが生まれた雰囲気や人々の感情をたどり、戦後史を編み直した。その執筆作業で軸に据えたのは、自らの感情だった。
「結局、関心の対象は自分に向かうのです。他人よりも自分の頭の上のハエを追わなければ」。外国から輸入した学問の成果を手に「高みから偉そうに言う」研究者を批判しながら、そう話す。
社会に対する自分の感情を基に書くうち、自分にとっての「謎」がふっと解ける快感があった。読者も同じ体験をするのだろう。かつてデモに加わった全共闘世代から「なぜ当時、あんな雰囲気の中で石を投げたりしたかが何となく分かった」などと、感想の手紙が多く寄せられたという。